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社会のせいにされる

 熊谷晋一郎さんが、「依存先を増やす」話をなさっています。私の言葉で言えば、いろいろなものに甘えて、その依存先は、多いほどよい。私の友人の言っていた「甘えの分散」という言葉にも通じるものがある気がしますし、奥田知志先生の言っている「人間関係は質より量」という言葉にも通じるものがある気がします。

 しかし、実際には、私は今、依存先が非常に少ない。数少ない頼れる人にどうにか頼って生きている感じです。難しいですね。「質より量」とは言うものの、質も大事ですよ。こちらの複雑な事情をわかってくれる人は、そう多くはないですから。話をすればするほど無知を露呈してムカつく人はどうしたらよい?…自然と話さなくなっちゃうよね。意見の違う人とも話すべきだとは言いますが、そこまで意見の合わない人と、すれ違いながらすれ違いながら、誤解が誤解を招きながら、話すのは、苦痛ですもの。
 かく言う奥田先生も、YouTubeに大量の対談番組の録画がありますが、自分と話しやすい人とばかり対談しておられる。当たり前かもしれませんが。
 
 じつは、熊谷晋一郎さんは、本人が依存先を増やすことはできない、社会が依存先を増やさなければならない、とおっしゃっているんですよね。なるほど、私の努力で依存先を増やすことはできないのか…と思ってしまいますね。絶望の言葉にも聞こえます。
 いっしょうけんめい、「甘えましょう!」とnoteでも言いつつ、いろいろな人にあつかましくしているつもりですが、自分で依存先を増やすことはできないのか…?

 じつはこの、「社会のせい」「国のせい」「政治のせい」にされると、絶望せざるを得ない面があります。社会のせいにされると、私一人で社会を変えることはできないから、絶望するしかなくなるのです(熊谷さんや奥田さんのように、ほんとうに社会を変えるだけの影響力のある人、本気で変えようとしている人は特別です。それでほんとうに「「助けて」と言える国へ」変わっていくのかどうかはわかりませんが)。職場でもいるんですよ、「あなたが悪いんじゃないよ、この職場が悪いんだ」と言ってくださるかた。もちろん意図はわかりますよ、あなた(私)が悪いんじゃないよ、って言ってくれていること。でも、そう言われると絶望せざるを得ない。私はその職場を変えるだけの影響力はないから。連帯する力もないし、どうしようもないから。

 なにかというと「社会のせい」「国のせい」「政治のせい」にしてくださる皆さま、「あなたのせいじゃないよ」という意味でおっしゃってくださっている意図はわかりますが、私はその言葉を聞いて、内心、絶望していますよ。私一人の力では、社会は変えようがないからです。

 以上です!
 

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