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セザール・フランク、コード進行の妙

 セザール・フランクという作曲家をご存じでしょうか。ご存じのかたには当たり前で申し訳ございませんが、19世紀フランスの作曲家です。ベルギー生まれですが、フランスの作曲家として扱われています。

 前にも書きましたが、私は、世の中で流れている音楽のほとんどすべては、メロディ、コード、ベースライン、すべて耳だけで採れている、という特技がございます。フランクという作曲家は、ハマる人はとことんハマるのですが、私は、自分の耳での経験から、フランクの音楽の最大の魅力は、その独特のコード進行にあると思っています。

 私も、フランクの音楽は大好きです。いろいろ挙げたいですけれども、ここでは、一般的にもフランクの2大傑作と思われていると思う、ヴァイオリンソナタ イ長調と、交響曲ニ短調について、述べたいと思います。フランクが作曲したヴァイオリンソナタはこの1曲、フランクが作曲した交響曲も、これ1曲です。それが、何回、何十回、聴いても聴きあきないどころか、ますます好きになっていくという、魔法のような曲なのです。ほんとうに、フランクの魔法にかけられたようになります。

 交響曲のほうから行きましょうか。月並みな解説としては、「循環形式が用いられている」(前の楽章の主題が、あとの楽章に出てくる)、「3つの楽章からなる」(多くの場合、交響曲は4つの楽章からなりますが、フランクのこの3楽章の交響曲がフランスの交響曲の伝統となり、オネゲルなども3楽章の交響曲を書き、ルーセルが4楽章の交響曲を書くまで、ほとんどフランスでは4楽章の交響曲はなかったなど)、「第2楽章で、コーラングレ(イングリッシュホルン)が重要なソロを吹く」などがありますが、どれもあまり本質ではない気がします。やはり、フランクの本質は、その独特のコード進行にあります。ちょっと真似できない発想です。逆に、フランクのようにコード進行したら、「フランクみたい」「フランクの真似をしたな」と言われそうです。それくらい、フランクのコード進行は独特で、しかも、ハマる人にはハマるというわけです。


 ちょっとだけ、私も、本質的でない、しかし、私独自の意見を述べておきましょう。ひとつは、オルガンを発想の基本に置いている作曲家は、ピッコロを使わないのではないかということです。フランクとブルックナーの交響曲を見て、そう思っているだけですが。2人とも、作曲の根本の発想にオルガンがあり、そして、2人とも、ピッコロを用いません。くだらない話かな。もうひとつの話題は、この曲はドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」に影響を与えているのではないか、ということです。循環形式(前の楽章の主題があとの楽章で出る)ということと、緩徐楽章でのコーラングレの活躍という点だけ見ていますが。これもくだらないかな。ごめんなさいね。


 さて、どういう演奏が、この曲にはふさわしいか。私は、この曲は、生では、学生オケか、アマチュアオケしか聴いたことがないのですが、まず、マーラーみたいな演奏はアウトだと思います。この曲を、派手に、おおげさにやると、マーラーみたいな感じになり、フランクのよさは、台無しではないかと思うのです。(マーラーの悪口ではありません。マーラーはマーラーで、すばらしいです。リンクがはれませんが「マーラーと旧約聖書」という記事をご覧ください。)CDで出ているのですと、メータ指揮ベルリンフィルの演奏が、ちょうど私が「マーラーみたい」と言っているフランクの演奏です。90年代のベルリンフィルは、絶好調で、オーケストラの鳴りはすごくよいですが、フランクのよさがどこかへ飛んで行ってしまったかのようです。


 私がすばらしいと思うフランクの演奏は、いろいろ聴いた結果、ストコフスキー指揮オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団ということになります。(国内でこの演奏は、オーケストラの名前が「ヒルヴェルスム放送管弦楽団」となっていることが多いですので、一応そのことも書いておきました。)ストコフスキーのこのときのオランダでのこの曲の録音は、3種が確認できます。①英デッカへの正式な録音(1970年)。②アムステルダムでの1970年8月20日のライヴ録音。③ロッテルダムでの1970年8月22日のライヴ録音。③のロッテルダムのライヴが最高だと思います。テンポを縦横に動かした自由な演奏で、しかも、不自然さがない。フランクの同時代人が言っていますが(記憶で書くことをおゆるしください)、フランクはオルガンやピアノを演奏するとき、テンポを非常にゆらして弾く人であり、メトロノーム的なインテンポな演奏はフランクの演奏にふさわしくない、とのことです。すると、このストコフスキーの演奏は、フランクの演奏に非常にふさわしいことになります。わけても、第3楽章で、聴こえない対旋律(チェロのディヴィジ)のホルンでの強化ののち、第2楽章のテーマが盛大に戻ってくるところでの大きなリタルダンドは、ほんとうに感動的です。なぜこの感動的なリタルダンドを、ストコフスキー以外の指揮者はやらないのか。理由は単純で、そこでフランクは、前後で同じテンポを要求しているからなのです。現代において、作曲家の書いたことは、絶対です。そこはテンポをキープせねばならないのです。ここはさすが、作曲家の書いたことにこだわらないストコフスキーにして可能な表現だったと言えるでしょう。牧師の奥田知志先生(←また出た。よほど好きだね、私)も、牧師は聖書を読んで、思ったことを話しているに過ぎないとしつつも、なんでもしゃべっていいわけではない、牧師は聖書にしばられなければならないともいいつつ、「オクダによる福音書」なるものを作って、自由にやっておられます。私は、ストコフスキーのここでのリタルダンドは、「オクダによる福音書」に通じるものがあると思います。やってはならない禁断の一線のようでいて、聴いていて、こうでなければならない!と思わせられるだけの説得力がある。当時、ストコフスキーは88歳。はじめて指揮するオーケストラだったようです。オーケストラのメンバーも、最初、ストコフスキーの指揮に戸惑ったそうですが、指揮者の意図が伝わると、ストコフスキーを尊敬するようになった、と言います。


 余談ですが、私の親友であるオランダ人のあるストコフスキーマニアは、若いころ、この演奏会を生で聴いたそうです(アムステルダムとロッテルダムのどちらを聴いたのかは知りません)。ロッテルダムのほうは1枚のCDにすべてが収録されていて、まず、ラヴェルの「ジャンヌの扇」のファンファーレ(これもデッカに録音されました)、そしてこのフランク、そして、プロコフィエフの「アレクサンドル・ネフスキー」カンタータという、ストコフスキーの得意な曲でかためられており、演奏会全体の完成度も極めて高いです。


 さて、フランクの交響曲の演奏で、忘れてはならないもうひとつの演奏を挙げます。外山雄三指揮神奈川フィルハーモニー管弦楽団による1994年のライヴ録音です。これがまた、ストコフスキーとは正反対みたいな演奏で、意固地なまでにインテンポを貫いた演奏になっています。これだと、さっきの話では、フランクにふさわしくないみたいな話になりますが、そこは芸術のおもしろいところで、この外山雄三の表現も、極めて説得力の高い、聴いて満足度の高い演奏です。いずれにしても「マーラー化」は完全に避けられています。このストコフスキーと外山雄三の、正反対のフランクの交響曲の演奏を聴いて、それが両方ともすばらしい演奏であることに驚嘆します。芸術のおもしろさです。


 さて、もう1曲のほう、ヴァイオリンソナタに参りましょう。説明の順番が逆になりましたが、ヴァイオリンソナタのほうが交響曲より2年先の作品です。これがまた、フランクの独特のコード進行の魅力にあふれた傑作で、何回聴いてもあきないどころか、ますます曲のとりこになってゆく、幸せな曲です。


 まず、交響曲と比べてすぐ気が付く点として、交響曲は3楽章でしたが、ヴァイオリンソナタは4楽章からなること、交響曲は短調の作品でしたが、ヴァイオリンソナタは長調の作品であること、やはり循環形式の曲であること(前の楽章のテーマがあとの楽章で出る)などになるでしょうか。あとはもちろん、交響曲はオーケストラの曲でしたが、この曲は、ヴァイオリンとピアノの2人で演奏する曲だ、とか。しかしこの曲の魅力は、たんにメロディが美しいとかそういうレヴェルではありません。交響曲同様、魂の底からの感動を呼び覚ます名曲です。それを支えているのが、何度も書いていますが、フランク独特のコード進行なのです。


 演奏ですが、私はたとえばボべスコ夫妻の1950年の演奏などを聴いていますが、じつは深いこだわりがあるわけではありません(このボべスコの演奏も、十二分に曲の魅力を伝えてくれる名演奏だと思いますけど)。じつは、フランクのこのソナタは、私の楽器である、フルートでもよく演奏されるのです。チェロでもよくやります。コントラバスで演奏しているところをテレビで観たことがあります。いろいろな楽器でやるのです。この曲の冒頭につけられた(ふざけた)歌詞で、「フラーンクのソーナター、むつーかしいソーナター、チェーロでーも、フルートでーも、なーんでーもひーけるー」というのがあります。ここでは、私が聴きこんできた、フルート版について書きましょう。


 まず、フルートでこの曲をレパートリーとしている有名なフルーティストを挙げます。ランパル、ニコレ、ゴールウェイ、グラーフ、パユ。これだけ挙げればじゅうぶんでしょうか。まず挙げたいのが、ニコレのフルート、ベルマンのピアノによる録音です。だいたいフルート業界というものは、あたまはぱっぱらぱあで、ひたすらフルートがうまいという、「フルートバカ」みたいな人が出世する世界なのですが(この一文で、いろいろな人を敵にまわした気がする。まあいいや)、このオーレル・ニコレというフルーティストは、珍しい「頭のいい」フルーティストです。フルートで思想が語れる稀有なフルーティストでした。レッスンで、ルターの言葉が出たという話もあります。私の楽器の先生の師でもあり、私の先生はニコレから多大な影響を受けていて、私もその影響下にありますが、そういうのを除いても、ニコレのこの演奏は感動的です。このフランクのソナタから、とてもシリアスなものを引き出しています。また、ニコレのとても調子のよいときの録音のようです(ニコレほどの名人でも、調子のいい日、悪い日があります)。
 もうひとつ挙げるとしますと、パユの若いときの録音です。ピアノはルサージュ。パユは同じルサージュと、EMIに録音しましたが(いまワーナーから出ている)、そのずっと前の録音です。パユもルサージュも非常に若い、20歳くらいじゃないかという演奏です。じつはパユは、1993年に23歳でベルリンフィルの首席奏者になって、EMIからCDを出すようになったころにはもう分別臭くなっていたと私は思っており、それより前の、ほんとうに若気の至りみたいな演奏がおもしろいと思っております。このフランクは、その、若いころのほうの演奏です。
 余談ですが、学生時代に、東京で、パユのリサイタルを聴きました。ピアノはルサージュ。アンコールにこの曲の第4楽章を吹いてくれました。


 フランクの曲は、ヴァイオリンソナタと交響曲だけ触れる、と言いましたが、せっかくクリスマスですので、最後に、有名な「天使のパン」に触れましょう。クリスマスになるとあちこちで耳にする曲ですので、「フランク」という作曲家をご存じなかったかたも、聴けば「ああ、あの曲か」と思われるでしょう。ラテン語の歌詞によるカトリックの歌曲ですが、ここでは、交響曲で名演奏を聴かせたストコフスキーの編曲・指揮によるオーケストラ版を挙げましょう(フィラデルフィア管弦楽団、1936年)。ちょっと照れ臭いような編曲ではありますが、曲の美しさをオーケストラで表現しています。

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