手に入れた座右の銘

2019年12月28日、仕事納めの日に交わした親戚からのメールの文面には “激動の一年”と “人間万事塞翁が馬”の言葉が記されていた。それを読んで、あぁ確かに激動だったな、と再認識した。というのも、自分の中では激動というにはあまりにも心が平穏だったからだ。

今年の主な出来事をざっと挙げてみると、年明け早々に自分が経営していた店の不本意な突然の閉店が決まり、3月末には無一文の状態で現在の家を探さなければならない状況になった(それまでのほぼ丸一年間、私は住む家が無かった)。4月末に、本当に運良く現在のシェアハウスに引っ越しができ、現オーナーが店の経営権を引き継いでくれて、こちらもラッキーにも店が生き残る流れとなり私はそこに立ち続ける事が出来るようになった。この流れは今考えても正に薄氷を踏むという表現以外の何者でもなかった。そして7月には父が他界した。それ以外にも事業失敗による多額の負債を整理し生活を立て直す為に、人生で初めて弁護士のお世話になるという経験をし、こちらがひと段落したのは10月末だった。当然の事だが、ひと段落したと言っても決して楽になる訳ではないが、あらゆる面でサポートしてくださった良い弁護士の方に出会えたのは幸運だった。この弁護士費用にしても閉店が決まった頃には払える見込みが不透明だったし、もし現オーナーが引き継いでくれなかったとしたら、スケルトン返しの費用なんて全く払える見込みは無かった。そういう意味では本当にギリギリだったと自分でも思う。

ざっと振り返っただけでも、もしこれが無かったら終わり、という状況が何度もあった2019年だったが、それと同時にもしそうでなくても私はどうにでもしただろうとも感じている。というのも冒頭の感覚が常に私にはあったからだ。つまり、心が平穏たったことだ。決して何も感じなくなるとか鈍感になるという意味では無く、喜怒哀楽を普通に感じる自分でずっと居ながらも心が必要以上に揺れないでいられた。

なぜそういう自分で居られたのか、理由の1つはここ数年、特に大切にし続けた言葉だ。
“人間万事、塞翁が馬”
この言葉を何度も自分に言い続けた。また実際にある相手に口に出して言った記憶もある。そして、年末に送られてきた私の倍の人生経験がある親戚からの状況を見通したかのようなメールの言葉。これだけの経験と体験と親戚からの言葉を通して、私は初めて本当の意味で座右の銘を得たかもしれない、という感触がある。2019年はそんな一年だった。

来たる2020年、同級生がちょうど40歳を迎える年になるが、自分を信じ他者を信じ、人と関わりきり、初めて手に入れた座右の銘を大切にし、未だ見ぬ誰かに自分の経験から伝えきる準備は出来ている。まぁ、滅多に口には出さないだろうけど。

#2019年の振り返り #座右の銘 #店主

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?