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過去のわたしの味方なだけ

幼い頃、わたしは水色が好きだった。
幼稚園の頃両親が家を買って、部屋の一面だけカラー壁紙にしていいよって言ってくれた。
わたしは水色にしたかったけど、母親に「女の子なんだからピンクにしておこう」と言われた。
弟2人は水色と緑を自分の意思で選んでいた。

七五三の着物は、親の意向でピンクだった。
何がいいか聞いてくれたけど、水色って言ったら却下された。女の子はピンクだから。

小学1年生の頃、お誕生日プレゼントにリラックマの腕時計を買ってもらった。
水色のベルトのものを選んだ。
母親は「ピンクの方がかわいいよ」ってピンクを勧めてきたけど、こればっかりは水色を譲らなかった。

わたしは時々フェミニストに思われることがあるが、フェミニストではないと思う。
幼い頃「女の子だから」という訳の分からない言い分で押さえつけられたわたしの「水色がかわいい」という想いを、22歳のわたしが大きな声で言っているだけだ。

この歳になって思うが、わたしの母親はかなり昔ながらの感覚を持っているのだと思う。

高校受験の際には「女の子なんだから、下に弟が2人もいるんだから、あなたは高卒で就職するんだから商業科に言ったら?」と言われた。
わたしは数学が苦手だったから絶対に商業科には行きたくなくて、普通科に行った。

大学受験の際には、「女の子なんだから、4年制の大学に進んだら結婚の時期が遅くなっちゃうから、下に弟も2人いるし、せめて2年制の専門とかにしたら?」と言われた。
ほんとうに親には申し訳ないが、反抗的な気持ちで4年制の大学に進んだ。別に学びたいものは特になかった。

わたしを「女の子」として縛り続けていたのは、いつだって母親だ。別に母親は毒親じゃないし嫌いじゃないけど。でも古い感覚を持って生きていることは確か。

時代って新しくなるけど、人の考えは急激に変わらない。厳しい言葉を使うけど、古い考えの人が死ぬのを待って、今の考えの人が多数派になって、その頃にはまた新しい考えが生まれてて、わたしたちは死に待ちされる。そういう風にできているんだと思う。

わたしは気長に死に待ちするし、死に待ちされないような新しい考えや新しい社会に順応できる人になりたい。

20歳くらいからピンクが好きになった。
でも、部屋の壁紙をふと見たとき、絶対に幼い頃の記憶を思い出してしまう。
価値観の押し付けや好みを否定する行為は、そういう後遺症をうむ。

母親のことは嫌いじゃないけどね。

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