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ニーズとデマンドとかいう言葉がすげー嫌いになった
ベンチャー企業で支援をしてると「ニーズとデマンド」という言葉をよく聞く。
要は氷山の上が「デマンド」で下が「ニーズ」なんだから、顧客のニーズを満たしに行こうねというカタカナ語だ。
スターバックスの方の神対応がよく例に出される。それは以下のようなものだ。
ある日、「Mサイズの半分にコーヒーを入れてくれ」というお客様がいらっしゃったという。
そこで、理由を尋ねたところ「溢れてしまうから」とその客は話したので、それであればということでLサイズのカップにMサイズの全量を入れて対応した。
なるほど。個人的にも本当に粋で素敵な対応だなぁと思う。
支援にも文字通り「氷山モデル」という言葉がある。
画像は拾い物だが、海上に出ているクライエントや利用者からの「要求」や「問題行動(とされるもの)」、「生活上の困り感」はあくまで、デマンドであり、本質の問題解決は水面下の「ニーズ」をアセスメントし、そこにアプローチしていかなければ支援の質が上がらない、とする論だ。
水面下の「ニーズ」自体は学派や支援者としての立ち位置によって変わって来ると思う。
たとえば精神分析だと「母親葛藤が水面下に隠されている」ということが言えるだろうし、認知療法だと「非機能的なスキーマが働いている」などと捉えるのかもしれない。
本題までの前置きが長くなってしまった。
言いたかったことはこの2つの言葉がカタカナ語だから嫌いなどという浅はかなことではない(カタカナ語は最近はむしろ好きだ)。
「ニーズ」と「デマンド」と2つの言葉にすることで、まるでその2つが離れたもののように捉えられて支援されがちになってしまうという側面から嫌いなのだ。
あくまで、「デマンド」とは「ニーズの一部」なのだ。
僕が個人的に最もダメで嫌いだと感じている精神分析家(を標榜する人)は、一生懸命水面下の無意識だけを見て、海上の氷(その人の生活や困り感)にはほとんど目を向けず記録にも記述しない、という方々だ。
心理屋さんには、同じ心理屋として本当に申し訳ないがこのような方々が本当に多いと思う。
極端な例だが「というクライエントに「そうなんですね。ではひとまずそんなことは置いといて無意識について、ともに見つめていきましょう」という人があまりに多い。
デマンドもニーズも“ニーズ”なのだ。
ただし、支援者1人で全てのニーズを満たすことはほとんど不可能に近い。
自分が触りたい「ニーズ」をクライエントとともに深めたいなら、自分の触ることができない「ニーズ」も社会と繋がりながらきちっと対応する。
そんな支援者になりたいと思う。
サポートいただけたら今後の執筆活動・研究活動に使用させていただきます。