追憶のエアボール

元NBAの歴史的スーパースター、コービーブライアント氏の信じがたい訃報を知り、私が真っ先に思い出したシーンは1試合81得点でも現役最終戦での60得点でも数々の勝負所で魅せた逆転ショットでも無く、5本のエアボールだった。

それは彼が18歳の高卒ルーキーだった1997年の出来事、レイカーズがプレーオフ敗退の崖っぷちに立たされてのユタジャズとの一戦だった。私は当時高校2年生で、NHKBS-1で行われるNBA放送を毎回ほぼ欠かさず観ていた。負ければシーズンが終わる試合終盤の最も重要な局面で、逆転を狙うショットを放ったのは当時オーランドから移籍して来たばかりのシャックでもチームのエースのエディージョーンズでも司令塔のヴァンエクセルでも無く、18歳のルーキーだった。私は基本的にアンチレイカーズのアンチシャックだった。その時私は、決まる訳が無い、と思った。明らかに心理的なプレッシャーから顔が引きつっていたからだ。案の定一本目のショットはエアボール(リングに当たりもしないショットの事をそう呼ぶ)になった。その後、彼はその試合で4本ほど連続でショットを放ったが全て外れ、しかもそのほとんどがエアボールだった。私は “ざまぁみろ若造が”と心の中で悪態をついた。それは優勝候補の一角だったユタジャズがまだ若かりしレイカーズを簡単に退けた一戦だった。

その後、彼はよくある表現だがその逆境をバネに一気にスターダムにのし上がり、2000年から2002年にかけてシャックと共に3連覇を果たし、シャックがチームを去った後もレイカーズを2度の優勝に導き、キャリアで合計5度の優勝を果たしている。その期間の彼のプレーというのは、まさに誰も手が付けられないレベルで1人だけ別次元にいた、という印象さえある。ちょうど全盛期のマイケルジョーダンがそうであったように。そして私はずっとアンチレイカーズの、アンチコービーだった。

今思い返してみると、プレーオフの重要な試合でルーキーが5本もエアボールを放ったという場面は、私が知る限り後にも先にも彼しかいない事に気付く。通常は怖くて打てなくなる。だが彼はプレッシャーに顔を強張らせながらも打ち続ける選択をしたのだった。その行為はその時点では大失敗に終わり、チームの戦犯として全米から批判を浴び、中傷のターゲットになった。

バスケットボールの神様がもし存在するならば、あの時壮絶な試練を彼に与えたのだと思う。そもそも失敗する機会が与えられる選手、人は限られている。並の選手は失敗する機会さえも与えられない。イチローは現役時代、4000本安打を打った後のインタビューで、 “8000回以上の失敗と常に向き合って来た事の方が自分にとって重要”という言葉を残したが、それは12000回以上の機会を与えられてきた、もしくは自分自身で勝ち取ってきたことを意味している。規模は全く違えど、私たち一般人にも同じ事が当てはまるだろう。それは仕事、私生活に限らずだ。

純粋にプレーヤーとしての彼を語る時、最も比較されるのはマイケルジョーダンだろう。実際、2人は余りにも似ていた。瓜二つだったと言っても良い。プレーの優雅さ、プレースタイル、異常なまでの勝負強さと得点感覚、心なしか孤独に見える所までそっくりだった。だが一番両者が似ていると感じたのはメンタル面だった。勝利に対して執拗にこだわる姿勢が共通していた。それは時に狂気じみている様に見えるほどだった。2人の全盛期にブルズとレイカーズが負ける事を想像することは難しかった。たとえ相手チームが残り2分で10点勝っていてもだ。そう思わせる存在感と怖さがあった。

時代が少しずれている為に、2人による全盛期同士での直接対決は叶わなかったが、どちらが上かといった話題はNBAファンの間でこれから先もずっと永きに渡って行われるだろう。これだけ似通った2人だが、ただ一点だけ彼はジョーダンほど敵味方関係なく全世界のファンから愛され、尊敬されていたかというと残念ながらそこまででは無かった様にずっと思っていた。ジョーダンの現役最後の2003年シーズンは、敵チームの全ての会場で大歓声で迎えられていたが、コービーの最後のシーズンはそこまでには至らなかった様に記憶している。

今回の事故があり、その日に行われた全試合で彼の背番号である24と8にちなみ、ショットクロックバイオレーションの反則を両チームが意図的に犯し、観客を含めた全員が彼に哀悼の意を示した。その時の観客の反応は、ジョーダンの最後のシーズン以上のものだった。だがそこに肝心の主役は居なかった。バスケットボールの神様は、最後コービーに正当な評価を与えて伝説にする為にあんな事をしたと解釈するのは不謹慎過ぎるだろうか。それくらいしか今のところ、この理不尽で悲惨な事故を納得させる術を私は持っていない。

なぜ、私は真っ先にあの5つのエアボールを思い出したのだろうか。あのシーンは完璧なスーパースターが見せた唯一の弱さだった。その弱さに深く共感する。そして、憎たらしいまでに勝負強いスーパースターは最初からそうだった訳では無かった、という所に私は深く勇気を貰う。23年前、若者の大失敗を観て何の疑問もなく “ざまぁみろ”と悪態をついた16歳の私に、もしも会う事が出来るとするならば、23年後の私はそれなりに人生で失敗を重ねて “少しは痛みが分かるマシな人間になったよ”と伝えたい。

Rest In Peace, Legend.

#コービーブライアント #RIP #店主 #NBA



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