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外山雄三を讃えて⑳ ブラームス交響曲全集を聴きました

(今回は思いっきりクラシック音楽マニア話になると思います。クラシック音楽に詳しくないかたは、おいてけぼりにするだろうと思います(笑)。キリスト教の世界ではこういうのを「異言を語る」と言うのですが、まさにいまから私はマニアックな話を書こうとしています。それでもよいというかたは、どうぞお読みくださいませ。私はこういう記事は苦手なので、あまり書かないです。めったにこういう記事は書かないですよ!)


作曲家であり指揮者である外山雄三(とやま・ゆうぞう)を追いかけて四半世紀以上になります。キリスト教歴よりも長いのではないかと思います(少なくとも信仰歴、すなわち洗礼を受けるよりよほど前からの外山雄三ファンです)。最初のきっかけは私のフルートの先生が「外山雄三はすぐれていた」と言ったことかもしれません。そして、ラフマニノフの「交響的舞曲」をアシュケナージ指揮コンセルトヘボウ管弦楽団のカセットテープを聴いて感銘を受けた私は、当時、東京に住んでいましたが、外山雄三指揮仙台フィルが東京でラフマニノフの「交響的舞曲」を演奏することを知り、この曲を生で聴きたくなったのでした。当時、交際していた女の子はオーケストラと吹奏楽の二足のわらじの人でしたが、おりしも吹奏楽でラフマニノフの交響的舞曲を練習中でした。その子に「聴いてきたら?」と言われて聴きにいったのが外山雄三との出会いです。1996年のことだったと思います。以来、外山雄三のファンとなり、四半世紀以上も外山雄三を追いかけている次第なのです。私の知っているある女性は郷ひろみのファンで、ずっと郷ひろみ一筋なのですが、私の外山雄三歴も長くなりました。そして、おととしくらいから、キングレコードは、外山雄三の指揮する大阪交響楽団のCDを立て続けに発売するようになりました。私の学生時代からすると考えられないことです。関連する記事は最後にはりますね。


今回、発売されたのはブラームス交響曲全集です。悲劇的序曲も入っています。3枚組のCDです。ブラームスには4つの交響曲がありますが、いずれも傑作で、順番はつけられないほどの名曲ぞろいです。指揮者のジョージ・セルは「ブラームスの交響曲のなかでどれがいちばん好きですか」というインタビューにたいして「ピアノ協奏曲第2番」と答えたそうですが、とてもうまい返答だと思います。ブラームスの交響曲には順番がつけられないということを分かった上でのうまい返答だと思います。


ブラームスの交響曲について書く前に、カミングアウトしなければならない点が2つほどあります。とても恥ずかしいことですが、事実ですから、隠さずに話したいと思います。


第一に、私は、これだけ偉そうにクラシック音楽について語っていますが、なんとブラームスの交響曲を1度もやったことがないのです!ブラームスの交響曲4曲は、アマチュア・オーケストラをやっている人にとっては、私のように「まったくやったことがない」などという人は珍しいほど、ひんぱんにやる曲たちでありまして、「ブラームスの交響曲をやったことがないなどというのはモグリではないか」と思われてもしようがないのです。それは、私のオーケストラ経験があまりにも中途半端だからだと言わざるを得ません。中学の3年間、吹奏楽をやり、高校の3年間、オーケストラをやり、大学オケも2年と1か月弱でやめていますし、そのあとある市民オケに1年くらい在籍し、そのあとある市民吹奏楽団のエキストラに1年行っていた時期を除くと、なにかの団に所属しながらオーケストラ活動をする機会というものはなかったのです。アマチュア・ソリストでした。そして、16年前に学校に就職をして、そこのオーケストラ部の顧問となり、11年間の顧問としての仕事の期間のうち、最後の3年間だけ指揮者をしました。それらが私のオーケストラ経験のすべてになります。ブラームスの交響曲は「降り番だった」ことが何回かあります。大学に入ってすぐの年、4番と2番が立て続けに演奏されましたがいずれも降り番でした。ずっとのち、中高のオケの顧問になってから、1番をやったことがあるのですが、それももちろん降り番です(ライブラリアンとしてずいぶん楽譜のコピーをさせられましたけど、それはやったうちに入るまい)。そのようなわけで、私はブラームスの交響曲をやったことはありません。この外山雄三の全集には「悲劇的序曲」という、十数分のオーケストラ曲が入っていますが、この曲はやったことがあります。とても難しい曲でありました。まだ私はブラームスの「悲劇的序曲」の記事を書いたことはなかったと思います。いずれ書きたいという希望はあるものの、私のクラシック音楽オタクネタの記事はあまり読まれず、労多くして益少ない気がしてなかなか書く気が起きないものです。もう少し、クラシック音楽マニアのフォロワーさんとも仲良くしないとダメかなあ?


そのようなわけで、私が高校まででブラームスの音楽を演奏したのは、高1のときの「ハンガリー舞曲第5番、第6番」だけだったと思います。ずっとのちに、ハンガリー舞曲第5番は、指揮者として取り組むことになりました。その記事も少し最後にリンクをはりますね。


第二に、私がブラームスのよさが分かったのは、なんと大学に入って後です!これは恥ずかしくてなかなか書けないことであった!高校までにやったことのあるブラームスの作品は、いま書きました通り、ハンガリー舞曲の第5、6番だけだと思います。ハンガリー舞曲はもちろん名曲ですが、交響曲のような「本格的な」ブラームス作品とは少し趣が異なるのは確かだと思います。そして、高校までに住んでいた田舎には、プロのオーケストラは存在せず、アマチュアのオーケストラで何度もブラームスの交響曲を聴いています。はっきり覚えているのは、1番と2番を客席で聴いたことです。いずれも、よさはわかっていなかったのです。私はよく「マーラーのよさがわかっていなかった」「ブルックナーのよさもわかっていなかった」という記事を書いていると思いますが「じつはブラームスのよさもわかっていなかった」という記事はほとんど書いていないと思います。はじめてブラームスのよさに目覚めたときのことを書きます。大学に入ってすぐです。東京の大学であったため、私の田舎とは比較にならないほどたくさんの情報が東京にはありました。いまでこそインターネットが発達して、どれほど田舎でも情報は手に入るのかもしれませんが(とはいえやはり生の出会いというのは大きく、「どこに住んでもいっしょ」というわけにはいかないと思います)、当時は、音楽を聴くとしたらラジオかテレビかCDくらいしか手段がなかったものです。

そんなときに購入したレオポルド・ストコフスキー指揮ロンドン交響楽団によるブラームスの交響曲第1番のCD。(少しマニアックな話をしますと、有名なデッカのライヴ録音と同じ日付が書いてありますが、異なる演奏です。どのデータが正しいのか、私にはわかりません。ジョン・ハントというマニアの書いた本によると、1972年6月14日ライヴが私のそのときのCDで、デッカの録音は6月15日だと書いてあるのですが…)とにかくそのCDを聴いて、私は衝撃を受けました。パウロがダマスコへ行く途中で復活のキリストに出会い、「回心」するという話が新約聖書の使徒言行録に出て来ますが、あのときのような劇的な「ブラームス開眼」であったと思います。いったんブラームスの音楽のよさに目覚めてしまうと、その音楽は極めて魅力的であり、ブラームスのよさを理解できなかったころの自分が理解できないほどになります。ただし、ブラームスのよさというのは少し特殊なのかもしれません。私は高校のオーケストラで、ドヴォルザークの交響曲第7番、チャイコフスキーの交響曲第2番、そしてムソルグスキー=ラヴェルの「展覧会の絵」などを演奏してきました(「展覧会の絵」は私にとってあまりにも大切な作品すぎて、まず記事を書くことができないでいます。一生、「展覧会の絵」の記事は書けない気がしています)。そういう作品の持つとっつきやすさとは少しブラームスの音楽は異なるのです。つい昨年(2021年)の出来事を書きますね。私の友人が、ヴァイオリンの発表会で、ブラームスのヴァイオリンソナタ第2番の第1楽章を演奏しました。聴きに行きたかったですが、私自身がその日は発表会での本番であり、行けませんでした。彼は、ブラームスのよさがわからないということを前からつぶやいていました。彼の発表会での演奏は、共通の友人が録画しており、それを聴くことができました。彼が、ブラームスのよさを理解していないことは明らかでした。聴けば手に取るようにわかるのです。うまい/へたとは異なります。その人がその音楽を理解して弾いているかどうかというのは、わかるものなのです。彼の名誉のために付け加えておきますが、彼の弾くバッハは抜群です。彼はバッハの音楽は完全に自分のものにしています。彼のバッハは並みの音大生の弾くバッハよりもずっと聴きごたえがあると思います。でも彼はブラームスのよさを理解していませんでした。


ブラームスのよさとはなにか。それを私がここで言葉で表すことなど不可能なのはわかっているのですが、ある友人にブラームスの音楽を聴かせて、感想をもらったときのことを書きますね。これも私の長い音楽活動のなかでは比較的最近の話になりますが、数年前に、ブラームスのピアノ曲である「間奏曲op.118-2」と「間奏曲op.117-1」あたりを聴かせたときに彼は「ブラームスやばいです」と書いてきました。彼が普段、好んで聴いている音楽はヒップホップであり(彼が「ヒップホップ」と言っていたと思うので、そう書いているだけです。私はクラシック音楽以外には詳しくないため、ほかに書きようがありません)、私が2018年の「第2回ダウン」のころに彼にYouTubeのリンクをはって最も気に入ってもらえた音楽は、バーバーの「弦楽のためのアダージョ」でした。彼がバーバーの「弦楽のためのアダージョ」とか、ブラームスの「間奏曲」などに聴いていたものは「さびしさ」「孤独感」であったと言います。自分の孤独さに耐えている人の音楽。「出会い」があれば「別れ」があります。彼といっしょにバーバーの「弦楽のためのアダージョ」を聴いたときに彼は「どれほどの別れを経験したのだろう」と言っていました。さきほどからブラームスではなくバーバーの話ばかりになって恐縮ですが、ブラームスの音楽も同様ではないかと思います。ブラームスの音楽のどこがそういう要素を感じさせるのか、私にはまだ言語化できていません。和声進行だと思うのですが…。


とにかく、私がブラームスの魅力に開眼したのは大学1年のとき、そのCDを聴いたときであり、それからのち、私はブラームスの音楽のよさがわかったのでした。


なかなか外山雄三の話にならなくてすみません。きょうはブラームスの話をするつもりで書いています。ブラームスの交響曲は、ほどなくして先ほどのストコフスキーがフィラデルフィア管弦楽団を指揮した交響曲全集を買いまして、かなりハマりました。(いまは売っていないようです。著作隣接権の保護期間の終了したストコフスキーのブラームスの交響曲4曲の録音を2枚くらいにまとめたCDが売られているのを見ることがあります。YouTubeにあるのは玉石混交しています。ストコフスキーのブラームスでも当然ながら出来不出来はありますので、あまり紹介したくはないものもあるわけです。)「ブラームス交響曲全集」のCDを買うのは、それから四半世紀以上くらいが経過して、2回目だと思います。それくらい外山雄三は私にとって特別な音楽家です。


ストコフスキーのブラームスについては記事を書いたことがあることを思い出しました。最後にリンクをはりますね。本日と同じような話をしている可能性があります。ごめんなさい。


「私の好きなブラームスの音楽」というテーマで記事を書こうとするとどうしてもキリがなくなる気がします。ここでは、外山雄三の全集に含まれている「4つの交響曲」と「悲劇的序曲」の5曲だけにしぼって書きたいと思います。


最初に思ったことを正直に書きます。外山雄三のブラームス全集を、それこそ正座して1回限りの演奏会を聴くつもりで聴き、そしてディスクとしての仕上がりを思うとき、「これはブラームスの交響曲の演奏として、必ずしもベストと言えるものではない。とくに初めてブラームスの交響曲を聴く人に向いている演奏だとは言い難い」ということでした。もちろん私のなかで価値ある全集ですし、それはゆらがないのですが、どうもこれは「通向け」である気がします。通をうならせるタイプの演奏であって、「初めてブラームスの音楽を聴く人にその魅力を伝える演奏かどうかはわからない」ということです。人それぞれ個人差がありますから、それは人によるのでしょうが…。私はこれでもブラームスの音楽の魅力に開眼してから四半世紀は経ちますし、どのようなブラームス演奏でも受け入れられるようになって久しいですが、やはり私の好きなブラームス演奏は、最初の「恩人」であるストコフスキーのような「あっさりしていて、濃くない」演奏であることは確かであるようです。ピアノ曲もペーター・レーゼルのような演奏が好きです。私のあるテューバの友人が、しきりにブラームスの交響曲第4番をすすめてきたことがあります。ブラームスの交響曲でテューバが使われているのは2番だけで、あと悲劇的序曲にも使われています。この話は20年くらい前の話だと思いますが、彼はオケで「悲劇的序曲」をやることになり、CDを購入したところ、そのCDには交響曲第4番が含まれており、彼はそれに感激したようなのでした。彼からそのCDを借りて聴きましたが、たしかジュリーニの指揮する(オーケストラは失念しました)演奏であり、極めて重々しい演奏なのでした。これは、比較的最近、ナクソス・ミュージック・ライブラリ(NML)で聴いたクルト・ザンデルリンク指揮ベルリン交響楽団の全集でも思ったことですが、私にとってはあまりにも重々し過ぎます!でも、これこそがブラームスだと思っている人は多いですし、人それぞれだと思いますので…。(ナクソス・ミュージック・ライブラリは、おもにクラシック音楽を聴けるサービスのひとつであり、サブスクと言われるそうですが、私は近所の図書館で無料でNMLの会員になっているので、かなりいろいろな音源が聴き放題になっています。それでも私は数年に1度、実際に図書館に足を運び、会員の継続の手続きを取らねばなりませんが、東京や神奈川の一部の図書館では、完全にオンラインですべてがすむ図書館があるみたいですので、ご存知なかったかたで興味のあるかたはお試しくださいね。)


交響曲第1番から参ります。通称は「ブラ1」です。(これに限らずアマチュアは「ブラ2」「ブラ3」「ブラ4」と呼んでいますが、茂木大輔さんの本で、プロではそうは言わないらしいことを読んだことがあります。ではプロは何と呼んでいるのか知りませんが、われわれはこれらの略称を用いるものとします。)最も好きな演奏は先述のストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団の1927年4月の最初の録音です。すなわち100年近く前の録音ですが、当時の技術の最高水準を駆使して録音されているので、いまでも充分に鑑賞の価値があります。フィラデルフィア管弦楽団のうまさと、ストコフスキーのねばらない指揮がこの曲の本質をとらえています。私はオーケストラの顧問であったある日、音楽室のピアノで好き勝手に有名・無名なオーケストラ曲を弾いていました。私は耳だけで音楽が聴き取れているので、可能なわざです。部員のひとりが「ブラ1」と言いました。すぐに私はこの曲の冒頭をピアノで弾き始まりました。ブラ1をピアノで弾いたのは初めてだったと思いますが「おお」という感じになったことを覚えています。私はダメ教員でしたが、オーケストラの諸君からは、圧倒的な知識と圧倒的な耳の良さで、一目置かれていました。ところで、ブラームスはこの冒頭を8分の6拍子で書き、そして、ウン・ポコ・ソステヌートと書いています。つまり少しねばるように書いているわけですが、多くの演奏は「ねばりすぎ」に私には思えます。何度となく聴いた東大オケの後輩の皆さんの演奏、また、学生時代に聴いたスヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団の生演奏も、ねばっていたと思います(あとでリンクをはりますね)。カラヤン指揮ベルリンフィルの有名な録音もねばっています。ただしこの傾向には反動があるようで、私は実際に聴いたわけではないのですが、ある人が斎藤一郎さんの指揮するブラ1を生で聴き、冒頭のテンポがあまりにあっさりし過ぎていてがっかりした、とブログに書いているのを読んだことがあるのです。しかし、私はこのストコフスキーの100年近く前の演奏が好きです。これはブラームスが生きていた時代によほど近い演奏だと言えるでしょう。


第2楽章は極めて美しく、とくに最後にヴァイオリンのソロが出るあたり、そしてホルンのソロが出るあたりは感動的です。(どうして高校まで私はこの曲のよさがわからなかったのだろう。)第3楽章をへて、第4楽章にはとても勇壮なフルートのソロがあります。ときどき私も「名曲ざらい」をしてしまうフレーズです(恥ずかしい)。トロンボーンのコラールがあり、弦楽器に有名なメロディが出ます。このメロディは讃美歌になっています。「すべてのもの統(し)らす神よ」という讃美歌です。私の教派では、『讃美歌21』という曲集になってからこの讃美歌は不採用になったので、歌われない讃美歌になってしまいましたが、それでも私の教会のオルガン奏楽者は好んでこの礼拝前奏曲を今でも弾きます。十数年前の話ですが、いまの教会のある仲間に、この讃美歌の元ネタである「ブラ1」を聴かせてほしいと言われ、ストコフスキー指揮ロンドン交響楽団(いままで出て来たどの演奏とも異なる、デッカの録音でした)を聴かせたことがあります。当時はYouTubeみたいなものがなかったのですね。


外山雄三の演奏は、先述のカラヤンを思わせる重々しいスタートをします。現代の(斎藤一郎さんのような)流行りからは遠いスタートです。意固地なまでにインテンポを守っています。私はオケの指揮者の経験もあるわけですが、指揮者をやってみて、あらためて外山雄三の偉大さがよくわかりました。「外山雄三ってそんなにすごいの?」と思っておられるかたには「腹ぺこがすごいと言っていて、もう四半世紀も外山雄三を追いかけている」というところに外山雄三のすごさを感じていただけたら、と思っています。外山雄三は今年91歳になりますが、まだまだ元気であるようで、少しでも長生きして、これからもますます活躍してほしいと思っています。じつは、外山雄三のブラ1を聴くのは四半世紀ぶりの願いでした。東京時代、「N響特別演奏会」で、外山雄三指揮、前半にモーツァルトのフルートとハープのための協奏曲(フルートは工藤重典さん、ハープのソリストを失念)、後半にブラ1といいうものがあり、行きたかったのですがなぜか行けず、悔しい思いをしていたのです。ここで少しだけ東京以外の町にお住まいのクラシック音楽ファンにお伝えしたいことがあります。私もいまは地方に住んでおりますので、東京に住んだ感じとの違いを実感しますが、N響は東京のプロオケのなかでも突出して有名なのは、放送オーケストラだからでありまして、定期演奏会のほとんど(すべて?)が全国放送されているからです。東京においては、N響は、たくさんある(私の住んでいたころで9つ。いまは7つくらい?)プロのオーケストラのひとつという位置づけであって、東京にはたくさんのプロオケがあって、ホールもたくさんあり、ひっきりなしに世界中の有名なオーケストラが来日して、みなさん切磋琢磨なさっているのです。そして、N響は、定期演奏会よりも、このような「N響特別演奏会」みたいな演奏会のほうが客の入りはよく、また、外山雄三さんのような指揮者はおもに「特別演奏会」みたいなものの指揮を任されているのです。地方に住んでいると「外山雄三ってN響の正指揮者のはずなのに、まずテレビで見ないな」と思われる可能性があるのですが、そのようなわけで、外山雄三はN響も数多く指揮しています。長い脱線はおしまいです。それ以来の外山雄三のブラ1でした。意固地なまでの楽譜に忠実な外山雄三に期待していたことがあります。第4楽章の285小節前後でブラームスは一切のテンポの指示を書いていません。しかし、私の知る限り、あらゆる演奏はここでテンポを動かします。少しゆっくり目になるのです。完全なインテンポで行く演奏は聴いたことがありません。そして、外山雄三も少しテンポが自然にゆれました!これが外山雄三の一筋縄ではいかないところで、いい意味で裏切られました。若いころの外山雄三の演奏も聴いてみたかったものです。一度は「完全なインテンポ」の演奏をしたことがあったに違いあるまいと思います。


そして、第4楽章のラストのコラール、407小節以降ですが、多くの演奏がここでテンポを落とします。ストコフスキーは大幅に落とします。ここはたまにインテンポで行く演奏もあります。先述の生で聴いたスヴェトラーノフがそうであり、また、あるときテレビで見たアーノンクール指揮ベルリンフィルもインテンポで行きました。外山雄三はまたも期待を裏切り、少しテンポが自然に動きました!やはり一筋縄ではいかない指揮者だと思います。


ブラ1で、ほかに私が「すごいな」と思った演奏を少し挙げます。まず、多くの人が「これはすごい」と言っているものなので、あらためて私が言う必要もないことでしょうが、シャルル・ミュンシュ指揮パリ管弦楽団の演奏がすごいです。オーケストラの音の密度が濃く、本気度の高さを感じさせられます。レコード会社の作戦だと思いますが、少なくとも当時は、ドイツの曲をドイツのオケが録音し、フランスの曲をフランスのオケが録音し、ロシアの曲をロシアのオケが録音する傾向にありました。この録音は、ドイツの曲であるブラ1を、フランスのオケが録音している稀有な例です。フルートはデボストであると考えられ、極めてうまいです。もうひとつが、往年のベルリンフィルの首席フルート奏者であったオーレル・ニコレが「ブラ1の指揮者はフルトヴェングラー以外に考えられない」と言っている点で、私も学生時代からいくつかのフルトヴェングラー指揮のブラ1を聴きましたが、「すごい」と思うことが何度もありました。


もうひとつ、久石譲指揮フューチャー・オーケストラによるブラ1を聴いたことがあります。これはNMLで聴けます。これは外山雄三とは正反対に最新のスタイルの演奏であり、久石譲の指揮者としての才能も実感させられるすぐれた出来栄えです。おそらく久石譲はブラームスの交響曲はすべて録音していると思われるのですが(いや、第1番だけなのか?)、NMLで聴けるのは1番だけのようです。


ブラ1は、来月、この近辺の大学に進学して、ヴァイオリンを続けている元教え子が、やることになっています。彼は昨年、そのオケでコンサートマスターも勤めましたし(その演奏会は聴き損ねた!なんということ)、このブラ1では学生指揮を務めると聞いています。いい曲は何回聴いてもいいものです。金欠ですが、彼には招待券を用意してもらい、また、歩いて行ける距離にあるホールなので、ほんとうに1円も使うことなく、その演奏会は聴ける予定です。楽しみです。


第2番の話です。先述しましたが、この曲は、ブラームスの交響曲のなかでは唯一、テューバの使われる曲です。他の3曲は、その代わりにコントラファゴットが管楽器の低音として使われています。この点をまさに外山雄三がテレビで言っていたことがあり「このブラームスの第2番は、コントラファゴットでなくテューバが使われていて、重い響きがする」と言っていました。「重い響きがする」かどうかは私にはわかりません。外山雄三さんが指揮者として、また作曲家として大変に有能なのは知っていますが、私はテレビやラジオのコメンテーターとしての外山雄三はあまり評価できないと思っています。アマチュア・オーケストラをやっている人には「ブラームスの2番をやったことがありますか」という質問よりも「ブラームスの2番を何回やったことがありますか」という質問をして、その期待値を計算したほうが適切ではないかと思うくらいに、アマオケがよくやる曲です。その最大の理由のひとつが、この「テューバとコントラファゴットの問題」であるように感じられます。ブラ1のような「張り切りすぎ」みたいな始まりかたをせず、ゆったりと音楽は流れていきます。これが本来のブラームス節なのかもしれません。第1楽章の最後のほうに極めて美しいホルンのソロがあります。まさに外山雄三さんの指揮するN響で、すばらしいホルンソロを聴きました。指揮者の早川正昭さんが、私の高校時代にこの曲をあるアマオケで指揮し、ヴァイオリンを対向配置にして絶妙の効果を上げているのを聴いたのですが、あのころはブラームスの良さがわかっていなかったのだ…。第2楽章はシャープが5つある調の曲です。ある年の音大の入試で、ある曲のピアノスコアを読ませる問題が出たと、あるピアノの先生から聞いたことがありますが、その問題を見ると、このブラ2の第2楽章の一部でした。第3楽章を経て、第4楽章はドラマチックでとても盛り上がります。きのうも、外山雄三さんの指揮するブラ2の第4楽章を聴いていて、目頭が熱くなったものです。ほんとうに美しい曲です。この「最後が盛り上がって終わる」というのもアマオケの選曲の大切な点で、途中が多少へぼでも、最後に盛り上がって終わる曲というのはなにかとやりやすいものです。(ブラ3はそういうわけにいかないので、あれはなかなか選曲されないのです。)


この一連の「外山雄三指揮、大阪交響楽団CD」のなかで、私が「実際に外山雄三の指揮する生で聴いた曲」というものはいままでなく、CD化はありがたいチャンスだと思って聴いていたのですが、このブラ2、ブラ4は、あるのです。その記事も最後にリンクをはりますが、「N響特別演奏会」でした。じつは「前半にブラ2、後半にブラ4」というプログラムだったのですが、これは外山さんのプログラムではなく、ローレンス・フォスターという指揮者が来日して振るはずだったのが、ローレンス・フォスターは怪我をして外山さんが代打で登場したのです。「怪我の功名」です。外山さんは当時のブログで「自分ならこういうプログラムには絶対にしない」と書いていました。(ちなみに同じようなタイミングで、尾高忠明さんの指揮するブラームスの3番、1番という演奏会がありました。これもローレンス・フォスター氏の代役である可能性が高いですね。つまり、フォスター氏は2晩でブラームスの交響曲をすべて指揮する気だった。)あるときテレビで海外のあるオケの来日公演の模様を放送する番組があり、外山さんがコメンテーターだったのですが、そのプログラムは前半にブラームスのピアノ協奏曲第2番、後半にブラ2で、外山さんの第一声は「自分ならこういうプログラムにはしない」というものでした。ところがこの大阪交響楽団のライヴ録音は、2番と4番が同じ日に収録されており、調べるとこの2021年10月22日というのは、「前半にブラ2、後半にブラ4」という、私がだいぶ前に聴いた演奏会と同じプログラムでした。これは外山雄三として果たして納得のいくプログラムであったのかどうかはあやしいと思っています。このブラームス全集の完成を急いだレコード会社の都合だったのでは?


先述の通りブラ2はアマオケのよくやる交響曲のひとつであり、思い出すと、東大オケで数限りなく聴いたほか、女子学院でも聴いたことがあり(中高のオケを聴く機会はそう多くはなかったです。教会学校に来ている生徒さんの出演する演奏会でした)、とっさにいま思い出さないだけで、たくさん聴いたはずです。プロではN響でヤノフスキ指揮で聴いており、その日のことはまだ記事にしたことがないみたいですので、いずれ書きますね。


私の好む演奏は、ストコフスキーの壮年期のライヴ録音です。ストコフスキーはだいたい生涯に2回、録音している曲は「超得意」と言ってよいと思いますが、このブラ2にかんしては、最初の1929年4月の録音も最後の1977年4月の録音も(悪くはないですけど)真価を発揮していません。やはり、1951年7月5日のコンセルトヘボウ管弦楽団ライヴ(アムステルダム)、その直後の1951年7月16日のバイエルン放送交響楽団ライヴ(ミュンヘン)が好ましいです。当時は紙媒体しかなかったはずなので(PDFファイルなんて存在しない時代ですよね)、ストコフスキーは同じツアーで同じパート譜を持ち歩いていたと考えられます(いずれも客演です。ストコフスキーの本拠地はアメリカにありました)。ブラ2はストコフスキーのこの時期の「客演レパートリー」の大切な1曲であり、ウィーンフィルでも取り上げています(前半がモーツァルトの40番。なんだかカルロス・クライバーみたい)。とくに私は20年以上前にはじめてコンセルトヘボウ管弦楽団ライヴを聴いたときの鮮烈な感動が忘れられません。


ストコフスキーのブラ2は、クラシックマネージャー(クラマネ)という無料のスマホアプリで聴けます。2022年4月13日現在、上述のバイエルン放送交響楽団ライヴが聴けます。クラマネのわかりにくいところは、オケの曲で言うと指揮者の名前しかわからず、オーケストラ名も録音年月日もわからないところですが、CDを持っていて数えきれない回数を聴いている私が言うのですからどうぞ信じてください。


外山雄三は、意固地なほど楽譜に忠実に演奏して、聴くものをうならせます。第4楽章の最後、373小節あたりで大幅にテンポの落ちる演奏がありますが、さすがにこういうところでも外山雄三はインテンポでいきます。それはかつてN響で聴いたときもそうでした。オケの皆さんも「外山語法」は完全に理解したうえで演奏していました。有名な演奏では、オーマンディがインテンポで行きます。ストコフスキーは大幅にテンポを落とします。そして、408小節みたいなところは、外山雄三は若干のすきまをあけるのです。このあたりが外山雄三の一筋縄ではいかないところです。N響でやったときも「間違って飛び出しそうだなあ」とヴィオラの店村眞積さんが言っていたと外山雄三はブログに書いていました。今回の大阪交響楽団さんも、飛び出している人がいますね。


第2番で、印象に残る他の演奏を挙げてみます。「20世紀の大指揮者」みたいな映像作品のVHSを持っていたことがあります。いまもDVDにして持っているはずです。それはストコフスキーを見たかったというだけの理由で買ったのですが、ブルーノ・ワルターの晩年のリハーサルが入っていました。ワルターは椅子に腰かけて、まずホルンやトロンボーンの首席奏者を確認してから、第1楽章の頭から振り始めました。なかなか見ごたえのある映像ですが、上述のクラマネというアプリでは、著作隣接権の保護期間の終了した古い演奏を、無料で聴くことができます。そのなかにあったワルター指揮のニューヨークフィルのブラ2はすごかったです!ブラームスの本質をつかんでいるとしか言いようがなかったですね。408小節には大幅なすきまをあけていました。いまのクラマネでこの演奏が聴けるのかどうかはわかりません(よく仕様が変わります)。それから、バルビローリ指揮ウィーンフィルも美しい演奏です。


第3番についてです。これは、ほかの3曲と違って「ジャーン!」と終わるのではなく、木管楽器の静かな和音で終わるところが嫌であり、難しいところです。最初に書きました通り、私はブラームスの交響曲を1回も演奏したことのない「モグリ」ですので、そんな私が難易度について語る資格はないと思うのですが、実際、東大オケのように緻密な選曲をするオケが、さっぱりこの曲を選曲しないところを見ると「よほど難しいのだろうな」と想像はできます。(やりたい人は当然、たくさんいるはずです。)ストコフスキーのような「この1曲にかける」タイプの音楽家は、「○○チクルス」「○○全集」といった演奏のしかたはしないものですが、珍しくストコフスキーはブラームスの交響曲は4曲ともレパートリーであり、すべてに録音を残したのでした(ストコフスキーはベートーヴェンの交響曲もすべてレパートリーでしたが、現時点で、どうしても「第1番」だけ録音が見つかりません。また、シューマンの交響曲もすべてレパートリーだったみたいですが、録音が残っているのは2番と4番だけです)。しかし、3番は指揮者にとっても難しい曲のようで、ストコフスキーの独創的なアイデアに満ちたブラ3も、必ずしも成功しているかというとわかりません。この曲も生涯に2回、録音しているので「間違いなく得意だった」曲ですが…。ヒューストン交響楽団を指揮した2回目の録音がなかなかよいです。この演奏はYouTubeに安定した動画があり、それでも聴けますね。この曲でストコフスキーにあきたらない私は、ときどきクナッパーツブッシュの指揮で聴きます。クラマネにもあります。ただし先述の通りオケや録音年が不明です。クナッパーツブッシュのブラ3は、とてもゆっくりですが、嫌な感じを受けません。この曲、冒頭の4分の6拍子のテンポをどう取ってもさまにならないという点がありまして、ストコフスキーはテンポを随時、変更しつつ進めています。よくない例としてシャイーの録音を挙げますと、これはかなりゆっくりしたテンポを取って全体を統一しようとしたのでしょうが、私には間が抜けているように感じられました。


そこで、外山雄三です。速めのテンポを取っています。賢い!もちろん、外山雄三はストコフスキーとは正反対のような指揮者ですから、ストコフスキーのような演出とは無縁です。第2楽章のアンダンテも速めのテンポを取っており、賢いとしか言いようがないです。外山雄三の長年の経験がものを言っている気がします。第4楽章も、私がさっきからたくさん挙げている「大昔の巨匠指揮者」ではない証拠に、「出だしは遅くして、徐々にテンポを上げる」というような演出はしていません。第1番のときに少し述べた久石譲のような演奏はおそらく現代の主流となっているはずで、私ももう少し現代のブラームス演奏の主流をきちんと調べてこういう記事を書いたら、もう少しマシな記事が書ける気もするのですが、とにかく外山雄三は現代の流れなどまったく気にせず、独自路線を進んでいるようです。


第3番を生で聴いたのは、おそらくワセオケ(早稲田大学交響楽団)で複数回、聴いたという経験です。「よくそんな難しい曲をやるなあ」というのが正直な感想であり、ワセオケが東大オケと違ったのは、そういう難しい曲を取り上げるところでした。(東大の特徴は、きちんとできる曲を選んで、精緻に仕上げるところだと思います。) それから、東大オケのOBオケで聴いたこともあります。これは現役東大生のオケではなく、何十年も前に東大生だった皆さんも含めているオケでありまして、「普段、やりたいけれどもなかなかできない曲をこの機会にやってしまえ」という感じであったので、ほかにラヴェルの「道化師の朝の歌」とか、ストラヴィンスキーの「春の祭典」といったとほうもない曲が入っている演奏会でした。この日の思い出を記事にしたことはありませんね。よく覚えているので、いつか書きたいです。


第4番の前に「悲劇的序曲」の話をします。この順で外山雄三の全集は収録されているからです。要するに私はこの曲だけやったことがあり、そのあまりの難しさにびっくりして苦労した曲です。しかし、本番だけ非常にうまくいったので、この曲については、あらためていつか記事を書きたい気持ちがあります。この曲はそのあまりの難しさゆえだと思いますが(アマが難しいものはプロも難しいことを知っています)、なかなか生で聴く機会はなく、実際に私はこの曲を客席に座って聴いたことはないと思われます。CDでもなかなか聞かない曲であるため、たまに聴くと当時の懐かしい思い出のよみがえる曲です(あまりいろいろな記憶に上書きされていないということです)。なかんずく中間部の弦楽器のきざみと、私のフルートおよびファゴットのユニゾンをあわせるのが難しく、そこをあわせるためだったのかもしれませんが、指揮の先生は極めて遅いテンポを取っておられました。そんな演奏はほかに聴いたことがないというほどです。しかし、この外山雄三は違いますね!徹底的に遅いテンポで、大阪交響楽団をきちんと演奏させています。大阪交響楽団が指揮者として外山雄三を招いたのは、それまで「珍曲路線」だったこのオケ(テレビで見たことあります。すごい珍曲をやっていました)を、このような「ベートーヴェン」「チャイコフスキー」「ブラームス」といった基本的なレパートリーで「しごいて」くれる指揮者を呼びたかったことがあったらしいことは聞いていました。ブログ仲間で大阪に住んでいる人がおり「うらやましいですね!」という話をしたのを覚えています。大阪近辺に住む東大オケの親友が「大阪フィルは知っているけど、大阪交響楽団って知らないなあ」と言っていたので、地元でもあまり有名なオケではないのかもしれません。私はそもそも関西のオーケストラは、プロアマ問わず、いっさい生で聴いたことがないと思います。大阪フィルのオーボエには、東大オケの先輩がいるのにね…。(みんなのあこがれの先輩でした。プロになってしまわれた。サインをもらわねばならない。)


「悲劇的序曲」にはストコフスキーの録音もあります。最晩年のナショナル・フィルを指揮した録音です。基本的にあっさり路線で、ねばらない、濃くないブラームスを追究していることははっきりしていますが、そこまで名演奏だとも思いません。とにかく難しい曲なのでしょう。これからも私はこの曲をあまり聴かない可能性があります。


第4番の話をします。この曲も、高校時代から実家にあったカセットテープで聴いていたはずですが、よさが理解できていなかった曲です。さきほどから書いています通り、私の好みのブラームス演奏は「テンポは速めで濃すぎない」というものでして、あまり深刻にやってほしくないのです。さきほどちょっと挙げた、ザンデルリンクやジュリーニという演奏は、まさに重々しくブラ4を演奏する代表みたいに私には感じられるため、私としてはブラームスのよさをスポイルされた感じです。好みは人それぞれですけど。したがって、ストコフスキーの演奏が私にとって最高になります!ストコフスキーのラストコンサート(正確には1975年にヴェニスで登場してしまったので、それがラストコンサートなのですが。だから「ロンドン告別コンサート」と言われています)でもストコフスキーはブラ4を選曲、とてもすばらしい演奏になりました(同時に行われたビクターの録音はまったくよくありません)。しかし、やはりストコフスキーの壮年期の録音がすぐれているのでありまして、ストコフスキーのブラ4を聴くなら、1941年11月のNBC交響楽団ライヴが素晴らしい出来栄えですね。すなわち、私にとって最もすぐれたブラ4がこの演奏であるわけです。オケもものすごくうまいです。第1楽章の最後はストコフスキーは必ずアッチェレランドしますが、これは抜群の効果があり、第3楽章の速いテンポで突き進むやりかた、第4楽章のひとつひとつの変奏のたくみな描き分けにしても、これ以上は考えられないほど充実したブラ4が聴けます。


外山雄三は、さきにも書きました通り、かつてN響で聴いているのであり、さらに同じプログラムで大阪交響楽団で昨年秋にやった録音が今回リリースされているわけです。そのほか、外山雄三のブラ4は、かつてYouTubeで、昭和天皇の追悼演奏会での無観客コンサートの様子を見たことがあります。オケはN響でした。その動画は、いまは見当たりません。(こういうものは事前に練習したら失礼でありますし、突然、演奏できるというのは、いかにN響と外山雄三はツーカーのあいだがらにあるか、というのを物語っていると思います。いきなりでもこういう演奏ができてしまう。)今回の演奏で特に書いておきたいことは、第4楽章の253小節目からのピウ・アレグロで速くし過ぎない点であり、多くの場合、ここから急に速くなりがちですが、外山雄三は最後まできちんと演奏することに重きを置いてこの全集を締めくくりました。外山雄三は打楽器出身の指揮者であるせいか、打楽器にはこだわりを見せることが多いですが、ティンパニにも余計なところにアクセントなどつけさせませんでした。さすがです!


ブラ4は、東大オケがよくやっている曲だというイメージがあり、東大オケの演奏だけでも、どれだけ聴いているかわかりません。宇都宮大学で聴いたこともあることを思い出し、また、「東大フィル」の演奏でも聴いたことを思い出します(東大には複数のオケが存在します。複数のオケの存在する大学はときどきあります)。第4楽章にとても長いフルートのソロがあり、これを生で聴いたなかでは、アマチュアでは大学1年のときの4年の先輩が最もうまく、プロではその外山雄三さんのときのN響の故・中野富雄さんがうまかったです。


そのようなわけで、外山雄三指揮、大阪交響楽団のブラームス交響曲全集を入手しての感想を書いて参りました。私自身のブラームス体験も含めました。この全集は、あくまで通向けであって、はじめてブラームスを聴く人には向かない可能性があります。少なくとも生で聴く限りにはいいと思いますが、CDとしては、ちょっと特殊なブラームスを聴きたい人向けだと思います。


外山雄三は91歳にしてまだまだ元気であり、もう少し新録音に期待したいところです。なんといってもドヴォルザークの「新世界」は聴いてみたい!それから、自ら作曲家としてそうであるように、20世紀ロマンチックな作品、つまり、ラフマニノフみたいなお得意の作品の録音も残さなかったら、後悔することになると思います。外山雄三の目の黒いうちに、まだまだ録音を残していただきたいものです。こちらのお金が追い付かないかもしれませんが、ここまで私はもれなく買っていますよ!


これから、ちょっと出かけるところがあるのです。それで、最後が尻すぼみのような記事になってしまいました。こんなに長くなるのなら、1曲1曲、別の記事にすればよかったですかね。そして、大量に「最後にリンクをはります」と宣言してしまいましたが、すべてリンクをはるのはさぼります!下書きに書いた言葉を残し、このままアップします。ごめんなさいね!こんな駄文を最後までお読みくださり、ありがとうございました!


最初の外山雄三との出会い(仙台フィル)


外山雄三のチャイコフスキー


外山雄三のベートーヴェン


外山雄三自作自演(大阪交響楽団)


ハンガリー舞曲を指揮した(2014年10月25日)


スヴェトラーノフのブラ1


外山雄三のブラ2、ブラ4(N響)


ストコフスキーのブラームス

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