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ソフトテニス部の思い出

どうも、Cherryです。
皆さんはいかがおすごしでしょうか。

今回は部活の思い出についての記事をリリースします🎾
何日か寝かしておいて、今日になってから読み直しをした、
というくらいです。
ぜひ最後までお付き合いくださいませ🤗


私は小学生の頃は吹奏楽をしていた。
ホルンという楽器を担当していた。

中学に入って(吹奏楽部こそあったのですが)、
何か新しいことをはじめよう!」と考えたときに、
ソフトテニス部の仮入部に行った。
「楽しそうだし、知ってる人達もたくさんいるから入ろ〜」
ぐらいのテンションでそのまま本入部した。
これが私のソフトテニスとの出会いである。

現実は甘くなく、ソフトテニスは奥が深く非常に難しい競技だとわかった。
入部した頃はラケットも握らせて貰えず、
校庭を外周(×10セット)して、筋トレして、の毎日だった。
それだけでもキツかったのに、覚えることが多くて本当に大変だった。
なかなか覚えきれず、
2つ上の先輩方に怒られることもしょっちゅうだった
早くラケット握ってあの白いボールを打ちたいという気持ちはあったものの、できるか不安でいっぱいだった。

一年生の夏すぎ位からラケットを握らせてもらえるようになり、
試合にも出させていただくようにはなったが、
上手く行かないことの連続
「ひょっとして、自分はソフトテニスを好きではないのでは?」と思うことも、少なくなかった。

そんな自分が、「いつの間にかソフトテニスを好きになっていた」のに気づいたのは、二年生になってから。
1つ上の先輩方が引退する時のことであった。
ソフトテニスという競技にさらに興味が湧き、やっと魅力を感じるようになったこのタイミングで、先輩方の引退の時がきてしまったということもあり、寂しすぎて大泣きした。
人生でこんなにも泣いたことがあるかというくらい、泣いた。

代が変わって部の中で最高学年になると、部活がより楽しいものになった。
そこで余計に頑張ろう!という気持ちになり、
・区の夏季研修大会(個人戦)で予選リーグを突破。あと1回勝てば賞状を貰えていたけど、貰えず。
・区の新人大会(個人戦、団体戦ともに)で2位。都大会出場。
などといった成績を残した。

しかし、三年生になった時に、変化が起こる。
これまで指導してくださったH先生が異動になり、新しい顧問のK先生が来た。

H先生の異動により、これまで区の大会で会場としていたM中学校(私たちの母校でもあります)の校庭から、建て替えを終えたI中学校の校庭に移された。他にも変化はあるけど、一番大きな変化といえばこんな感じ。

最初の方こそH先生からも怒られてばかりだったが、ともに過ごした二年間を通して、「人生とは」ということをたっぷり教わった。
明けない夜はない」というH先生が放ったひとことも忘れられないし、離任式のスピーチでH先生が泣いたことも鮮明に覚えている。
H先生ほど、印象に残っている先生はいないかもしれない。

さて、新しくやって来たK先生は(H先生と比べては)経験が浅く、不安に思うことも少なくなかった。K先生も(H先生と同様)練習に付き合ってくださることも多かったが、「H先生がいる時の方が楽しかったな〜〜」と思うこともしばしばだった。

そんな中で迎えた最後の大会は、区の選手権大会(個人戦、団体戦ともに)は3位で、都大会出場に届かず。
(選手権大会の後に行われる)区民祭でわたしの部活は終わった。

中学では部活を頑張ったのを引き換えに、勉強が疎かになってしまい、希望の高校には進めず。その悔しい思いもあって、高校では部活をやらず、大学受験に向けての勉強に専念したのであった。


またまた長くなりましたが、私はそんなソフトテニス部が大好きです💖
ソフトテニス部の同期とは、今でも飲みに行くほど大切な仲間です🍻
今度は、先輩とか後輩にも会ってみたいな💋

最後までお読みいただき、ありがとうございます!
それでは!

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