川瀬賢太郎の思い出①
川瀬賢太郎の思い出「①」と書きましたが、川瀬賢太郎の思い出はあとひとつありますので、とりあえずそう書いただけです。②を書くかどうかはわかりません。
あれは、今、考えてみると、おそらく、2017年6月のことだったと思います。合唱をやっている仲間が、自分の出演する演奏会に誘ってくれました。(招待券じゃなくて、割引券でしたけどね。まあよい。)指揮は川瀬賢太郎(その人のおすすめの指揮者でした)、管弦楽は名古屋フィルハーモニー交響楽団、プログラムは、ジェンキンスの「平和への道程」、バーンスタインの「チチェスター詩編」、バーバーの「弦楽のためのアダージョ」でした。バーバーは有名な曲ですが、あと2曲は知らない曲。しっかり予習をして行きました。
そして、当日。なんと、曲順は、プログラムと逆順で、バーバー、バーンスタイン、休憩をはさんでジェンキンス、でした!私は開始までそのことに気づかず、まず合唱が現れないで、オーケストラの弦楽器だけでバーバーを弾き始まるまで、逆順であることに気づきませんでした!我ながら驚きの鈍さですが、このあたりも、「文字通りにとらえてしまう」私の障害特性と言えるでしょう。とにかく、バーバーが始まりました。意外にも、この曲を、生で、客席で聴いたのは、これが唯一の機会でしょう。(自分のオケがやり、降り番だった、という経験はありますが。もっとも、この曲は弦楽器のための曲で、私はフルート(管楽器)なので、自動的に降り番になりますが。)
つぎに、バーンスタインの「チチェスター詩編」が始まりました。20分くらいの合唱曲です。バーンスタインとは、あの有名な指揮者です。そして、彼は作曲家でもある。有名なミュージカル「ウェスト・サイド・ストーリー」は彼の作品です。「トゥナイト」とか、有名でしょう?すごい音楽家ですよね。彼はユダヤ人で、ユダヤ教の聖典である「(いわゆる)旧約聖書」から、「詩編」を歌詞に取り上げて、オリジナルのヘブライ語で歌わせています。図書館のCDで予習をしました。「ヤハウェ」は「アドナイ」になっていましたね(みだりに神の名をとなえてはいけないので、伝統的に「ヤハウェ」(神の名)は、「アドナイ」(主)と読む。現代日本語の聖書でもその伝統の通り、旧約聖書の「ヤハウェ」は「主」と訳しています。関根正雄訳や岩波訳など学術的な翻訳は除く)。また、興味深いのは、その予習のときのCDで、日本語対訳が、「新共同訳聖書」(有名な日本語の聖書)そのものだったことです。普通、バッハの受難曲にせよ(ドイツ語)、ヘンデルの「メサイア」にせよ(英語)、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」にせよ(ドイツ語)、プログラムやCDに載せる日本語対訳は、日本語の聖書を参照しているものの、聖書そのものは載せられません。なぜなら、メサイアならば英語の聖書からの「重訳」であり、ドイツ・レクイエムならばドイツ語の聖書からの「重訳」だからです(聖書は、「新約聖書」はギリシア語で、「旧約聖書」はヘブライ語、ごく一部にアラム語で書かれています)。ところがバーンスタインのチチェスター詩編は、ヘブライ語そのものなので、対訳として、日本語の聖書のまるまるそのまま写しという手が使えてしまうのです。なかなかおもしろい現象だな、と思いました。
休憩をはさんでのジェンキンスの「平和への道程」。これは、こ難しい現代音楽ではなく、ショーピースというか、エンターテインメントの要素の強い音楽でした。これは、予習しようにも、CDがないので、YouTubeで予習しました。とってもおもしろい作品です。いきなりホールの横から人が顔を出して、クルアーン(?)を歌いだしたり。1時間くらいかかる長い作品ですが、まったく退屈せずに楽しめました。じつは、子どもを誘おうかどうか迷ったのですが、連れて来ればよかったと思ったものでした(プログラムからして、どんな演奏会になるか想像もつかなかったので)。とても充実した演奏会でした。(さて、このnoteの表題を「川瀬賢太郎の思い出」としましたが、果たして川瀬氏が、どれほどの指揮者であるのかは、この演奏会だけでは、あまり判断のしようがなかったというのが正直なところです。)
さて、少し、曲の紹介をしましょう。これが書きたかったようなものです!
バーバーの弦楽のためのアダージョ。バーバーの作品のなかで、最も有名な曲ですが、私には忘れられない思い出があります。この演奏会より1年以上あとのことになりますが、2018年11月22日から、私は、2度目の大ダウンに入ります。そのころ知り合っていた若い友人に、メールで、私の好きな音楽を適当に送っていたのですが、なにげなく、ストコフスキーと彼の交響楽団の演奏で、バーバーのこの曲を送ったのです。すると、平日の昼間に電話がかかってきました。私は、ある土地で、平日の昼間のある教会での祈祷会に出ていたところ電話がかかってきた、ということをよく覚えています。ものすごく共感してくれたのです!彼は、普段、クラシック音楽は聴かない人です。しかし、私が倒れる直前(どんなにつらいときでも、いや、つらいときほど、雑談は大切です)、スクリャービンの「法悦の詩」(ほうえつのうた)という、一説によれば男女の交わりを描いた音楽と言われるものがあるということに興味を示してくれて、私は(この曲もストコフスキーのおはこで、いくつものYouTube音源がありました)たくさん彼にストコフスキーや外山雄三やその他いろいろの音源を送りました。そして、バーバーのアダージョが大ヒットだったのです!考えればふしぎなものですね。この曲は、いわゆるインスト(歌詞を伴わない、楽器だけの曲)です。曲名も「弦楽のためのアダージョ」としか言っておらず、編成とテンポしか言っていません。でも、この曲の気持ちは通じるのです。バーバーはアメリカ人です。言葉さえ通じなくても、気持ちは伝わるのです。またそれから2年がたって、いまから半年前(2020年)、遠くに引っ越した彼の家におじゃますることがあり、そのときに、また、このバーバーの曲を二人で味わうことがありました。彼は、「胸が痛い。どれほどの別れを経験したのだろう」と言っていました。逆に私は普段、クラシック音楽を聴きすぎていて、そこまでの感動を言葉にできないところがありましたが、ほんとうに、「人は別れるために出会う」(アドラーの言葉)というかのような曲です。お聴きになったことのないかたには、ぜひお聴きいただきたい曲です。YouTubeで聴くなら、6分台という異例の速さで演奏しているストコフスキーの演奏が、(感動の)押しつけがましさがなくて、よいと思います。オリジナルの弦楽四重奏曲版、また、合唱版もあり、坂本龍一が編曲した二胡のためのバージョンもありますが、やはり「弦楽のための」アダージョにはかなわないようです。ふだんクラシック音楽を聴かないかたにもぜひ!
つぎの、バーンスタインの「チチェスター詩編」は、どの演奏をおすすめしてよいか、わかりませんが、よろしければお聴きください。
ジェンキンスの「平和への道程」は、これはもうYouTubeでおたのしみください。これはやはり生で聴く(観る)のがいちばんだと思いますが、とにかくエンターテインメントでたのしい。合唱業界にはこういった、エンターテインメント性のたかい楽曲がときどきあります。たとえばロイドウェバーの「レクイエム」とか(ロイドウェバーは、これまたミュージカルで有名な作曲家で、代表作に「ジーザス・クライスト・スーパースター」「キャッツ」「オペラ座の怪人」などがあります。というか、この3作だけでも、どれだけもうかっているかわからない作曲家ですよね笑)、ラッターの「レクイエム」など一連の宗教作品などがあります。実際、私の友人が、ラッターの「マニフィカート」を(合唱ではなくオーケストラのホルンパートを)やったことがあり、彼から借りたラッター作品集のアルバムで、「レクイエム」などを知ったのです。当初、読み方がわからなくて「ルター」とか読んでいました。というわけで、ラッターの「レクイエム」もおすすめしておきます。現代的で、しかも難しくなく、聴きやすい音楽です。よろしければどうぞ。
以上です!
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