エコマップにも「ただいるだけ」の心の専門家

今日、仕事の中でとある利用者さんのエコマップ(※1)を作っていた。

※1…支援を受けている人を、どんな人や機関が関わっているかを可視化するマップのことだよ!
詳しくはググってくださいね!

「お医者さんはこういうかかわりしてるよね」
「相談支援の人は結構綿密にモニタリングしてくれていて、訪問看護の導入も検討してくれてますね」

そんなこんなで、我々はその人を取り巻く関係性をマップ化して可視化していく。
その時、支援者の中には困惑する空気が流れる時がある。
今日もそうでした。

……

一瞬訪れる沈黙。チームメンバーの一人が口を開く。
「おかくんさ、私が不勉強で申し訳ないんだけど、この心理士さんって、一体何してるんでしょうね」

エコマップの片隅にはたしかに「心理士」と刻まれている。
その横には注釈として「言語的カウンセリング」とそれっぽいことが書かれている。

「この人、そんなに言葉でのやり取りが上手とは思えなくて。カウンセリングの中でどういうことが話されてるんだろうと思って」
なんの他意も含まれない言葉が放たれるが、心理士としての僕の心にはむちゃくちゃダメージが入る。

仕事柄、他機関の心理士と連絡を取ることもある。しかし、そんな時はつい悪い癖で心の専門家の言葉で会話してしまう。

「この人はお母さんとの関係の中で傷つきがあるみたいですね」といった具合にだ。

しかし、ふとエコマップという社会に心理士を配置しようとした時に、どうしても言葉に詰まる。

「彼にとって、自分の気持ちをただありのままに安心して表現できる。そういう役割を心理士が担ってくれているのかもしれませんね」
理論武装した上滑りの言葉が僕の口から出てきて、チームメンバーもふむふむとは聞いてくれる。

「では話を続けましょうか」
そうやってエコマップを用いながらその人の支援方策が立てられていく。

しかし、上がってくるアイデアの中に中に心理士の名前は一向に入ってこない。
エコマップの中にも「ただいるだけ」…
いるのはつらいよ…いっそのことエコマップに書き込まないでくれよと心の中でぼやいてしまう。

誤解しないで欲しいのは、心理士を否定とか非難したいわけではない。
うまくその役割を言葉にできない自分がまず悔しいのだ。まじで心理士ってなんなんだ。
この3年間くらいずっとわからないと泣き叫んでいる。

ただ、僕自身の未熟さとは別に日本の心理士はエコマップの中に、つまりソーシャルワークされる中に組み込まれるのはまだまだ弱いというのも事実だと思う。
長年働いて、協働もしてきたソーシャルワーカーですら、「心理士っていつもわからんし協働もしにくいんだよな」と話す。

「居るのはつらいよ」の東畑開人先生はこうおっしゃっている。

概念や専門用語で説明することはなかなか難しい。専門用語を使うと、立派なことをしている感じになっちゃって、それはそれで違うものになってしまいます。

今まで心理士は「心」のことを自分たちの言葉だけで話してきた。
ただ、そうしてる以上一生日本では心理士は食っていけないと思う。

もっと僕たちが普段使うような、小説のように読みやすいような生の言葉で心理学を問い直しまくって、ソーシャルワークにも組み込まれるように自分たちの存在価値を社会に開いていく必要があると思う。

サポートいただけたら今後の執筆活動・研究活動に使用させていただきます。