デュトワの思い出(マーラー「交響曲第1番」)

 デュトワの指揮は、何回も聴いています。いずれもN響で、私が学生時代、デュトワはN響の音楽監督でしたので、何回も聴いているのです。とくに、私の大学からNHKホールは近く、しかも学生席は安く、しかも当日券が必ずあるので、その日の気分でも、だれかを誘っても、気軽に行けたのです。それゆえに、かえって記憶が混じってしまっているのですが、いま、当時のプログラムを手にして書いていますので、かなり思い出しながら書けます。

 1999年4月のことです。デュトワ指揮N響、プログラムはバッハ=ストコフスキーのトッカータとフーガ、ストラヴィンスキーのヴァイオリン協奏曲(ソロ:シャンタル・ジュイエ)、マーラーの交響曲第1番でした。

 ストコフスキーマニアとしては、それが演奏されるから行ったというわけでもありません。どういうわけで行ったのかも忘れましたが、とにかく演奏会も「出会い」だと位置づけていました。ストラヴィンスキーの協奏曲は、ほとんど覚えておりません。ジュイエというヴァイオリニストは、デュトワとよく共演していましたね。シマノフスキのヴァイオリン協奏曲の録音があったような。後半のマーラーの1番ですが、けっこう最近になって思うことを書きますね。シューマンの交響曲第1番も、結局、シューマンは、「春」という題をやめて出版したのに、その曲はニックネーム的に「春」と呼ばれている。マーラーの交響曲第1番も、「巨人」という題をやめてマーラーは出版したのに、あだ名は「巨人」。なんか、作曲者がかわいそうな気もするのであります。それはともかくとして、そんなことは気にしていなかった当時。じつは1997年に、私はある市民オケで、「巨人」をやっています。そのときは、最初は、「3番フルート、1番ピッコロ持ち替え」が当たったのですが、そのパートは、この曲の冒頭、かすかにラの音が鳴るなか、ピッコロで、小さな音で「ラーミー」と出なくてはならない。極めて厳しい。そう思った21歳の私は、パートリーダーにお願いし、その役を降ろさせていただいて、「4番フルート、2番ピッコロ持ち替え」にさせていただいたのでありました。これなら、ほとんどそんな繊細なことはなく、おもに第4楽章で「ぴぴぴぴー!」と吠えているだけのパートとなります。そんなことを思い出しながら聴いていると、そのN響の3番フルートのひと、そのピッコロパート、コンマ何秒か、遅れたのですよね。おそらく、小さな音を出さねばならないプレッシャーで、1オクターヴ低い「ラ」が出てしまったのでしょう。ほら!プロでも難しいじゃないか!と思ったことを思い出します。ちなみに4番フルートのかたは、「たぶんあの先生じゃないかな」と思う(おそらく)エキストラの先生で、非常にうまかったです(自信がないので、だれだかは書かないですけど)。

 さて、この曲は、最後の最後で、ホルンが起立する場面があります。なかなか視覚的効果があるので、楽しみにしているのですが、なぜかこのとき、ホルンは立ち上がりませんでした。ずっとのち、デュトワがこの曲を(N響ではないですけど日本のオケでした)指揮するのをテレビで観ましたが、そのときも、ここでホルンは立たなかったと思いますので、これはデュトワの信念なのでしょう。どういう信念かわかりませんが…。

 こんな思い出があります。以上です!

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