仄暗い女の子を見るとキュンとしてしまう
こんにちは。今日はタイトル通り「仄暗い女の子を見るとキュンとしてしまう」話だ。
仄暗いってそもそもなんやねんという疑問をお持ちの方も多いだろう。
しかし、仄暗いとは中々言葉では表現しづらく、それは名状しがたいほどに仄暗い女の子なのだ。
ちなみに「仄暗い水の底から」というホラー映画があるが、あの映画のような「じめっと」したイメージで僕は使っていない。
(ちなみに、「仄暗い水の底から」は結構怖いが、最後までストーリーがすっきりしていた僕は好きだ。興味が出たならぜひ見ていただきたい)
そしてそれはまた暗いとも同義語ではない。なぜならいわゆる俗に「明るい」女の子を見てもその中に「仄暗さ」があるとキュンとしてしまう。
どっからその仄暗さはわかるねん、と言いたい方もいらっしゃるだろうが、これがなかなか難しく、仄暗い女の子に会うと一瞬で「あ、仄暗い」と判断できる。至って感覚的なものなのだ。
あえて言葉にすれば「心の片隅でこの世に希望を持っている」感じの雰囲気だ。絶望じゃないんかいというツッコミを頂けるかもしれないが、基本的にこの種の人間はこの世にあんまり期待していない。
かつあからさまではないのだ。外見ではどれだけ明るく取り繕おうと、その雰囲気から仄暗さがにじみ出ている。
今回は女性について言及しているが、別に男女関係なく、そういう人柄を持つ人にはこうぐっとくるものがある。
僕が高校生だったころ、高校3年生の体育祭で非常に印象に残っている出来事がある。
女子高校生というのは、どうにもアオハルをしたいお年頃のようで、いつもはそこまで絡んでいないような男子が走っていても、クラスメイトであれば全力で声を張り上げて応援するし、あこがれの先輩が出てきたものなら、キャーキャー声をあげている。
クラスの男子ならまだしも、名も知らない先輩の競走など1ミリの興味もなかったので、僕は応援テントの後ろ側で青空を眺めてぼーっとしていた記憶がある。
すると、さっきまでキャーキャー応援していた女子の一人が僕の横にちょこんと三角座りしてきた。
「なんや、どうしたん」と声をかけると、苦笑いをしながら「ちょっと、疲れちゃって」。
その瞬間僕は不覚にもキュンとしてしまった。これは恋というようななまっちょろいものではない。
キャーキャー先ほどまで騒いでいて、傍から見るとどう見ても、あこがれの先輩に声を大きくするミーハー女子にしか見えなかったのが一転、”仄暗さ”が顔をのぞかせたではないか。
この子のように、必死に生きにくさを隠して、明るさというペルソナを被りつつも、タイミングによってはぽろっと「陰」が出てくる人に僕はどうしても弱い。
明るいことはいいことだ。でも人間全員どこかに”仄暗さ”を持っていてほしいと思う自分もいるのだ。
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