発達障害スペクトラムについて~吹奏楽部の子供たち~

今回は結構真面目で、かつ過激な文章になってしまうかもしれないが、ご容赦いただきたい。ただ、僕は常々この問題を身近に感じていた。そして自分自身も同様の問題を抱えているのではないかと思っている。

ただ、特に吹奏楽部の顧問もしくはトレーニングに関わる人には知っておいてもらったほうがいいと思うし、逆にそういう目線でアセスメントすることでつらい思いをする生徒も減るんじゃないかと思う(もちろん吹奏楽に限らずすべての部活に言えることかもしれないが)。

くどいようだが、あくまで僕個人が今まで経験したものを個人的な発達心理・障害児科学の目線で見直しただけであり、あくまで個人の意見を超すものではないということは意識して読んでほしいと思う。

今まで自分自身の経験の中で、演奏者としてもそうだし、母校の後輩や先輩の中学校に教えに行っていたときにすごく感じたことがある。それは、やはり吹奏楽部の中の発達障害スペクトラムの方々は本人なり周囲なりに何らかの困難が生じている様子があるということだ。

問題その①:身体イメージの問題

発達障害スペクトラムの子供たちは身体イメージがいわゆる定型発達の人と異なり、少々特殊なものを持っている。

そのため、彼らは体育の縄跳びや鉄棒においても困難を感じる傾向があるのだが、吹奏楽部でもその傾向はあると思う。

身体の使い方が苦手(この言い方は賛否両論あるかもしれないが)なので、楽器演奏もどうしても力みが入ったものになってしまうし、無駄に身体を揺らしてしまったり、逆に全く身体を柔らかく使えずに全身を固めた動きをしてしまう傾向があるように思う。そのため、中々”良いとされる音”は出にくい。吹奏楽に限らず、うまい人は褒められ、下手な人は蔑まれてしまうのは悲しいことだが、一定彼らは「身体の使い方」の問題があるため、うまくなりにくい部分があるのではないかと思う。

(※身体を無駄に揺らすや変な力を入れてしまうで僕の顔が思い浮かんだ人も多数いるのではないだろうか)

上のような困難さを抱える子に「脱力だよ」と伝えてもうまくいくわけがない。そもそも身体感覚が希薄だったり、少し特殊だったりするのだ。そのためモデリングして示したり、部位を「どう脱力させるのか」という否定形でない示し方をしなければならないのだと思う。

問題その②:三つ組みの問題

自閉症スペクトラム(いわゆる自閉症)の問題は三つ組みの障害と言われ、「コミュニケーション」「想像力」「社会性」の3つが人と少し異なっており、相互作用の中で問題を生じやすいとされている。

上記3つは吹奏楽の中でキーポイントとされるといっても過言ではなく、あくまで主観だが、ほかの部活よりもはるかに高度なものを求められるのであないか。

「音楽の表現・イメージ」という目に見えないイメージを50人で共有することは定型発達でもうまくいきにくい。なれば自閉症傾向で「想像力」が特殊な子供たちがそれを行うのは本当に難しいことではないのだろうか。

吹奏楽部時代から(自分の困難さを含めて)不思議に思っていたことがある。そして時々後輩とも話したりしていたことでもあった。それは

「どう考えてもそういう風には吹かないよね?たたかないよね?」という演奏の仕方をしてしまう人が一定いる

ということだ(というかおそらく僕もそうなってしまっていた状態は何度もあるだろう)
しかし上記障害のある点考えれば説明がつく部分があると思うし、実際自分でも気づきようがない。

問題その③:努力していないように見えてしまう

特に女の子が多い吹奏楽部では「不注意優勢傾向」のADHD(注意欠陥多動性障害)の子が多い印象だ。
すると身体感覚の問題もあり、うまくなりにくくモチベーションも上がらない子なんかもいるであろう。そんな子は練習をさぼったり、もしくはほかの楽器を吹いて遊んでしまったり、ぼーっとしたりしてしまう傾向があるように思う。

すると、周囲の子供たちからすれば「練習しなければうまくなるはずがない」「練習をせずにさぼっている」とみてもおかしくはない(実際事実としてはさぼっているのだから)。しかし、注意が散漫な子が、うまくもなりにくくモチベーションもあがらないものをどう集中して持続して取り組めばいいのだろうか。

このように最初からモチベーションが上がりにくいという困り感を持っている可能性が高い。

まとめ

くどいようだが、これはあくまで個人の経験から見た意見でしかなく、調査研究を基にしたものでも何でもない。そうはいっても、炎上しうる可能性も秘めた記事であるとも思う。

そして、同じ発達障害スペクトラムの子でも上述したように困らない子も大勢いることも事実であろう。それは吹奏楽という世界において「過集中」「高IQ」であることが有利に働くことも多いからだ。
それでもやっぱり10人に1人くらいは「あ~…」と思う子がいるというのが個人的な所感である。

ただこれだけは強く言いたいのは、「だから発達障害の子供は扱いにくい」ということではない。むしろ「少し特殊な身体の使い方、考え方、創造の仕方をする人・子供がいるから配慮して関われるとよい。そうすればもっともっと音楽は自由に広がりを持ったものになるのではないか」ということだ。

僕は発達障害傾向の子どもこそ、言葉ではないものを表現する喜びを覚えてほしいと思っている。実際に重度障害児でも音楽を聞かせると落ち着いたり喜びを表現して手をたたいたりしており、音楽が根源的なものであると常々思っている。

あまり強調してこなかったが、そもそも「上手いとは何なのか」「音楽的に素晴らしいとは何なのか」という視点からも本当は考えるべきなのだ。汚い音=下手という概念は音楽社会全体が作り上げてきたものなのだから。

発達障害スペクトラムという「異端」を排除することでできる音楽はあまりに潔癖過ぎるのではないか。むしろ、彼らのような特殊な想像性・創造性を受け入れ、音楽に組み込めてこそ表現の幅のある音楽に繋がっていくのだと思う(別にコンクールを否定しているわけではないが)。

最後に、言っていることが二転三転するが、事実スペクトラムの濃い子供と付き合うのは、子供はおろか大人でも簡単にできることではない。
彼らは決して弱者ではないものの、表現の仕方や教え方を少し「チューニング」してあげないと伝わりにくい部分があるのかもしれない。
そして!特殊であることは強みに変わりうるということももちろん意識してほしい。才能と障害は紙一重で生じうると最近は切に思う。

吹奏楽部にかかわる人たちが、僕のこの駄文を見て少し視点を変えて、「この子は身体の使い方が特殊なのかな?」「少し周囲とイメージを共有しにくいのかも」といった「やさしさ」が広がったならば僕はちょっぴりうれしい。

P.S. 最近アレクサンダーテクニークなど身体に注目したやり方が増えているのは、すごくいいことだと思う!

サポートいただけたら今後の執筆活動・研究活動に使用させていただきます。