外山雄三を讃えて③
外山雄三を讃えるシリーズ、3回目を書きます。以前にも書きました通り、学生時代、1996年だと思いますが、仙台フィルの東京公演を聴き、外山雄三の指揮に初めて接して、衝撃を受けた私は、外山雄三のファンとなり、以降、就職するまでの2005年まで、毎年、1年に1度は、外山雄三の指揮する演奏会に行っていました。就職してから、めったに外山雄三を聴くことはできなくなりましたが、最近、あるかたのnoteの記事を見て、外山雄三指揮、大阪交響楽団による、ベートーヴェンやチャイコフスキーのCDが、昨年(2020年)、出たことを知り、あらためて、外山雄三を讃えた記事を書きたくなったという次第です。きょうも、あるときの外山雄三の指揮した演奏会の記憶を書きます。2000年代前半の話だと思います。オーケストラはNHK交響楽団(N響)。
まず、この演奏会を知ったのは、NHKのテレビを見ているときでした。予告がありました。え?そんな演奏会、あるの?びっくりしてさっそくチケットを買いました。プログラムは、ブラームスの交響曲の第2番、第4番でした。
じつは、この演奏会は、そもそもローレンス・フォスターが指揮するはずでした。ところがフォスターは、どうやらなにかケガをしたらしく、来日できなくなり、外山雄三は、「代役」としてこの演奏会を指揮することになったということでした。外山ファンの私としては、これはまさに「ケガの功名」でした!
プログラムは、フォスター氏の組んだものそのもの。当時、外山雄三のブログに、「自分ならこういうプログラムはしない」と書いてありました。「前半にブラームスの2番、後半にブラームスの4番」だと、「山がふたつある」演奏会になります。それが外山雄三は嫌いらしいのです。いつだったか、ある海外のオケが来日し、演奏会をすることになったら、プログラムは、前半がブラームスのピアノ協奏曲第2番、後半がブラームスの交響曲第2番でした。それを放送する番組のコメンテーターとして外山雄三が出演していたのですが、やはり「自分ならこういうプログラムは組まない」と言っていました。よく外山雄三は、「短い曲がたくさん」というプログラムを組みますが、じっさい、この演奏会を生で聴いて、実感しました。前半のブラ2で、燃焼しつくしてしまった感じがありました。
この演奏会は、定期演奏会ではありませんでした。タケミツメモリアルホールで行われた、特別演奏会で、定期演奏会より「高い」演奏会。でも、下手側の、オケのサイドの席を買い、なるべく安くあげました。最初に、スポンサーの企業(どこだったか忘れましたが)のアナウンスがありました。そんな演奏会は、これが唯一の経験です。念願かなって、外山雄三のブラームスの交響曲。さきほども書きましたが、オーケストラは、前半の2番で、燃焼しつくした感じがあり、後半の4番が、あまり印象に残りませんでしたが、前半の2番だけでも、聴くかいのあった、すごい演奏会でした。
N響のブラームス2番は、2回、聴いたことがあります。これより前、定期演奏会で、ヤノフスキが指揮したのです。そのときのプログラムは、バッハ=ウェーベルンのリチェルカータ、モーツァルトのクラリネット協奏曲(ザビーネ・マイヤー)、そしてブラ2でした。そのときのブラ2は、ヤノフスキのCDで聴いていたとおり、第4楽章で、はじけ飛ぶ演奏で、すごい勢いであり、外山雄三の、かっちり、きっちり決めるブラームスとは、まったく違うものでした。両方とも、よく記憶に残っています。
外山雄三のほうに話を戻します。ブラ2は、第1楽章の最後のほうに、長いホルンのソロがあります。それが、パーフェクトだったのです。樋口哲生さんでした。非常にうまくいった証拠に、オーケストラの人も、讃えていました。私の席からは、ティンパニのかたが、バチを太鼓の上のほうで、左右に動かすのが見えました。これは、樋口さんからは、自分の楽器の反射で、見えたはずです。非常にうまくいきました。
さて、自分の楽器というのは気になるものです。私はアマチュアオーケストラで、フルートとピッコロを吹いていました。この日のフルート1番は、中野富雄さん。私の好きなフルーティストです。なぜか、前半のブラ2で、ピッコロも持ってきました。2番のかたは、フルートしか持ってきません。ブラームスの2番では、いっさいピッコロは使わないはずです。なぜ?と思いましたが、もちろん、ついに中野さんはピッコロを使わず、終演し、舞台からはけました。不思議ですが、後半、ブラームスの4番のときは、フルートのおふたりとも、ピッコロも持っての登場でした。ブラームスの4番は、2番フルートは、ピッコロに持ち替えますが、1番フルートがピッコロを使う場面はありません。終わってわかったのは、この日はアンコールがあり、ブラームスのハンガリー舞曲で(何番だったか忘れました)、そこで2人ともピッコロに持ち替えるのです。つまり、前半の中野さんの、ピッコロを持って登場する件は、ただの間違いだったのです。おもしろいね。
(もう、こんな、二十年くらい前の演奏会の記憶を書いても駄文にしかならないみたいですので、脱線しますと、さきほど述べました、ヤノフスキ指揮のブラ2のときも、フルートは中野さんだったのです。この曲は、第2楽章が、シャープ5つになるのですが、中野さんは、一瞬、レのシャープを忘れた瞬間がありました。すぐにつけましたが、非常に目立ちました。ミスターパーフェクトの中野さんでも、そんなことがあるのだ。さっきから中野さんのおかしなところばかり書いてすみません。)
後半のブラームス4番には、第4楽章に長いフルートのソロがあります。これを中野さんのソロで聴けたのは、とても幸運でした。しかし、先ほども述べましたように、まず私自身が、前半の第2番で、おなかいっぱいになっており、後半の4番は、あまり集中できていなかったこともあり、あまり中野さんのソロの記憶も残っていません。盤石だったことは覚えていますが。
2006年に、長かった学生生活を終え、東京を去った私は、N響をはじめ、東京の演奏会は聴けなくなったわけですが、いつか、テレビでN響を見て、いっさい中野さんの姿を見なくて、まあ定年になったから見ないのかと思っていましたが、中野さんって、62歳で亡くなっているのね!びっくりしました。もったいない話であります。
この文章のどこが「外山雄三を讃えて」だかわかりませんが、とにかく外山雄三のブラームス2番はよかったのです。印象に残っているのは、第4楽章コーダにある全休止で、すこし「タメ」があったことです。そんな演奏は、そのころ聴いたことがなく、斬新に感じましたが、ずっと後に、たとえばブルーノ・ワルターもやっていたりして、伝統的な解釈なのだとわかりましたが、とにかく感銘を受けました。外山雄三は1931年生まれ、今年(2021年)、90歳です。なかなか生は聴けませんが、先述の通り、CDが出たので、今後も、せめてそういう形で、外山雄三の芸術を、なんとか形に残してもらいたいと思います。作曲家としてもすばらしいですが、指揮者としての才能はすごいと思います。ずば抜けたセンスがあります。センスというか、理知的というかですね。独特のアナリーゼがあります。
自分でも、これは駄文だと思います。つまらない記事を書いてすみません。よく言われるんですよ、腹ぺこさんの話は、おもしろいときと、くだらないときの落差が大きいと。でも、この日の演奏会の記録を残したいので、このまま公開します。駄文でごめんなさいね。
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