【経験主体Aの記録】平日昼間の無職はやっぱり怖いので、酒でも差し入れして仲良くした方が良い

 「おじはお前に優しくしてくれているが、お前はおじの家の子では無いし、あそこはお前の家ではない」
 父は小さい頃の僕に対してそう言い聞かせてきた。
孫を甘やかしすぎるおじによって、子供が軟弱な性格になってしまうのではないかと、心配だからこそ告げた言葉であると、今では考える事が出来るけども、幼い僕にとってこれほどショックな言葉は無かった。
 僕はこれを聞いた時に、そうか、おじいちゃんに褒められるのは良くないんだ。なら、嫌われないと。嫌われて、おじいちゃんが僕のことを褒めないようにしないといけない。歪んだ一心でいっぱいだった。
 当時、まだ小学4年生だった。
 あのころの僕は、おじいちゃんから褒められるのが嬉しくて勉強していた。難しい漢字を覚えた。おじいちゃんが読んでいる本を読んだ。学校のテストはほぼ満点だった。おじいちゃんに、褒められるのが、嬉しかったんです。

 でも、それがお父さんからしたら気に食わなかったらしい。
そうして、僕はおじから嫌われるために、おじの家に置いてあった財布から金銭を抜き取った。
人生初の万引きである。20万円程も抜き取った。
そんなことを小学4年の頃にやってしまったものだから、この後の僕の金銭感覚は狂ってしまう。
高校1年の時に30万円するパソコンを買ったり、成人してからも50万円するエクササイズコースに通ったりと、とにかく金遣いの荒い毎日だった。
 話を戻す。当時の僕は、父から言い聞かせられた言葉の意味が分からなくて、怖くて仕方がなかった。僕は居ちゃいけないのだろうか? しかし、色々と考えたところで、未熟な知能しか持たない子供にとっては、意味なんてわからなかった。それでも子供なりに理解したのだと思う。もちろん、ここまで理路整然とした理解が出来ていたわけでは無いとも思う。だだそれでも確かに感じてしまった事もある。金を抜き取る時の、あのスリルときたら、人生の中で味合えるものは少ないと思う。変な高揚感がある。同時に、苦しかったがね。
 結局、おじの財布からお金を抜き取ったことはバレてしまい、その後おじの家に行くことは禁止された。
 それ以来、僕の学校での成績はいまいち奮わなくなった。むしろ、クラスの中でも大変な問題児になってしまった。
 例えば、親が使っている香水を勝手に拝借して、学校中に散布したりだとか、
有事の際に押す赤い非常警報ボタンを、悪戯で押して消防車を3台呼んだりだとか、それで校長室に呼ばれたら、全く反省のない顔で、知りませんなどと言うものだから、更に怒られた。
 授業だってもうどうでもよくなった。
僕の中では、勉強というものはおじから褒められるための道具に過ぎなかった。その理由が半ばで、もう半分は授業の内容への理解が及ばなかった事もある。
という訳で、成績不振に問題行動を引き起こし、ここに立派な問題児の完成と相成ったわけである。
 大胆不敵な問題児の話はここまでとしましょう。お次のステージは、中学生の頃のお話です。


 小学時代を万引きや学校での不祥事で締め括った僕は、地元のよくある市立中学へ進学した。
 今までは、学校にいる連中はみな、私服でラフな格好だったのが、この頃になってから、葬式の時に着るみたいな服を毎日着こなしていて、なんだかそれを自分も着なければならないというのが、とても居心地が悪かった。元々、知らない人と話すのが苦手な引っ込み思案な性格だったのもあり、隣に知らない人が居るだけでも緊張してしまい、引き続き学業には全く身が入らなかった。更には、その緊張はトイレの中までも続いた。隣に人が来るだけで、尿が出なくなったのだ。最近知った話だと、これは全般性不安障害の中の排尿障害と呼ばれる立派な病気らしい。しかし、デリケートで恥ずかしい問題だから、誰かに相談できるようなものでもないし、両親を頼りにしたくないため、学校では極力トイレを我慢した。その結果、より授業の内容に集中出来なくなった。
 もう、自分でも何のために学校に通うのか、その理由を見失っていた。
 更に、学外でも問題が起こる。父が職を失ったことで自殺を試みたのだ。その日は、なんだか父の帰りがやけに遅いなと思ってはいたものの、母は父に連絡をする訳でもなく、いつも通りに食事をしたので、嗚呼、きっと僕の知らないところで意思伝達が行われているのだろうなと思いきや、後になって母が言うには、父の自殺の素振りなんて知らなかっただってさ。少しは電話するなりしないのか? この母親は。
 そんなこんな、様々な境遇を乗り越えたり躓いたりしながら年月は移ろいゆく。
 風情のある言い回しだが、時の流れは無情にも裏腹に、時に人を苦しめることになる。
 まったく勉強についていけなくなったのだ。
 実は、僕は入学と同時にテニス部に入部していたのだが、身体的な理由により虐められてしまったので、退部することになった。しかもこの話、よくあるイジメよりも輪をかけてタチが悪い。
なんと、顧問の教師まで揃って僕のことを虐めてきたのだ!


 もうやってらんね。次第にヤケになった僕は、学校が息苦しいと思い始めるようになる。丁度2年生の夏だったか、ついに不登校になってしまった。
 それも、親には学校に行ってくると嘘をついて、どこか外をフラフラ練り歩くだけの学生服を着た不審人物に成り下がった。歩くだけなんて、つまらないと思うだろう? 僕もそう思った。だから、これは暇つぶしなんだと考えていた。しかし、これが実は意外と面白いことに気付いてしまう。

 まず、普段は会えない人間と会うことが出来る。
その日は、学校の反対方向にある親水公園を訪れていた。こんな平日の昼間から屯している人間なんざ、たかが知れていて、大抵が僕みたいに学校をバックれた不良気取りのチキン野郎たちか、生粋の無職のどちらかである。ほら、目の前にいるあいつなんて、しゃがみこんで地面で遊んでいるよ。だが、他人事ではない。僕もいずれは彼のように、働きもせずに野花に語りかける臆病な存在になるのだろうか? 想像してみるとゾッとする。しかし、他にやることも無いし、なんだか色々と考えている間に、無職のおじさんに興味が湧いてしまったので話してみることにした。


 その日、彼はいつも通りにここで日に当たっていたらしい。歳は秘密。最近結婚したばかりだそうな。元々は、製造業で機械の点検をやっていたようだが、リストラによって解雇。それ以来、ハローワークで求人を探そうとしたが、一向に職にありつけない為に、こうして川でも眺めて、ひとり寂しく黄昏ているらしい事を、酒とツマミを食べながら話してくれた。
 僕も、自分のことを話してみることにした。この人なら、話してもいいかなと、不思議かな、そう思ったんだ。
 僕はまず、自分の父もいま職を失っていることを話した。すると無職は、「そりゃ大変だな!お前のオヤジさん」と言い、子気味よく相槌を打ちながら聞いてくれる。そうして、今の自分は反抗期で、学校にも親にも会いたくないということを話した。
すると、その無職野郎が銀色のビール缶をこちらに差し出してきたではないか!

 僕は、おずおずとそれを受け取る。
 ジュースのプルタブとは違って、アルコール飲料のプルタブには点字が刻印されているという、父から話されたどうでもいいうんちくを思い出す。無職に目流しすると、開けてみなと挑発してくる。試しにやってみる。
 しかし、どうにもプルタブが固くて開けられない。未成年には飲ませられないように、あえて固くしているのだろうか? まったく、早く飲ませろと思い、力任せにタブを爪で引っ張ってみると、パキッ!
勢いよくタブが吹っ飛んで行った。そうして次の瞬間には、僕の手が泡まみれ。炭酸が吹き出してきてしまった。
目の前の無職は、それをみてゲラゲラと笑っていやがる。この野郎。一体誰のせいで汚れたと思っているんだ。むしゃくしゃしたので、その顔目がけて酒をぶちまけてやった。そうしたらおかしなことに、そいつ益々笑いが止まらなくなりやがった!
やっぱり、無職は怖かった。

 結局、アルコールはその無職が全部飲み干した。未成年が飲むもんじゃねぇよ。との事だ。
どの口が言うかと言ってやりたい気持ちもあったが、流石にどちらが正論であるのかは一目瞭然なので、口から出かかった言葉は喉へと押し込む。
 もう、夕暮れの時間である。今日も一日が終わってしまった。無職は、おぼつかない足取りでどこかに消えてしまった。僕も帰るとしなければ。
 家に、嫌だなぁ。帰りたくない。
 このおかしな無職とは、それ以来もう再会することはなかった。

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