意識高い系に暴露した

僕は社会人になる前は意識高い(系)人たちが使う言葉に非常に嫌悪感を抱いていた。
自分自身根暗でインドア人間であり、意識高い系の言葉を使う人は総じて体育会系だった。
マイルストーン、マインドセット、デマンドなどなど……
これらの言葉は何か言えているようで結論何も言えていないのではないか。
またこれらの言葉が自分が元いたコミュニティ(インドア派)でバカにされていたことも嫌悪感を抱く要因の1つであったと思う。

意識高い系カッコワラと馬鹿にされている姿を見ると「決してそうなってはならない…」という思いが強く芽生えていたことを覚えている。

しかしそんな姿勢なのに、何を間違えたかベンチャー企業に入ってしまった。
意識的な意味では絶対向いていないのになんとなくやりたいことがあっていそうで入ったのだが、そうなった自分に変化を感じる。

「マインドセットが…あ…」「この人のデマンド…うっ!」
なんとあれほど嫌悪感を示していた意識高い言葉を頻繁に使うようになってしまったではないか。

ちなみに意識高い言葉を言ってしまうと拒絶感が出てしまうのだが、その意味と便利さを知ってしまった今止めることはなかなか難しい。
まるではじめて電化製品に触れた原始人のような感覚になってしまう…

別にここで言いたいことはそういった言葉を使う人やその言葉自体を批判することでは決してない。聞いてて楽しいし。

しかし、いくらはじめに嫌悪感を持っていようと、意識高い言葉に暴露する中でそこに染まっていくということは往々にしてあるのだなという気づきを身をもって痛感した…なんということだ…

カタカナ語や意識高い言葉は本当に便利で、かっちょいい。
以前会社の同期に「マイルストーン???もっかいいってみてwww」と煽っていた自分が恥ずかしい。もはやマイルストーンはかっこいい、かっこよくね???

ただ、こういった言葉が作る現実にも注意しないといけないと思う。
これらの言葉は「強い」。うまく言えないのだが、とにかく今の文化の中ではめちゃくちゃに強くて、なんとなくそういう物語があるような錯覚を覚えてしまうのだ。

意識高い言葉もボキャブラリーに入れつつ、いわゆる陰キャなボキャブラリーも忘れないようにありふれた言葉で生きていきたい。

よし、一旦ありふれた言葉で締めよう!

やw漏れはオタクでゎないw


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