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シノーポリの思い出

 あるとき、今からよく記憶をたどるとそれはおそらく2000年の1月ですが、ある寮の後輩で、ある有名な大学のオーケストラの仲間に言われました。「絶対に休まずに行く」ということであれば、チケットを2枚ゆずる、と。シュターツカペレ・ドレスデン(超有名なオーケストラ)の招待券でした。曲は、ベートーヴェンの「第九」1曲。指揮は、当時、音楽監督だったジュゼッペ・シノーポリ。行くことにしました。仲間を誘いました。買うと目の玉の飛び出るような値段のチケットでした。ソリストは、シノーポリが連れて来た4人で、コーラスは覚えていませんが、よく日本の「第九」演奏会で見るような、大人数のものでした。

 ひとことで言うと、とてもいい演奏会でした。2000年というと、もう古楽器演奏が非常に盛んになっていた時代ですが、シノーポリの演奏は、古楽の演奏の影響を受けていない、伝統的なものでした。覚えているのは、ホルンの首席は、かのペーター・ダムではなかったか、ということ。もうその時点でかなりお歳だったと思いますが、おそらく尊敬されているのでしょう、第2楽章のトリオの、ホルンがソロを取るところで、ダム(らしき人)が遅れると、弦楽器のきざみのほうがホルンにあわせてくれるほどでした。第3楽章の有名なホルンソロは、本来は4番ホルンが吹くのですが、そこもそのダム(らしき人)が吹いていました。そのような、「シュターツカペレ・ドレスデン」の伝統というものは、いろいろ見られました。以下に述べるピッコロもそうです。

 第4楽章のソリストは、上に書きましたとおり、シノーポリが連れて来たオペラ歌手で、いかにもオペラっぽい歌唱をしていました。しかしうまかったです。

 また、第2ホルンの人が、若くて元気な人で、さかんに低音域で、「かまして」くれていました。ダム(らしき人)の隣で吹いている人です。

 ピッコロについて。じつはこの演奏、倍管(指定された人数の倍で吹くこと。たとえばこの曲は木管は2管と言って、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、各2名ですが(ほかにピッコロとコントラファゴットがいます)、それが4人ずつで吹いていたということです)でしたが、そのフルート4人のうち、4人目の人が、ピッコロの担当でした。この曲のピッコロは、第4楽章の「アラ・マルチア」の箇所と、最後のプレストしかありません。まず、われわれのなじみが深くて、しかもこのシュターツカペレ・ドレスデンとは大きく違う例を挙げます。

 われわれのなじみの深い「第九」は、テレビでやっているものを挙げますと、圧倒的に、おおみそかにEテレで放送している「N響第九」ではないでしょうか。私も、あの番組を見なくなって10年くらいたちますので、10年ひとむかしですから、10年前の情報ですけど書きますね。そのころのN響のピッコロおじさまは、ほんとうにピッコロだけを持ってステージに上がってきて、その箇所まで、ずっと休み続け、いきなりあの有名なソロを吹いておられました。しかも、オクターヴ上げられるところは全部、上げていました(私もやったことがあるのでわかりますが、ベートーヴェンは、フルート・ピッコロについては、上のラまでしか出ないという設定で書いているので、いろいろ不自然な書き方がしてあります)。

 (ちなみついでに書きますと、多くのピッコロは、真ん中のDが高くて、上のDが低いという弱点があります。私の持っているブルゲローニというピッコロは、その弱点がないのですが、そのN響のおじさまも、弱点を持った楽器をご使用のようすで、ピッコロソロに出てくるDからDへのオクターヴ跳躍で、急激に顔の向きを変えておいででした。皆様も、テレビで「第九」を見る機会がございましたら、これはチェックポイントですよ。ちなみにこのピッコロのD-Dオクターヴ跳躍の出てくる曲としては、ドヴォルザークの8番があります。これもやりました。)

 さて、シュターツカペレ・ドレスデンに話を戻します。その4番目の人は、極めて慎重な人で、第1楽章からずっとフルートを吹いてきていて(2アシと言って、2番のアシスタント)、しかもピッコロに持ち替える直前は、ピッコロでフルートパートを吹くという慎重さ。もう万全の体勢でアラマルチアのピッコロソロに突入しました。すごく小さな音で、慎重に吹いておられました。よほど慎重な人なのでしょう。それともこれがこのオーケストラの特徴なのか?

 さて、シノーポリの指揮ぶりですが、極めてわかりやすい指揮で、基礎に忠実というか、アマチュアオーケストラの指揮者みたいというと変かもしれませんが、ほんとうに明解な指揮ぶりでした。また、シノーポリについては、音楽の流れが不自然ではないかと言った前評判を聞いていましたが、少なくともこの「第九」については、「おかしい」と思ったところは1か所もなく、音楽は自然に流れていきました。堂々たる終わりでした。もちろんアンコールなどもありません。一緒に行った仲間も音楽をやる仲間でしたが、思わず、この演奏会がCD化されたら買うかも、というほどの満足ぶりでした。私も非常に満足しました。こういう「招待券をもらえる」とか言ったことは、「出会い」ですからね。なにごとも「出会い」なのです。

 指揮のシノーポリ氏は、そのあと間もなく、若くして亡くなりました。貴重な演奏会を聴いたことになります。

 以上です!

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