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ジャック・ズーンの思い出

 ジャック・ズーンという有名なフルーティストがいます。今から十数年前の話ですが、ジャック・ズーンを生で聴く機会に恵まれました。その思い出について書きたいと思います。

 ジャック・ズーンの名前を最初に知ったのは、30年以上前、私がフルートという楽器を始めたばかりのころ、もらったCDで、ドップラーのハンガリー田園幻想曲(オーケストラ伴奏版)を聴いたときでした。あまり「うまい」という印象は持ちませんでした。いまそのCDを聴いても、あまり「うまい」とは思いませんでした。しかし、だんだん、ズーンとはどういうフルーティストかわかってきて、とほうもなく「うまい」人だとわかってきたのです。

 ズーンは、ある時期、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(オランダのアムステルダムにある超有名なオーケストラ)の首席フルート奏者でした。その時点で、めちゃくちゃうまい人ですが(じつは、このオーケストラのフルートは、だれが吹いていても、ものすごくうまいのです。のちにフェルヘイなどの名前を覚えましたが、それにしてもコンセルトヘボウでフルートを吹く人は、うまい)、あるときはヨーロッパ室内管弦楽団でフルートを吹き(ベルグルンド指揮の3回目のシベリウス交響曲全集には、レコーディングに参加した人の名前として、ズーンの名前もありました。すばらしかったです)、あるときはボストン交響楽団の首席フルートであり、なんかパユ(世界的フルーティスト)が、ベルリンフィルを一時期、退団していた2001年ごろ、ベルリンフィルの入団試験を受けて、すべっていたり(すごいですよね。ズーンほどのうまい人でもすべる。ちなみに、そのときはパユが1年半くらいでベルリンフィルに復帰。2015年ごろ、ブラウの後任としてベルリンフィルの首席になったマチュー・デュフォー(デュフール)という人がまた、めちゃくちゃにうまいです)、あと、ルツェルン祝祭管弦楽団で吹いているのをテレビで観たり(非常な名演奏であるアバド指揮のマーラーの交響曲第7番、また同じくアバド指揮のマーラーの交響曲第9番など)、また、サイトウ・キネン・オーケストラで吹いているのも観たことがあります。CDでは、コンセルトヘボウの時代にシャイーが録音したヴァレーズの作品集のなかで、フルート・ソロのための「比重21.5」を演奏していてすばらしかったり、また、同じくシャイー指揮のマルタンの作品集で、マルタンのバラード(フルートと室内オーケストラのための)を演奏していてすばらしかったりしました。そんなズーンが、生で聴けるチャンスがめぐってきたのです。

 名古屋フィルハーモニー交響楽団の演奏会でした。(よくよく思い出してみると、2009年2月13日くらいのことです。)ティエリー・フィッシャーの指揮で、プログラムは、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」より「前奏曲と愛の死」、プーランクのフルート・ソナタのオーケストラ伴奏版(オーケストラ編曲をしたイギリス人作曲家の名前が思い出せず、いま検索しましたが、どうしても見つかりません。すみません)、イベールのフルート協奏曲、プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」抜粋。

 というわけで、ズーンの出番は2曲、プーランクのオーケストラ伴奏版と、イベール。じつは、イベールの協奏曲も生で聴いたことがなかったので、「ズーンが生で聴ける」のほか「イベールの協奏曲が生で聴ける」ということも目玉でした。ちなみに、プーランクのソナタのオーケストラ伴奏版は、一生に一度、生で聴けるかどうかのもので、極めて珍しいと言えましょう。

 まず、1曲目、ワーグナーです。あれ?いきなり縦の線がずれてる…。もしかして、名古屋フィルというのは、あまりうまいオケではないのではないか…、と心配になる出来でした。

 そして、プーランクとイベール。ついにお待ちかねのズーンの出番です。プログラムを見て知ったのですが、指揮者のフィッシャーという人が、かつてヨーロッパ室内管弦楽団でフルートを吹いていた人なのです。私からすると「そんな、ヨーロッパ室内管弦楽団でフルートを吹くほどの優秀な人が、なんで指揮者になるの?もったいない」という感じでしたが、考えてみると、ズーンもヨーロッパ室内のフルーティストだったので、そのつながりで、ズーンをソリストとして呼べたのかもしれません。ズーンの吹きぶりは、たとえばパユのような(パユのソロは、学生時代に、2回、聴いています。リサイタルと、ベルリンフィルの室内オーケストラの演奏会の、2回)、「完璧な」演奏をするという感じではなく、なんというか、80%くらいの力で吹いて、残り20%は、気合いで乗り切る、みたいな吹き方をする人でした。「どうだ、オレはうまいだろう!」という雰囲気が伝わってきました(※悪い意味で書いているのではありません。「すごく自信にあふれている」という肯定的な意味で書いています)。

 非常に満足しました。後半のプロコフィエフは、よほど聴かないで退出しようかな、とも思いましたが、聴きました。ちょっと失敗でした。やはりこのオーケストラはうまいとは言えず、とくに「タイボルトの死」におけるシンバルの音の強烈さについては、耳をふさぎたいほどで、耐えがたいものでした(これから十年以上たって、再びこのオケを聴くことがありましたが、ラフマニノフの交響曲第2番で、やはりシンバルがすさまじい音を出していました。同じ人でしょう)。ただ、アンコールに、エルガーの「愛のあいさつ」をやり、だいぶ耳が「治り」ました。この日はバレンタインデーの前日で、「バレンタイン・コンサート」ということだったのです。帰りに、少し大きめのチョコをいただきました。

 さて、念願のズーンも聴けたし、念願のイベールの協奏曲も聴けたし、珍しいプーランクのソナタのオーケストラ伴奏版も聴けたし、いい思い出になりました。それから12年、だれともこの思い出を共有できなかったので、こうしてnoteで記事にしました。

 最後に、蛇足ではありますが、ズーンの名盤、イベールの名盤、プーランクの名盤をご紹介して終わりたいと思います。

 ズーンの名盤は、いろいろあるのですが、アバド指揮モーツァルト管弦楽団と共演した、モーツァルトのフルート協奏曲第2番を挙げましょう。もちろんこのころズーンはアバド指揮モーツァルト管弦楽団の首席フルート奏者であり、首席奏者をソリストとした協奏曲シリーズの一環です。ズーンの名技が味わえます。なお、アバドはこれより前、ベルリンフィルを指揮して、パユともこの曲を録音していますが、アバドのこの曲の解釈(ピリオド奏法をどのようにとらえるか)も、パユのときより進化しています。
 (なお、この曲は、私は、やったことがある、と言いましても、フルートでやったわけでもなく、レッスンで習ったこともなく、ピアノ伴奏でやったこともありません。ただ、教師であった時代に、学生ソロで、学生オーケストラを指揮したことがあるのです。これをもって、「モーツァルトのフルート協奏曲第2番をやったことがある」と言っていいものでしょうか。「バナナはおやつに入りますか」みたいな話ですね。)

 イベールのフルート協奏曲の名盤ですが、アラン・マリオンのソロによる、いかにもフランス風の、ちょっといい加減な演奏も魅力的であり、また、例のパユによる「完璧な」演奏もよいものです。また、パユのアルバムには、ハチャトゥリアンのフルート協奏曲がカプリングされており、これもまたすばらしい名曲、すばらしい演奏です(ハチャトゥリアンのフルート協奏曲は、有名なヴァイオリン協奏曲と同じ曲。ランパルがハチャトゥリアンに新作のフルート曲を委嘱したところ、ハチャトゥリアンは新作を書く代わりに、ヴァイオリン協奏曲をフルート用に編曲して演奏してよいとランパルに言いました。ランパルはハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲をフルート協奏曲に編曲して、さかんに演奏しました。つまり、ハチャトゥリアンのフルート協奏曲の「ランパル編」は、「セミオリジナル作品」なのです。このパユのアルバムにも「ランパル編」と書いてありますが、これは「編曲物」であることを強調しているのではなく、「セミオリジナル」であることを強調してあるわけです。それがCDに書いてないので、なんというか残念です。このエピソードは、ランパルの自伝『音楽 わが愛』に詳しいです。ランパルの自伝はめちゃくちゃおもしろいのでおすすめですが、残念ながらAmazon等ではとんでもない高値がついていて入手しづらい。しかし、全国の「ムラマツ楽器」には、在庫があり、定価で買えます。長い脱線でした)。イベールに戻りますと、ハッチンズの演奏や、アランコの演奏もよいです。最近のうまい人なら、だれでもいいでしょう。「フルートの神様」マルセル・モイーズの伝説的な録音もあります。モイーズって、この曲を初演しているのですが、イベールが書き上げるのが遅く、モイーズは出来たてのソロの楽譜を、初演会場へ向かう車内でひたすら読み続け、いきなり初演したという伝説があり、すごい話です。

 イベールの他の作品について少し。まずおすすめなのが、ついさっきもnoteに書きましたが、「2つの間奏曲」という、フルート、ヴァイオリン、ハープ(またはピアノ)の作品がすばらしい。リンクがはれなくてすみません。私もやったことがあります。西田直孝・山崎貴子・菅原朋子盤がすばらしいのですが、入手困難かもしれませんので、YouTubeで適当にうまい人の演奏をお聴きになればよいと思います。トータル8分くらいの短い曲です。

 それから、アルトサックス協奏曲が、超かっこいい曲です。普通、自分の楽器の曲(私ならフルート協奏曲)を推薦するものですが、これは、フルート協奏曲に匹敵するすばらしさ!ぜひお聴きいただければと思います。

 室内楽曲をもう1曲。木管五重奏のための「3つの小品」という作品です。短い作品ですが気が効いている感じの曲です。若いころ私もやったことがあります。レ・ヴァン・フランセという木管五重奏団の演奏が、「完璧」という感じの演奏で、すばらしいです。もっとくだけた演奏でもいいのかもしれません。

 オーケストラ曲を2曲、紹介します。ひとつは「寄港地」。3曲からなる組曲で、トータル15分くらいの曲ですが、近代フランスらしく、ちょっとエキゾチックで、すてきなオーケストラ曲です。演奏は、ストコフスキー指揮フランス国立管弦楽団の録音をおすすめします。これはストコフスキーがフランス国立管弦楽団に客演したときに録音したもので、この日のストコフスキーのプログラムは、前半にバッハ=ストコフスキーの「パッサカリアとフーガ」、ブラームスの交響曲第1番、後半に、イベールの「寄港地」、ラヴェルの「道化師の朝の歌」、ドビュッシーの「イベリア」という盛沢山なもので、この後半のイベール、ラヴェル、ドビュッシーが、正式に録音されました。「寄港地」の冒頭は弦楽器を伴奏に、フルートのソロで始まりますが、ソロはデュフレーヌでしょうか、非常にうまいです。ストコフスキーの演奏でなくても、どの演奏でもいいですから、よろしければお聴きください。もう1曲は、スケルツォ「妖精の郷」という短い曲で、これも気の効いた小品です。これも演奏は、ストコフスキー指揮RAI管弦楽団のライヴをおすすめしますが、どの演奏でも結構です。

 プーランクのおすすめについて、書きます。まず、プーランクのフルート・ソナタは、やはりピアノ伴奏が基本です。(なぜか、プーランクのフルート・ソナタは、フルートでない人のあいだでも好んで聴かれているようです。ピアニストは、この曲は出番ですから当たり前として、やたら、トランペットの友人や、トロンボーンの仲間が、この曲を好んで聴いているということがありました。)本来のピアノ伴奏版では、ミシェル・デボスト(フルート)、ジャック・フェヴリエ(ピアノ)の録音がすばらしい。デボストは長くパリ音楽院管弦楽団およびパリ管弦楽団で首席フルート奏者を務めた凄腕のフルーティストですが、このちょっとアンサンブルがいい加減っぽいところまで含めて、とてもよい。デボストには、イヴァルディとの再録音もあります。パユによる演奏もすばらしいですし、ランパルとヴェイロンラクロワによる録音も「これぞ模範演奏!」と言いたくなる出来です。上に、ハチャトゥリアンのフルート協奏曲の生まれた経緯を少し書きましたが、このプーランクのソナタも、ランパルの委嘱によって生まれた作品です。ランパルに感謝せねばなりません。初演はランパルとプーランク(作曲家本人)のピアノで行われ、ランパルとプーランクの録音も残っているのですが、例のランパルの自伝によると、ランパルは、この自作自演盤を好んでいなかったようすです。ずっとのちに、このランパル/プーランク本人盤を、YouTubeで聴きましたが、なるほどこれは出回らせたくなかっただろうなあ、という出来です。悪い演奏じゃないですけど。いい演奏ですけど。それから、新しい録音では、マチュー・デュフォー(デュフール)/エリック・ルサージュによる演奏がすばらしい。ほんとうにデュフォーというフルーティストはすばらしいと思います。(新しいと言っても、二十年以上前の録音かもしれませんが。ロジェとの再録音もあります。)そして、オーケストラ伴奏版も少し紹介しますと、ゴールウェイ(フルート)、デュトワ指揮ロイヤルフィルによる演奏があります。これは、それほど選択肢は多くないと思われます。近いうちに、パユが東京でこれをやるらしいですね。

 さらに、プーランクの曲を、厳選してあと2曲、おすすめします。ひとつは「六重奏曲」で、木管五重奏にピアノを加えた編成の室内楽曲です。20分弱の曲ですが、プーランクのよさが極まった感じのする名曲です。演奏は、上にも少し書いた、レ・ヴァン・フランセによる演奏がいいと思います。2種の録音があり、ホルンがコスターのものと、ヴラトコヴィツのものがあります。両方ともすばらしいです。もっと(いい意味で)くずれた演奏もありうるでしょう。そして、ヴァイオリン・ソナタをおすすめします!センス抜群の名曲です。演奏は、メニューイン/フェヴリエ盤か、コーリャ・ブラッハー/ルサージュ盤をおすすめしますが、お好きなヴァイオリニストで適当に選んでいただいてだいじょうぶです。そのほか、プーランクの曲は、チェロソナタもよく、オーボエとファゴットとピアノのトリオもよく、クラリネットソナタもよく、ピアノ曲の数々もよく、ほんとうにすばらしい作曲家なのですが、だいぶこの記事も、ほんらいの「ジャック・ズーンの思い出」から脱線していますので、このへんまでにいたします。いつか、プーランクだけで記事を書くべきかもしれませんね。

 以上です!

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