ツイッターのフォロワー欄の数値にビクビクする
お久しぶりです。色々と忙しくて更新が遅れてしまった。社会人をしていると本当に色々な感性とかが置いてけぼりになってしまいがちだ。
noteは忙しいので、ツイッターでネタツイートだけでも…!と思うのだが、やはりこちらも考える気力が出ない。たかが140字の更新すらもままならない。
なので当分どちらも見る専になっていたのだ。
が、ある日ツイッターを見るとフォロワー数が減っている光景を目にする。
「なにっ!」と思い、急いで確認する。最近は呟いていないので誰かを不快にするタイミングはなかったはずだが、と思いつつ自らのユーザー情報を見に行く。
すると、なんとフォロワー数が元の数値になっているではないか。おそらくツイッター側の仕様か、もしくはバグなのだが最近こういうことが続き毎回ハラハラしてしまう。ツイッター、そういうとこだぞ。
と同時に、いまだにたかがフォロワー数にビクビクしている自分に気付かされるのだ。何年ツイッターやっているんだ、と自分でも呆れてしまう。
しかし、たかがフォロワー数いうが、別に数は特段気にしていない。気にしているのは「誰に見限られたか」だ。
よくツイッターの中で「フォロー外すからって現実で嫌いになったわけではない」と話す方々がいる。
その方々の意見を否定するわけではないのだが、そこには「フォロー外されたから僕はあの人に嫌われてしまったのかも…」と考える人たちの投影的認知にまでは思考が及んでいない。
よく、ネット世界と物理的世界を「ネット内とリアル」と話す文脈があるが、決してそんなことはない。
それらは次元こそ違えど同じ直線上にいるのだ(次元が違うのなら同じ直線上にはいないのでは?というツッコミする人、個人的には好き)。
僕は恥ずかしながら、フォロワー数が減っているのを確認できた時、おもむろに、いや、正確にいえば全力でフォローフォロワー欄を見に行き、「だ、誰に外されたんだ…?」という疑問を解消したいという欲動に支配されつつスマホをタップする。
残念ながら「誰に嫌われたっていいじゃん」という強さ(あるいは弱さかもしれない)はほとんどの人は持てないのではないか。
攻めの姿勢を忘れてはいけないと思いつつ、やはりフォロワー数を気にする。僕は誰にも嫌われたくないんじゃい!
嫌われる勇気、なんてアドラー派の本があるが、嫌われない弱さも絶対あっていいのだと思うのだ。
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