見出し画像

人か神か

「律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」」(新約聖書マタイによる福音書22章35節~40節)

 本日、ちょっとnoteの記事を更新しすぎくらいなのですが、ちょっと宗教的なものも書きたくなりました。上に引用したのは、かなり有名な聖書の一部分です。

 前にも書いたことのある話で恐縮なのですが、6年くらい前の私の発言(教会での「あかし」と言われる信徒の話が当たったときです)になります。「教会の最大の魅力は、神様に会えることです。もし、教会が、神と人とでなく、人と人が会うだけの場所であれば、そこはもはや教会ではなく、公民館ですよ」と言いました。これは原稿には書いてなく、アドリブの脱線だったのですが、この話を印象的に聴いていてくださった、ある心優しい牧師先生が、その2か月後くらいに、ある教会での礼拝説教で、この話を引用なさいました。その先生のその日の説教題は「人か神か」。結論は「神をあがめるのです」というものでしたが、それは、その教会が、当時、ちょっと、「人と人の集まり」の側面ばかりになっており、いわば、悪い意味での「公民館化」しているとの気持ちから、そういう説教をなさったわけです。(読まれた聖書の箇所は上の箇所ではありません。)もちろん、神なしの教会は、公民館になってしまいます。私がこのことを痛感したのが、ある年の、ある公民館でのクリスマス会です。近所のお年寄りを招いての会で、当時、教員をしていたわれわれも招かれ、生徒を引率して、おじゃましました。とてもすばらしい会で、いろいろな出し物があり、そして、お年寄りのみなさんといっしょにいただくお昼のカレーライス。すばらしい会でしたが、私は、なにかが欠けている気がして、それが何か、気が付きました。これ、クリスマス会なのに、イエスさまが出てこないじゃん!この経験が、上の「公民館発言」につながったのでした。

 ところで、先々週くらいに、北九州市のNPO法人「抱樸」の特集の番組がNHKで放送されたのを見たというかたはどれくらいいらっしゃるでしょうか。あまりいないかもしれませんね。私は、おそらくnoteを書いている人のなかで、いちばん「奥田知志」というハッシュタグをつけている人間だと思いますが、その奥田知志牧師が理事長をしているNPO法人が、抱樸です。ただ、私は情報収集能力のない人間で、この番組も、直前まで知りませんでした。直前に知って見ました。1時間番組でしたが、番組の最後のほうで、奥田牧師が、だいたいこんなようなことを言う場面がありました(正確な引用でなくてすみません)。「神様はわからないけど、人間はおもしろい。人間は好きですねえ」という場面です。おそらくは、奥田牧師はいろいろしゃべったのでしょうが、ここだけがNHKによって前後から切り取られ、放送されたものと思われます。いろいろ動画等でも見て確認できますが、奥田牧師は明らかにバランスタイプの人で、礼拝の説教も、一見、極端なことを言っているように思えるものも、そのつもりでよく見ると、いっしょうけんめい反対のことも言って、バランスを取ろうとしているのがうかがえます。(スケールが違い過ぎなのですが、私自身も、この4月から、クリスチャンプレスというところで、記事が載るようになり、それはこの私のnoteから抜粋されて載るのです。それは、もちろん私は空気が読めず、どういう記事が受けるのかもわからず書いていて、それを編集していただいて載せていただいているので、感謝なことなのですが、マスコミですから、なるべく売れるように編集されるということは身をもって体験しているところです。たぶん上記の奥田発言もそんなところではないかと。ちなみに番組名も「牧師・奥田知志」みたくなっていましたが、それも、奥田知志という名前がけっこう世間で通用する有名な名前になっているので、少しでも視聴率を上げるためなら、マスコミはそういうタイトルをつけるという、そういうことだろうと思っています。)

 それで、奥田先生の発言ですが、これは、上の話とは一見、逆のようで、神よりも人だと言っているようです。聞くところによると、これはけっこう好意的な反響もあったみたいで、もちろん、いい言葉だからNHKはここを放送したのでしょう。私個人としては、奥田先生らしい発言で好きだなと思いましたが、同時に、これは、ある私のリアルのクリスチャン友だちにはすすめられない番組だな、と思いました。それは、まさにこの発言があるからで、その友だちは、悪い人じゃないけど、「神様が第一!」みたいな人で、牧師がテレビでこんなことを言ったら、ゆるせないだろうと思ったのです。しかし、イエスはなんと言っているか。

 ここで、ようやく、この記事の最初に引用した聖書の言葉に戻るのですが、イエスは、「どの掟が最も重要でしょうか」と、最も重要なのを聞かれて、どう答えたか。あえて、二つの掟を挙げているのです。最初のものは、「神を愛せ」で、第二のものもそれと同じくらい大切だと言いながら「人を愛せ」と言ったのです。つまり、私の「公民館発言」を受けた「心優しい」牧師先生の、「人か神か」というメッセージも、あるいは、テレビ番組で放送された奥田牧師の発言も、同じことの両面を言っているわけです。イエスは、「神を愛せ。そして、それと同じくらい大切なのが、人を愛せ」と言ったのです。神様と、人様と、同じくらい、大切なのです。たしかに神をないがしろにしてはいけません。神様のいない教会は、ただの公民館だと思います。しかし、教会には、公民館としての大切な役割もあるのであって、あそこで人に会えるのは、いいことです。(公民館のクリスマス会も、いいものですね。あのときは、あんなことを思いましたが、いまでは少し気持ちが変わっています。)神様と同じくらい、人様を大切にするのです。そして、人様と同じくらい、神様を大切にするのです。両方とも大切だから、イエスは、ふたつ挙げたのです。さっきの奥田牧師の発言も、「神様はわからない。神様には会ったことないからねえ」というふうにおっしゃっていましたけれど、これ「神様わかる」という牧師のほうがよっぽど信用ならないのであって、人間には神様はわからないです。でもあえて「人間の方が好き」と言える奥田牧師は、すてきですね!

 というわけで、イエス自身が、「どの掟が大事か」と聞かれて「神を愛せ」しか言わなかったのであれば話は別ですが、あえて、それと同じくらい大切なのが「人を愛せ」だと言ったということは、とっても大切なことだと思います。私も、ときどき勘違いされるのですが、私は決して(発達障害で)対人関係が苦手とかいうのではなく、たしかに常識がなくて、ひとに迷惑をかけたり、不快な思いをさせたり傷つけたりしてますけど、人間のつながりがなかったら、生きられませんもの。人間は大切です。神様と同じくらい、人間は大切なのです。

 堂々巡りみたいなメッセージでごめんなさいね。もう言いたいことは言いました。神様に助けてもらって、同じくらい、人様に助けてもらって、生きていきたいです。ここまでお読みくださり、ありがとうございました!ここまで読んでくださったかたに、神様の大いなる祝福がありますように!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?