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扱いにくい子どもの気持ちが、ここに来てわかる気がする


上手くいかなかった方が、案外向いているのかも?


向いていなかった人の方が「向いていない人の気持ち」も「こうだったらよかったのに!!!」も両方わかるから、案外向いているのはそういう人なのかもしれない。

最近、また教育に携わる機会をいただき、地道にではありますが、ちょこっと参加させていただいたりしています。

そんなこんなで、子どもや学生さんと関わることが増えているのですが、

たまに「何でこうなった???」と自分に問いかけることがあります。

「そりゃあ自分で最終的に選んだからだよ」というシンプルな答えがあるにはあるのですが、

私は、学校も教育も先生も(と言うよりそれらにあれこれ指図されるのが)大嫌いで、

だから、「自分は絶対に教育に関わる何かしらなんて(少なくともこれからの数年は)縁がないだろう」と思っていたんです。

だけど、大学生活の4年間で続けたアルバイトは、予備校の教務スタッフ。
「自分が通っていた予備校なので、恩返しがしたい」というほんの少しの気持ちだけで始めましたが、これといった苦手意識もなく、あっという間に4年間が過ぎていました。

そして今、また違った角度で教育に関わっています。
本当に「何で???」という自問自答を繰り返す日々です。

「縁がある/ない」という言葉って本当に便利で、思い込みたい出来事に「縁」と名付ければ、それっぽく納得できるんです。

だから、あまり使いたくない言葉ではあるんですが、今の状況ばかりは「」という言葉以外にまだしっくりくる言葉が見つからずにいます。

だけど、ここ数年で自分の将来選びでのどん底を知ったし、柔軟性もまたアップデートすることができた
そして、「こだわりの強さ」や「感受性の高さ」、「コミュニケーションの課題」もわかってきているので、「来るもの拒まず、去るもの追わず」精神でいようと思います。


特に悩む(というより、サボるといった方が正しいのか?)ことなく素敵な経験だけしてしまえば、きっと同じような環境に戻りたいと思うだろうけれど、
悩んだり、「苦しい」という反対の感情や体験は、想像が難しいと思うんです。

だけど、過去に嫌な気持ちになった経験があれば、「同じような場所に戻りたくない」と思うのが自然です。
「どうしたら楽しくなれたのか」をきっと想像したことがある(※)だろうし、苦しいことよりも、楽しいことの方が想像しやすいと思います。それに他人にして欲しかった言動もわかるしね。

だから、冒頭のセリフは的を得ているのかもしれません。

しばらく様子見で、やれることやってみます!!!


※ 現実:いじめられている
  原因:いじめられるような行為を無意識にやったから
  理想:いじめられない
  課題:いじめられないような行為を意識してやる(生活面、学習面)

<いじめられないような行為:生活面>
怒られている時以外、何があっても笑顔
自分の意見をなるべく言わない
「わかりません」「できません」は言わない
否定しない
感謝を口に出す
但し、やりすぎると(いじめられる可能性は低くなるけれど)当たり障りのない人間になることがある。特に、②と③はやりすぎると鬱になるから注意が必要。

<いじめられないような行為:学習面>
大学受験に向けて勉強を頑張る ←極端な例だけど。。。
ただし、「手段の目的化」に注意・・・

学生時代の私は、嫌な気持ちになった経験をこう乗り越えたのだ★


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