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エフゲニ・スヴェトラーノフの思い出

 指揮者のエフゲニ・スヴェトラーノフは、生を2度、聴いています。一回はロシア国立交響楽団の来日公演、一回はN響(NHK交響楽団)の定期演奏会です。その思い出を書きたいと思います。

 まず、順番は逆なのですが、N響のほうから書きます。マーラーの交響曲第7番の1曲プログラムでした。これが極めて残念な思い出でして、かつてnoteの記事でも触れた気がしますが(リンクがはれなくて申し訳ございません)、いまの私はマーラーの交響曲に目覚めており、マーラー7番も、大好きな曲です。マーラーらしい支離滅裂の度合いの激しい曲ですが、暗く始まって、最後はハッピーエンドを迎えます。「唐突なハッピーエンドには一抹の真理がある」という記事も書いたことがあります(リンクがはれなくてすみません)。とにかくこの曲は大好きなのですが、この演奏を聴いたとき、まったくマーラーに目覚めていなかったのです!なんという惜しいことを…。ちんぷんかんぷんでしたね。覚えていることは、スヴェトラーノフは、コンマスの付近に椅子を用意し、各楽章が終わるごとに、その椅子に腰かけて休憩していたことや、フルートは中野富雄さんであったこと、それからどうでもいいような話ですが、私は、わからないながら第3楽章だけ練習したことがあったので、第3楽章で「知ってる」曲が出て来たという、それくらいです。ひたすらちんぷんかんぷんでした。惜しいことをしました。この日の演奏会(N響の定期公演は、2日間、やります。放送されるのは1日目です。私はいずれの日を聴いたのかわすれました)は、いまはCD化されていることも知っていますが、買って聴くまでの気は起きません。マーラーの7番の生を聴いたのは、いまのところこれが唯一の経験です。

 もうひとつの演奏会が、ロシア国立交響楽団の来日公演です。友人に、スヴェトラーノフのファンがいて、彼の影響も大きく、こうしてスヴェトラーノフを聴いたのだと思います。(もっとも彼は打楽器であり、彼が魅力を感じていたのは、おそらく、すごい音を出すティンパニストのスネギリョフ氏であったようにも思いますが…)有楽町の国際フォーラムで聴きました。メインがブラームスの1番、中プロがラフマニノフのパガニーニ狂詩曲(ソロは中村紘子)、そして、前プロが思い出せませんでした。最近、知り合ったクラシック音楽の通のかたで、検索が非常に得意なかたに調べてもらったら、あっというまに見つけてくださいました。感謝です!1曲目は、チャイコフスキーのスラヴ行進曲でした。日は、1997年4月23日です。

 上に述べましたとおり、1曲目のチャイコフスキーのスラヴ行進曲は、ほとんどまったく記憶にないのですが、たしかに、そのころスヴェトラーノフは、この曲をよくやっていました。旧ソ連では、この曲は演奏できなかったのではないでしょうか。嬉々としてやっている感じを受けました。ラジオで聴いたこともあり、図書館のCDで聴いたことも覚えていますが、まさか生で聴いていたとは…。どうしても思い出せません。ラジオ等の記憶によれば、「ザッハリヒ」と言いますか、楽譜通りの演奏で、芸などはほとんどない演奏だったという記憶があります。

 2曲目のパガニーニ狂詩曲は覚えております。私にとって、中村紘子を生で聴いた唯一の経験になりました。中村紘子とスヴェトラーノフはしばしば共演しており、これより前に聴いた、チャイコフスキーの協奏曲第1番、ラフマニノフの協奏曲第2番(ソヴィエト国立交響楽団)は、中村紘子の強烈な個性と、オーケストラの強烈な音色で、ものすごい存在感のあるCDでした。テレビで、N響と共演した、チャイコフスキーの協奏曲も見ました。この2人は、コマーシャルにも出ていた記憶があります。ラフマニノフのパガニーニ狂詩曲は、この日と相前後して、野島稔/外山雄三/神奈川フィルで聴いており(「外山雄三を讃えて④」をご参照ください。リンクがはれなくてすみません)、演奏の出来としては、野島稔のほうがよかったと思っていますが、中村紘子もよかったです。ちょっと「がんばって弾いている」という感じを受けてしまいましたが。その2回が、私がこの曲を生で聴いた2回ということになります。この曲は、ラフマニノフ本人のピアノ、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団で初演され、世界初録音もなされました。「後期ラフマニノフ」のうちの1曲で、親しみやすい作品ですが、そこに秘められた作曲者の思いというものは、かなり深いものがあると私は感じます。ストコフスキーは生涯、この作品を得意とし、いろいろなピアニストと共演を重ねました。また、この作品あたりから、パガニーニの主題で変奏曲をつくるというのが作曲家の定番みたくなり、ブラッハーやルトスワフスキが有名ですが、バーンズの吹奏楽作品あたりから「作曲家たるもの、生涯に一度は、この主題で変奏曲を書くのがお約束ではないか」と思うほど、たくさんあります。NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)で、毎日のように聴いていますが、なかなか聴き終わりません(いくらでもある感じです)。

 休憩をはさんでのブラームスの交響曲第1番です。この曲は、ひんぱんに聴く曲ですが、スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団で聴くのは珍しいことだと言えると思います。同じロシア国立交響楽団の来日公演で、チャイコフスキーの5番もあり、チケットを買うとき、どちらにするか迷った記憶があります。覚えているのは、いわゆる伝統的なオーケストラ配置で、左奥にコントラバスがいて、横に一列に並んで、数えたら16人もいて(!)それが、すごい音で、ブラ1の冒頭のコントラバスの「ド」を弾き続けていたことです。すごいオケです。名物の「トランペット」は、このブラ1では、そこまで活躍するところはないわけですが、ティンパニは、例の、かみなりのような音を、ときどき出していました。フルートは(自分の楽器ばかり聴いている悪いくせ)いまいちでした。これは昔からのロシアのオケの特徴なので、それを生で経験することができました。ロシアのオケは、弦楽器はすごいし、金管や打楽器も別の意味ですごいのですが、木管っていまいちですよね。CDですが、ムラヴィンスキーの指揮するショスタコーヴィチの10番で、フルートが、まるで日本の中学生ではないか、というほどの演奏も聴いたことがあります。それはともかく、スヴェトラーノフは、やはりザッハリヒというのか、大きくテンポが動かされることはなく、たとえば第4楽章の前半に現れるトロンボーンのコラールが、コーダでトゥッティで回帰するところも、まったくテンポを動かしませんでした。茂木健一郎さんならぬ茂木大輔(もぎ・だいすけ)さんの書かれた『交響録 N響で出会った名指揮者たち』という本でも、スヴェトラーノフは、オケの弾きやすい(吹きやすい、たたきやすい)テンポで、安定して指揮する人であったと書いてあり、おそらくこの茂木さんの書き方は、世間に出回っている「スヴェトラーノフは、とにかくトランペットやティンパニの大きな音のする、すさまじい指揮者だった」という先入観に、静かに反論しているように思えます。つまり、スヴェトラーノフは、「金管や打楽器が極めて大きな音を出していても、それを止めたりはしない指揮者だった」ということだろうと思うのです。あれは、スヴェトラーノフの指示ではなく、奏者の自由だったのです。そして、スヴェトラーノフは、それをやめさせるような指揮者ではなかったと、そういうことだと思うのです。とにかく、普段、聴きなれている「ブラ1」とはかなり異なったブラ1で、しかも感動的であり、とてもいいものを聴きました。アンコールまでは覚えていないですね…。

 以上が私のスヴェトラーノフの思い出です。2回しか聴いていませんし、うち1回(マーラー7番)は、当時、曲が理解できていなかったという情けなさですが、ブラ1だけでもいい思い出です。たしかにスヴェトラーノフは扇風機を回していましたよ!(指揮台に小さな扇風機を取り付けて、演奏中、回している)ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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