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十楽


人物
 
十楽        盗賊
 
伊達綱宗     仙台藩主
 
高尾太夫     吉原の花魁
 
庄司甚之丞   吉原惣名主
 
松平信定     信綱の倅
 
松平信綱     老中
 
清十郎      十楽の仲間
 
松六 十楽の仲間
 
お吉  十楽の仲間
 
庄司甚右衛門  初代吉原惣名主
 
その他
四郎兵衛     三浦屋傭人、
坂上主水     同心(1景)
佐吉        岡っ引き(1景)
西田屋番頭(5景)
振袖新造(5景)
見世番(5景)
褌男(5景)
侍1(7景)
芸者達(9景)
太鼓もち(9景)
家臣(9景)
手下1(10景)
手下2(10景)
親類・縁者(12景)
百姓1(14景)
百姓2(14景)
百姓3(14景)


1景 吉原・傾城三浦屋座敷(夜)
 
みせすががきの三味の音。
上手に高尾太夫の赤い内掛けと立兵庫の髷が浮かび上がる。高尾は後ろ向きで座り、下手に男達がいる。
男は三浦屋四郎左衛門、西田屋庄司甚之丞、伏見屋藤右衛門、大三浦屋と染め抜いた法被を羽織った三浦屋傭人、四郎兵衛、面番所詰め同心坂上主水、その配下岡っ引き佐吉は中央に座り、手に書面を持っている。
 
佐吉   「本日、三浦屋抱え花魁、高尾太夫を貰い受けにまいり候。如何なる手出しもこれ無駄なり。おしなべたらぬ賊徒の技をごらんぜさす。十楽」
坂上   「高尾太夫、その張り紙は大門の柱に小柄(こづか)で打ち付けてありました。十楽と言う盗賊は武家屋敷や豪商を荒らしまわる神出鬼没の悪党だ。ですから今夜の道中は中止願いたい。お奉行様も大変心配なされている」
高尾   「……」
甚之丞  「なれども坂上様、楼内(ろうない)は吉原者が目を光らせ、外は奉行所の役人が四方を囲んでる。その賊がこれを破り、高尾太夫を外に連れ出す事など……」
坂上   「かかる物(予告状)を大門に貼られ、もしもがあれば奉行所の面子が立たん。佐吉、てめえはこいつが張られた時分、面番所に詰めていただろう。目と鼻の先にいてなぜ気がつかなかった」
佐吉   「すみません」
三浦屋  「抱え主として言わせてもらいますが、花魁の身に何かあれば吉原始まって以来の一大事だ。高尾太夫には悪いが、客に名代を差し向けます」
坂上   「それがよい」
伏見屋  「皆様、高尾太夫は三浦屋だけのおしょくじゃございません、吉原中のおしょくです。ですから甚之丞さん、今の惣(そう)名主(なぬし)は貴方だ。ここはお前さんが決めなすったら」
甚之丞  「こいつは私が決める事じゃありません、高尾太夫が決めることだ。……花魁、お前さんが決めておくれ」
高尾   「……」
三浦屋  「花魁」
高尾   「道中は吉原に勤める遊女(きみ)が花 道。脅しに負けて引き下がれば終生の笑いものになりんすわいな」
 
立ち上がった高尾太夫の打ち掛けが鮮やかに翻る。
 
高尾   「今宵の相方は、忘れえぬこそ思い出さず伊達の殿。お待たせするのは出来ぬせん」
 
高尾、闇の中に消えていく。(上手ハケ)
 
坂上   「やるのか道中を」
三浦屋  「花魁がやるって言うなら仕方がありません。四郎兵衛、警護を怠るな」
四郎兵衛 「へい」
 
三浦屋、四郎兵衛、下手にハケる。
 
坂上   「花魁が申した伊達の殿とは、仙台藩主伊達綱宗様か」
佐吉   「今夜のお相手は殿様ですか。花魁って言うのは凄えな」
坂上   「佐吉、憹(わし)等も参るぞ」
佐吉   「ねえ旦那、どうして盗人が、花魁をかどわかすんでしょう」
坂上   「さあな……惣名主、吉原者の手に余るときは、遠慮なく楼内に踏み込むぞ」
甚之丞  「承知しました」
 
坂上、佐吉下手ハケ。
 
伏見屋  「お頭、妙なことになりましたね」
甚之丞  「まあいいさ。この警備の中、盗賊がどうやって高尾太夫をかどわかすか。お手並みを拝見しよう」
 
闇に飲み込まれていく二人。
みせすががきが盛り上がる。
二人が闇に消え、みせすががきが圧倒的に盛り上がる。

 
  ※  ※  ※  ※


2景 吉原・仲ノ町(夜)
 
析頭の音で明りが入る。
ここは吉原仲ノ町。
満月の下、提灯持ちを先頭に、高尾太夫の華やかな花魁道中始まる。
肩貸し、傘持ちの男を従え、高尾太夫は八文字で歩いてくる。
高尾太夫のキメで附け打ち。
客の中から声かかる。と、道中の前に転がり込んでくる番頭新造。新造は後ろ手に縛られている。
客の中から吉原者が飛び出す。
 
吉原者  「どうした」
新造   「そ、その花魁は偽者です。本物はかどわかされました」
吉原者  「なに……手前は誰だ」
高尾   「客さん方の真ん中でどなただと言われても、名乗るほど、みすぼらしい女ではないわいな」
 
多数の吉原者(首代)が飛び出す。
 
高尾   「ここから先に行くからは、叩かりょうが踏まりょうが、手にかけて殺さりょうが、それを怖がって盗人がなるものかッ」
 
首代が一斉に高尾太夫に飛び掛る。
高尾太夫(十楽)は鉄扇を取り出し、舞のように扇を使い立ち向かう。首代が一斉に短刀を出す。
その前に道中の大傘が立ちふさがる。傘があがると、十楽の傍に女(お吉)が立っている。
傘持ちが松六、肩貸しが清十郎。
 
十楽   「殺すなよ、騒ぎを起こせば十分だ」
松六   「分かってます」
お吉   「そんな形(なり)だ動きがトロいぞ。さっさと片付けよう」
十楽   「もう少しいいじゃねえか」
清十郎  「長居は無用だ」
 
町方が雪崩込んでくる。
 
町方   「御用だ」
 
六尺棒を持った捕り手と町方、首代が入り乱れ、四人を捕らえようと大立ち回りが始まる。
捕り手が戸板を持ち出す。
十楽は戸板で囲まれ、その中に押し込められる。
 
清十郎  「お前ら大丈夫か」
松六   「へい」
一同   「御用だッ」
 
ドンっと勢いよく戸板が弾け飛び、黒づくめ男(十楽)が現れる。
 
坂上   「十楽、神妙にいたせ」
十楽   「大勢でご苦労なことだ」
坂上   「召し取れ」
 
十楽は六尺を掻い潜る。
 
十楽   「お前ら、ここは俺にまかせておけ」
お吉   「十楽、大丈夫か」
十楽   「なに、心配いらねえよ」
清十郎  「たのんだぜ」
 
松六、お吉、清十郎は逃げて行く。十楽、捕り手が担ぐ板の上に飛び乗る。戸板は十楽を乗せたまま、高く持ち上げられる。
 
坂上   「お前が十楽か、神妙にいたせ」
十楽   「いかにも十楽とは俺のこと。碧く(あおく)冴えた神楽月、宵風凪いだ(ないだ)吉原で、ほろ酔い気分の阿呆奴がどう騒いだところで、諍い(いさかい)果てての乳切り木か焼け石に水。花魁は確かにいただいた。これにてご免(析頭)こうむります」
 
飛び降りた十楽が光り球を投げる。閃光に続き硝煙。
辺りは混乱をきたす。
 
坂上   「逃がすでない、捜せ」
十楽   「あばよ」
 

 ※  ※  ※  ※

 
夜の街道
 
   お吉が駆けてくる。
 
お吉  「十楽、十楽」
 
  お吉、十楽をさがしている。
 
お吉  「私たちは計画通り吉原を脱出したというのに。……十楽、十楽」
 
   清十郎、やってくる。
 
清十郎 「お吉、十楽は戻ってきたか」
お吉  「まだだ」
清十郎 「ここにいては人目につく。隠れ家に戻るぞ」
お吉  「でも」
清十郎 「行くぞ」
 
 ※  ※  ※  ※
 
  
3景 盗人宿
 
葦が茂る川沿の農家風空家の中。
女郎着姿の高尾が座っている。離れた所で清十郎が酒を飲み、お吉は不満げに高尾を見据え座っている。松六はお茶を入れ高尾に持ってくる。
 
松六   「のどが渇きませんか、お茶です」
高尾   「いえ、結構です」
松六   「手荒な事はしないから安心してください。ここに置いておきます、飲みたくなったらどうぞ」
 
お吉、清十郎入ってくる。
 
松六   「十楽さんは」
お吉   「十楽は戻ってこない。あいつはあそこに残って何をしてるんだ」
清十郎   「まだ用があると言っていたが。…十楽の奴、吉原を侮ると痛い目にあうぞ」
松六   「大丈夫ですよ十楽さんは」
清十郎  「お前は吉原を知らないからそんな事が言えるんだ」
松六   「唯の遊郭でしょう」
清十郎  「あそこはな、この世から隔離された別の国だ」
松六   「どういう意味です」
清十郎  「その内分かる。俺達はそこの姫様をさらったんだ」
お吉   「頼まれたから手伝ったが…。兄貴、十楽は何でこの女をかどわかしたんだ」
清十郎  「さあな」
お吉   「高尾太夫、あんたは抵抗せず、言われるままココまでついてきた。どうしてだ」
松六   「怖かったからでしよう」
お吉   「そうは思えない。…あんた、十楽と何か関係があるのか」
高尾   「……」
 
お吉、匕首を取り出す。
 
お吉   「まさか、十楽のイロなんじゃ」
高尾   「……」
お吉   「答えろ」
清十郎  「お吉止めろ」
お吉   「兄貴、十楽はこの女を足抜けさすために私達を使ったんじゃ…」
松六   「ありえませんよ」
清十郎  「吉原一の花魁が、十楽を相手にするものか」
松六   「その通りです」
お吉   「どうだか」
松六   「お吉さん、焼餅ですか」
お吉   「何だと、これはそんなんじゃ……」
清十郎  「ドスをしまえ。……太夫、俺も気になってるんだ。あんたを縄で縛り無理やりココに連れて来る手間は省けて大助かりだが、俺達に従う理由が分からず気持ちが悪くていけない。本当に怖かったからかい」
高尾    「親父様が兄さん達に従えと」
清十郎  「どういう事だ」
高尾   「十楽は私の兄です」
 
三人驚く。
 
お吉   「本当か」
高尾   「はい」
清十郎  「益々訳がわからんな。十楽は何を考えてやがる」
松六   「実は俺達、十楽さんの手伝いをしただけで何も聞かされてないんです。訳を教えてくれませんか」
高尾   「話は兄さんから。まもなく吉原から甚右衛門様をここに連れて来ると思います」
清十郎  「吉原の惣名主、庄司甚右衛門をここに」
高尾   「はい。でも今は隠居して惣名主ではありません。二人が来れば話をすると思います」
清十郎  「深い訳がありそうだな。兎も角十楽が戻るのを待とう」
松六   「ですね」
高尾   「あの、お茶いただきます」
松六   「はい」
 
高尾、お茶を飲む。
 
松六   「ありんすとか言う里言葉は使わないんですか」
高尾   「あれは仲(吉原)の言葉、ここは外ですから」
松六   「なるほど」
十楽(声)  「戻ったぜ」
 
十楽が甚右衛門を連れ戻る。
 
高尾   「親父(おやじ)様」
甚右衛門 「太夫、大変な思いをさせてしまった。勘弁しておくれよ」
松六   「父親なんですか」
甚右衛門 「吉原の惣名主を君がててと呼びます。きみは遊女、てては親父のこと。ですから吉原の遊女は皆、私を親父と呼びます」
十楽   「遅くなってすまなかった。なんせ爺さんの足が遅くて」
お吉   「話をしてくれ十楽。仲間の頼みだから引き受けはしたが、私達は盗賊だ、人さらいじゃない。どうしてこんな事を」
甚右衛門 「私からお話します。詳しい話はご勘弁して頂きたいが、ここにいる高尾太夫はさる高貴なお方の血縁筋でございます。しかし吉原と言う所は俗世から縁を切った無縁の地。一旦吉原に足を踏み入れれば誰であろうと肩書きを捨て去らなければなりません。それは客も同じ事、例え殿様でも身分は通用しません。これは幕府のお墨付きをいただき長い間守られてきた決め事です。ところが高尾太夫の血筋を政に利用しようとする輩が現れた。そして事もあろうか、そいつ等の口車に乗り吉原から裏切り者が出た。このままでは近い内に高尾太夫は権力者の手に渡ってしまう」
十楽   「そうなる前に高尾を連れ出した。で、これから奴等の手の届かない所に逃がすつもりだ」
清十郎  「高尾太夫は十楽を兄貴と言ったが、本当か」
十楽   「ああ。俺は初代高尾の倅。こいつは娘さ」
清十郎  「こいつは驚いたな」
お吉   「何故黙ってた」
十楽   「万が一しくじりそうになった時、それを知っていたらお前達は無理をしただろう。だから後回しにしたんだ、勘弁してくれ」
高尾   「親父様、私の血筋と言うのは何です。教えてください」
甚右衛門 「太夫、それは知らなくていい。お前さんは俗世と無縁の人間だ」
高尾   「でもそれが元でこんな事に」
甚右衛門 「これだけは教えておこう。太夫の母、初代高尾も御祖母様も、権力に縛られぬ事を望んでいた。そして、それを叶えるのが私の務め」
高尾   「……」
甚右衛門 「それにしてもどうやって高尾太夫を連れ出したんだ」
十楽   「大門から堂々と出たぜ」
甚右衛門「正面から。どうやつて」
松六   「あれだけ派手に暴れたから沢山怪我人が出たでしょう。すると方々から医者が呼ばれてやってくる。籠に乗ったまま吉原に出入りできるのは医者だけです。後はその籠に花魁を乗せて、俺達が駕籠かきに化けて、エイサ、ホイサと大門を出てきました」
甚右衛門「成程。だから予告状を出して騒ぎを大きくした訳か」
松六  「そういうこと」
 
風の音がする。
十楽達、咄嗟に身構える。
 
十楽   「つけられたか」
甚之丞  「(声)邪魔するぜ」
 
甚之丞が入ってくる。
 
十楽   「誰だ」
甚之丞  「現吉原惣名主庄司甚之丞。高尾太夫を迎えに来た。太夫、戯言は終わりだ。俺と来てもらおう」
高尾   「私は行きません」
甚之丞  「花魁扱いはしないぜ。籠を用意させた。それに大人しく乗れ」
甚右衛門「太夫は渡さん」
甚之丞  「吉原の亡者がほざくな」
十楽   「聞こえたろう、渡さないぜ」
 
甚之丞が手を鳴らす。それを合図に南無妙法蓮華経のお題目が聞こえてくる。四方から白衣の行者たちが現れ、団扇太鼓を鳴らしながら取り囲んでいく。
 
清十郎  「何だ」
 
お吉、外を覗く。
 
お吉   「囲まれた」
高尾   「外にいるのはその男の影です。吉原で相手をした首代とは違い、本当に恐ろしい連中です」
十楽   「親父、俺は肝心な事を聞いてなかった。吉原を裏切ったこの男の裏にいる権力者ってのは誰だ」
 
甚之丞、再び手を叩く。それを合図に白装束の男たちが飛び込んでくる。手にしているのは反りのない短刀。男たちは躊躇なく、疾風のように十楽たちに斬りかかった。
 
お吉   「こいつら何者だ」
清十郎  「この動き、忍びだ」
 
白装束の一人が甚右衛門を捕らえ当身を食らわす。それを見た高尾がその場から飛び出し、護身用に持っていた懐剣を自分の喉元に当てる。
 
高尾   「これ以上やるなら自分を刺します」
十楽   「馬鹿な真似はよせ」
高尾  「いいだろう。手間をかけさすな」
 
甚之丞が手を振ると、白装束の男たちは甚右衛門を連れ、風の速さでいなくなった。
 
甚之丞  「後を追えば甚右衛門を殺す。それから十楽とか言ったな、邪魔をすれば次は命を貰うぞ」
 
甚之丞、高尾を連れ出て行く。
 
十楽   「上等だ」
 
十楽、隠してあった菰の包みを取り、中から二振りの刀を出す。
 
お吉   「十楽、私も行く」
十楽   「お前は残れ」
お吉   「手伝う」
十楽   「駄目だ」
清十郎  「二人とも止(よ)せッ」
 
戸口に立ったお吉が倒れる。その背中にクナイが刺さっている。
 
十楽   「お吉ッ」
 
駆け寄る一同。

 ※  ※  ※  ※

 
4景 松平信綱屋敷
 
座敷に高尾が座らされている。
その背後に洛中洛外屏風。
甚之丞が現れる。
 
高尾   「私をどうするつもりです」
甚之丞  「御老中と対面してもらう」
高尾   「!」
 
松平信綱,現れる。
 
高尾   「あなたは松平信綱様」
信綱   「憹を知っておったか」
高尾   「評定所(ひょうじょうしょ)でお見かけした事が」
信綱   「ふむ」
高尾   「しかし何故、信綱様が」
信綱   「手荒な真似をいたしてすまなかった。この様な事になったのは不測の事態ゆえ。許されよ」
高尾   「理由は何です」
信綱   「姫になってもらう為」
高尾   「え」
信綱   「そなた、自分の生い立ちを知っているか」
高尾   「私は先代高尾の娘です。父親が誰かは知りません。母は話してくれませんでした」
信綱   「そなたの祖母は天(てん)樹(じゅ)院(いん)様、すなわち二代将軍秀忠様の娘、千姫様だ」
高尾   「まさか、ありえません」
信綱   「嘘ではない。大阪夏の陣直後、徳川方の千(せん)賀(が)水軍が豊臣の御(ご)座(ざ)船(ぶね)を捕獲し知多の師(もろ)崎(ざき)に連れ帰った。その御座船には数人の侍女にかしずかれた高貴なお方がいた。それは淀君であった」
高尾   「淀君、しかし」
甚之丞  「大阪城で自害したと聞いたか。徳川を欺く作り話だ」
信綱   「淀君は葵の御紋入りの産着を着た赤子、玉姫を抱いていた。父親の名は明かさなかったが母親は千姫だと、淀君は言ったそうだ。もしかしたら、父親は豊臣秀頼殿かもな。その報告を受けた家康公は二人を殺せと命じた。豊臣を根絶やしにする為だ。すると淀君は、自分の命と引き換えに、玉姫を助けてくれと若き頃より親交のある千賀(せんが)志(し)摩(ま)守(のかみ)殿に嘆願され自害なされた。不憫に思った志摩守殿は千賀水軍のある男に玉姫を託し逃がした。そしてその後、玉姫が吉原で初代高尾になった」
高尾   「その赤子、玉姫が私の母。そんな話は信じられません」
信綱   「調べるのに苦労したが本当だ。それと、そなたの後ろにある洛中洛外屏風。それは淀君、玉姫と一緒に御座船に乗っていた代物。それがそなたの身分を明かす証となる。憹がその男に命じて師崎の延命寺から持ち出させた」
高尾   「この洛(らく)中(ちゅう)洛(らく)外(がい)屏風が、証…」

 
 ※  ※  ※  ※


街中の夜道

十楽、清十郎現れる。
十楽は菰の包みを持っている。
 
清十郎  「吉原に行くつもりか、よせ」
十楽   「お吉がやられて妹が奪われたんだ。手掛かりを得るには、そこに戻るしかない」
清十郎  「気持ちは分かるが、危険だ」
十楽   「それに庄司甚右衛門は、俺の父親だ」
清十郎  「なに……。おい、十楽」
 
十楽、走り去る。
清十郎、あとを追う。


  ※  ※  ※  ※


元の座敷。
 
甚之丞  「甚右衛門は元北条氏の家臣で北条氏没落の後、仲間の居場所を作るため幕府に吉原取立てを願い出た。だか何度も許可願いは突き返された。そこに赤子を抱いた知多の男が現れ、甚右衛門に成りかわり許可願いを出した。暫くして幕府から傾(けい)城(せい)町免許の沙汰が下り、そいつが吉原の惣名主に命じられた。そのあと甚右衛門は失意の中病で死んだ」
高尾   「え?」
甚之丞  「本物はな。その後何故か知多の男が庄司甚右衛門を名乗った」
信綱   「だが何故こんな事が出来たか。その男が、いや千賀志摩守が裏から千姫を動かし許可を得た」
甚之丞  「吉原とは表向きは傾城町だが、実は千姫の娘、玉姫を守る城だ。吉原は周りに黒塀を巡らせ出入り口は大門唯一つ。そこは厳重な警備がされ、塀の中は首代という武装集団が警護する。これらは全て玉姫を守るためだ」
高尾   「貴方は誰なんです」
甚之丞  「北条の生き残り。死んだ本物の甚右衛門の倅さ」
高尾   「北条の」
甚之丞  「人は俺達を風魔と呼ぶ」
高尾   「(吃驚)」
甚之丞  「その城から二代目の姫を連れだすのは簡単じゃない。相手は天下の花魁高尾太夫だ。だから手荒な事は出来ないと手を拱いて(こまぬいて)いたが、それを盗賊が助けてくれた」
高尾   「私に何をさせるつもりです」
信綱   「その屏風と共に千姫様に引き合わせ。まこと家康公の血筋、自分の孫だと認めていただく。その後、憹の倅信定と夫婦となり、行く行くはこの信綱の家から上様を出す」
高尾   「私は政の道具ではありません」
信綱   「そなたは自分の父を知らぬと申したな。教えてやろう。そなたの父は、吉原初代惣名主、庄司甚右衛門である」
高尾   「甚右衛門様が」
信綱   「玉姫の話は将軍職を継いだ者が一子相伝で伝え聞いていた。しかし憹は家光公からその事を伺ったのだ。調べてみると確かに淀君は自害なされたが、玉姫が死罪になった記述がない。もしやと思い調べを進め、漸くここまで辿り着いた。憹は自分の夢を実現すべく甚右衛門を呼び出し、そなたを差し出すよう請うた。ところがあやつはそれを断り、挙句そなたを逃がした。現在甚右衛門はその男の手の内にある。断れば父親は死ぬ事になる。選択の余地はないぞ」
高尾   「酷い事を」
信綱   「そして、これが憹の武功となり、周囲に力を知らしめる事になる」
甚之丞  「武功でございますか」
信綱   「風魔の頭、これは戦よ」
甚之丞  「知恵伊豆様は、まさに名軍師でございます」
信綱   「大願成就のあかつきには、お主の願いも叶おうぞ」
甚之丞  「有難き幸せ」
 
信綱、去っていく。
 
甚之丞  「松平伊豆守信綱。知恵伊豆と言われた切れ者だ。凄い事を考えられる」
高尾  「貴方は何を考えているんです」
甚之丞  「風魔は新しい領地を貰い、俺は一国一城の主、大名になる」
高尾  「何ですって」

野心に満ちた甚之丞。


  ※  ※  ※  ※


 
5景 西田屋
 
みせすががき聞こえている。
屏風で囲まれた部屋(内所)で、番頭と見世番がタバコをのみながら話をしている。
そこに西田屋の若い衆になりすました十楽が来る。
 
十楽   「すみません。親父様(甚之丞)はどちらでしょう」
番頭   「高尾太夫のことで大騒動なんだ。まだ戻ってない」
十楽   「どちらに行けば会えます」
番頭   「見かけない顔だが新入りか」
十楽   「へい」
番頭   「親父様に何の様だ」
十楽   「ちょいと野暮用でして」
番頭   「馬鹿野郎、新入りが親父様に口など聞けるか。代わりに俺が聞いてやる」
十楽   「あ、いや……」
 
振袖新造が来る。
離れた所に頭巾を被った侍が現れる。
 
新造   「(十楽に)座敷に煙草盆を持ってきてくんなまんし」
十楽   「煙草盆、ん……どこに……」
番頭   「ここ(十楽に煙草盆を渡す)」
十楽   「どうも。これをどこの座敷へ」
新造   「こちらでありんす」
 
十楽、煙草盆を持ち新後を造の後について行く。
頭巾の侍、その後に続く。
 
見世番   「あれ、今のお侍……伊達様?」
番頭   「まさか。仙台のお殿様がここに来るものか」
見世番   「そうですね」
 
褌一丁の男が駆け込んでくる。
 
男     「番頭さん、番頭さん」
番頭    「客さん困ります、そんな形でうろうろされたら」
男    「あ、見世番さん」
見世番   「番頭さん、うちの若い者ですよ。お前、茶屋に文を届けに行ったんじゃなかったのか。何で裸だ」
男    「それが、途中で追いはぎに会ってこんな事に」
番頭   「吉原の中で、追いはぎ」
男    「男に親父様の事を尋ねられ、ちょいと物陰に入ったら頭をガツンと。気がついたらこの有様で」
見世番  「番頭さん、今の新入り」
番頭   「ああ」
 
番頭、見世番、十楽の後を追う。
すれ違いで振袖新造(十楽)出てくる。
 
十楽   「どうしなんした、その姿」
男   「表で追剥ぎに」
十楽   「気の毒でありんす」
 
十楽、内所に掛けてある羽織を取り、裸の男にかけてやる。
 
男   「これは番頭さんの」
十楽  「わっちが断っておきんす。それより親父様の部屋を教えてくんなまんし」
男   「知らないの。あれ、新しい子?」
十楽  「主さん、お願い」
男   「俺が主さん?」
 
番頭、見世番戻ってくる。
 
番頭   「あの男、どこにいったんだ」
見世番  「(褌男に)お前はそんな所にいないで、着物を着てこい」
番頭  「その半纏は私のだろう、着るんじゃない」
 
番頭、半纏を剥ぎ取る。
番頭、見世番去る。
 
十楽  「まいりましょう」
男    「こっちだよ」
十楽   「あい」
 
十楽、褌男について行く。
入れ替わり、頭巾の侍が来て後を追う。

 ※  ※  ※  ※



6景 西田屋・庄司甚之丞の部屋
 
十楽、入ってくる。
 
十楽   「ここがあの野郎の部屋か」
 
十楽、辺りを物色する。
 
十楽   「手掛かりになるような物は何もない。本当に惣名主の部屋なのか」
 
紫頭巾の侍(伊達綱宗)が入ってくる。
 
綱宗   「西田屋主の部屋にしては聊か(いささか)殺風景だな。まあそれもその筈、甚之丞は商いを番頭に任せっきりで、ここには顔を出さない」
十楽   「どちら様でありんす」
綱宗   「吉原の傾城が憹を知らんか」
十楽   「他所から流れきた田舎者ゆえ、失礼いたしんした」
 
綱宗、頭巾を取る。
 
綱宗   「仙台藩主伊達綱宗だ、見知りおけ」
十楽   「伊達のお殿様」
綱宗   「お前に話がある。しかしここでは長いも出来まい。今から憹と来てもらおう」
十楽   「わっちみたいな新造にお殿様が何の用かはしりんせんが、はいと付いていったならきつくお叱りを受けんす。これで失礼しんすわいな」
綱宗   「帰す訳にはいかん。化けの皮を剥がさなければ言う事を聞かんか」
十楽   「何の話で」
綱宗   「うまく化けたものだ、本物の女と見まごうな。主は狐か狸の化身か」
十楽   「とんだ御戯れを」
綱宗   「憹は高尾をかどわかしたあの騒動で、太夫に化けた盗賊の面をしかと見た。お前はあの時の男だ」
十楽   「何かの間違いでありんす」
綱宗   「まだ言うか。それなら裸にひん剥いて身体を検めるか」
十楽   「それは……」
綱宗   「さあ」
 
詰め寄る綱宗。
 
十楽   「仕方がねえ正体を出すか」
 
十楽、その場に居直る。附け打ち。
 
十楽   「俺は男でお察しの通りあの時の盗賊よ。吉原に舞い戻り、こんな形をして惣名主の部屋に入ったのは、止むに止まれぬ訳がある。さあどうする。人を呼んで召し取って俺を突き出すかい。捕まるつもりできたんじゃねえが、また騒ぎになりゃ、惣名主の甚之丞が面を出すかも知れねえ。そうなりゃかえって好都合だ」
綱宗   「十楽とか申したな」
十楽   「その通りだ見知りおけ」
綱宗   「役者の真似をして女形か。成るほど、召し取ることの適わぬ神出鬼没の盗賊のカラクリとはそれか」
十楽   「それだけじゃねえ、腕も確かさ。おい、どうするんだ、突き出すのか」
綱宗   「それは致さん」
十楽   「ほう。そう言ゃ俺に話があると言ってたな。何だい話って」
綱宗   「お主、高尾太夫を奪われたな」
十楽   「何で知ってる」
綱宗   「仙台藩主の情報網を甘くみるな」
十楽   「成程」
綱宗   「お主が高尾をかどわかした時、花魁道中をさせたのは憹だ」
十楽   「え、そうだったか。それはとんだ恥をかかせちまったな。……何だ愚痴を言いに来たのか」
綱宗   「そうじゃない。……憹は初代惣名主庄司甚右衛門殿に頼まれて、あの日高尾太夫を呼び出し道中を行わせたのだ」
十楽   「何ッ」
綱宗   「高尾がいなくなることも知っていた」
十楽   「こいつは瓢箪から駒だ」
 
番頭と見世番が入ってくる。
とっさに十楽は女に戻り、綱宗はその十楽の肩に手を回す。
 
十楽   「御戯れはよしてくんなまんし」
綱宗   「そう言わず良いではないか」
番頭   「こんな所で何をしている」
綱宗   「おお、これは番頭か」
番頭   「これは伊達様」
見世番  「ほら、やっぱり伊達様だ」
番頭   「伊達様、ここは西田屋主の部屋でございます」
綱宗   「そうであったか。酔って部屋を間違えた」
番頭   「すぐ出て行ってくださいまし」
綱宗   「ああ」
 
番頭、見世番でていく。
 
綱宗 「行ったか」
 
二人、戻ってくる。
十楽、綱宗抱き合う。
 
番頭   「あの伊達様」
綱宗   「どうした」
番頭   「その遊女を連れて行ってもよろしゅうございますか」
綱宗   「硬いことを言うな。金ならたんとはずんでやる」
番頭   「しかし。その様な散茶ではお殿様には…」
綱宗   「憹はこの女が好みなのだ。では参ろう」
十楽   「あい」
 
綱宗、十楽出て行く。
 
番頭   「噂通りの女好きだ」
見世番  「でも飛び切りのお金持ち。はずんでくれるならいいじゃありませんか」
番頭   「それもそうだな。……しかし、どうして西田屋にいらっしゃった。大金持ちは気に入った太夫を揚屋に呼び出し遊ぶのが習わし。傾城屋に直接来るのは小金持ちだ」
見世番 「あのお殿様は変わり者ですから」
 
そこに布団を身に巻いた新造が来る。
 
新造   「番頭さん」
番頭   「何だその格好は」
新造   「それが……」
見世番  「いくら傾城屋と言っても、そんな馬鹿な姿でうろつくんじゃない」
新造   「追剥ぎに会いんした」
番頭   「店の中で追剥ぎ」
見世番  「番頭さん、今の新造」
番頭   「あッ」
 
慌てて出て行く番頭、見世番。
 
新造   「あ、待って」
 
取り残され途方にくれる新造。
褌男が戻ってくる。
 
褌男  「それを貸してくれ」
 
と、布団を剥がしだす。
 
新造  「やめて、変態」
 
布団を取り合う二人。

 ※  ※  ※  ※


堀端の柳の陰で佇んでいる綱宗。
十楽がやってくる。
 
十楽 「待たせたな」
綱宗 「お主、その形でどうやって出てきた」
十楽 「お歯黒どぶを飛び越えてきたのさ」
 
薄暗いお堀端の傍らに稲荷神社が建っている。
そこの菰の中から二振りの刀を十楽が取り出す。
 
綱宗   「お主の指料か。変わっているな」
十楽   「ただの玩具さ。吉原には不似合いだから隠しておいた」
 
十楽は一刀を左脇に、短刀を背にさす。
 
十楽   「さあ、知ってる事を話してくれ」
綱宗   「お主は憹が高尾太夫に入れ込んでいる事を知ってるか」
十楽   「小耳に挟んでる」
綱宗   「高尾太夫も憹に惚れておる」
十楽   「何の話がしたいんだ」
綱宗   「まあ聞け。それで憹は身請けを申し出た。ところが高尾は首を立てに振ってくれぬ。何度申しても駄目だった。それで三浦屋に直談判したところ、それじゃ高尾太夫を目方にかけますが、一匁いくらで引き取ってくださいますかとほざいた。いくらでもいいから引き取ろうと言うと、高尾太夫の目方は七十七貫目、相撲取り二人分ございます。一匁一両で七千七百両になります。と言われた」
十楽   「無茶苦茶な話だ」
綱宗   「だが憹はその金子を払うと申した。すると庄司甚右衛門殿が現れ憹にこう言った。……いくら積まれても高尾太夫はお渡しできません。身分の高いお方に貰われては、後々政の道具にされかねません。ですからお断り申しますと」
十楽   「……」
綱宗   「そう言われ憹は腹を割った。実は江戸城小石川掘の普請のためこちらに参っている。それが終われば憹は跡目を倅に譲り隠居するつもりだ。その後は高尾と静かに暮らしたいと申した。その時甚右衛門殿は目を閉じたまま何も言わなかった。……その数日後だ。憹の屋敷に甚右衛門殿が参られ、高尾を揚屋に呼び出し花魁道中をさせろと言うのだ。その時甚右衛門殿の顔色を見て、憹は不審に思った」
十楽   「その時、かどわかす話を」
綱宗   「それだけではない。とんでもない話を聞いた。高尾太夫は、家康公の血を引く姫様だと」
十楽   「……」
綱宗   「その高尾を幕府の権力者が利用しようと狙っている。吉原からも裏切り者が出た。だから高尾を守るため吉原から連れ出す。その為に、憹に呼び出しを掛けてほしいと」
十楽   「それで」
綱宗   「ならば憹が身請けをして守ってやると言うと、貴方様でも歯が立たぬお方だと」
十楽   「ちょっと待て」
綱宗   「どうした」
十楽   「何故俺にその話をする」
綱宗   「第一印象で決めた。仲間にするならこの男だと」
十楽   「はあ」
綱宗   「憹の勘だ、単純にそう思った。二人で高尾を奪い返そうではないか」
十楽   「殿様が味方とは心強えな。しかし肝心の高尾はどこにいる」
綱宗   「心当たりがある。確かではないが、憹でも歯が立たぬ幕府の権力者と言われて一人思い立った」
十楽   「そいつは誰だ」
綱宗   「老中、松平信綱」
 
十楽、辺りの殺気に気づく。
 
十楽   「殿様」
綱宗   「分かっている。どうやら囲まれた」
 
闇の中から二人を包囲するように、顔を隠した侍が現れる。
 
十楽   「吉原の首代でも甚之丞の影でもなさそうだ。奉行所の連中か」
綱宗   「どうかな」
 
十楽と綱宗に、二人の侍が同時に抜き打ちを浴びせてくる。二人は動じることなく斬下をかわす。
 
綱宗   「仙台藩主、伊達綱宗と知っての狼藉か」
侍1    「伊達殿は手を引いてもらおう」
綱宗   「誰だお主ら、名を名乗れ」
侍1   「……」
綱宗   「信綱殿の手の者か」
 
侍たちはそれには答えず、代わりに殺気を増した。
 
綱宗   「今の殺気が答えか」
侍1    「引かぬなら斬る」
 
四人同時の斬下が二人を襲う。綱宗は右からの剣を掻い潜り、抜刀した大刀で一人の真向を斬ると、翻り様もう一人の腹を薙いだ(ないだ)。十楽は二人の斬下を見切りでかわすと右手で抜いた背中の刀で正面の男の首筋を斬り、ほぼ同時に左手で抜いた刀でもう一人の腹を突いた。二人は呼吸を乱す事なく、綱宗はピタリと正眼に構え、十楽は二刀をダラリと下げている。侍たちに動揺が走る。
 
侍1    「(唸り)引け」
 
侍たちは一斉に去る。
 
綱宗   「黒幕は松平信綱殿で決まりだ」
十楽   「殿様、その老中を知ってるか」
綱宗   「何度か会った事はある」
 
火縄銃の音が鳴り響く。
十楽、綱宗咄嗟に伏せる。
 
十楽   「しつこいな」
 
再び銃声。
二人、稲荷の階段に駆け上がる。
 
綱宗   「下手に動けん、どうする」
十楽   「後ろは川だ。殿様、泳げるか」
綱宗   「畳の上の水練ならある」
十楽   「泳げないのか」
綱宗   「そうだ」
 
銃声と同時に二人の顔先に土煙があがる。
 
十楽   「いいから飛び込め」
綱宗   「南無三」
 
激しい銃声と共に二人は堀に飛び込む。

 ※  ※  ※  ※


8景 江戸郊外・十楽の隠れ家
 
粗末な宿屋。板間の布団にお吉が寝かされている。傍らに清十郎と松六。
 
松六   「…熱は下がりましたね。お吉さんはもう大丈夫です」
清十郎  「医者の薬が効いたか」
松六  「そのようです」
 
清十郎、匕首を懐に入れ立ち上がる。
 
松六   「待ちましょう、必ずここに来ますよ十楽さんは」
清十郎  「殴ってでも止めればよかった」
松六  「らしくありませんよ」
清十郎  「お吉がこのざまだからか。……お前の言う通りだ、らしくねえ」
 
清十郎、座りなおす。
 
清十郎 「どうもいけねえ。いつになく冷静さをかいちまう」
松六  「(お吉を見て)無理もありません、こんな事態になったんだ。
…お吉さん、何にか握り締めてます。お守りでしょうか」
清十郎 「十楽の実家、師崎の羽豆神社の守札だ。あいつから貰ったらしい」
松六 「へえ、知らなかった」
清十郎 「お吉には散々言い聞かせていたんだ。十楽に惚れるのは勝手だが、お前がどうにか出来る相手じゃない、だからのぼせるなと。俺達の務めは冷静さをなくせばしくじりを生む。お吉は十楽の事になると熱くなり、俺は妹の事になると……。いけねえな」
松六  「……」
清十郎  「なあ松六」
松六  「はい」
清十郎  「仲間の頼み事で関わった仕事だが、俺達はこの辺で…」
十楽   「(声)入るぜ」
清十郎  「十楽か」
 
ずぶ濡れの十楽と綱宗が入ってくる。
 
清十郎  「そいつは誰だ」
十楽  「仙台藩のお殿様だ」
清十郎  「どうして仙台の殿様がお前と一緒なんだ」
十楽   「色々あってな」
綱宗  「良しなに頼む」
十楽  「松六、身体を拭く物をくれ」
 
松六、手拭を二人に渡す。
 
十楽   「お吉の具合は」
松六   「医者に手当てをしてもらいました。今は薬が効いて寝てますが、もう心配ありません」
清十郎  「何があったか知らねえが、何故その殿様をここに連れてきた」
十楽   「そう怒るな、色々あったと言ったろ」
清十郎  「説明しろ」
十楽   「二人で鉄砲に狙われ川に飛び込んだ。お殿様は泳げないのに刀を捨てないから溺れそうになってな…」
綱宗   「武士の魂を捨てられるか」
十楽   「俺が助けなければ土左衛門になっていたぞ」
綱宗   「これは陸(む)奥(つ)新(しん)藤(とう)五(ご)という名刀だ」
十楽   「そんなもの知るか」
綱宗   「これはな……」
清十郎  「何故狙われた」
十楽   「藪をつついたら蛇が出た」
清十郎  「その蛇の正体は」
綱宗   「老中松平信綱」
清十郎  「何だと、そいつは知恵伊豆と言われる切れ者だ。確かか」
十楽   「間違いないだろう。今知恵伊豆の配下に襲われ逃げてきた所だ」
清十郎  「仙台のお殿様が何故十楽と一緒に狙われるんだ」
十楽   「色々あって、俺と一緒にこの件に係わろうとした為さ」
清十郎  「だからと言って、ここに連れて来るとはどう言う了見だ。仙台藩主に面が割れたら、これから先仕事がやり辛くなる。俺達には大事な役目があるだろうがッ」
松六   「清十郎さん」
清十郎  「……」
綱宗   「お主等、唯の盗賊ではないな」
 
清十郎、松六の顔が鋭くなる。
綱宗、正座する。
 
綱宗   「頼む、高尾太夫を取り戻す為に御主らの力を貸してくれ」
清十郎  「帰ってくれ。あんたを信用できるか」
十楽   「そう邪険にするな清十郎。どうやら俺の親父は、この殿様を信じたみたいだ」
清十郎  「だから」
十楽   「俺もそうするぜ。殿様、俺達は元千(せん)賀(が)水軍だ」
清十郎  「おい、十楽ッ」
十楽  「水軍といっても戦の頃と違い、太平の世の中じゃ大した仕事はない。精々行き交う船の監視くらいだ。 ……ある日のことだ。俺達が夜警を終え港に戻るとき、師(もろ)崎(ざき)にある延命寺から火の手が上がった。駆けつけると黒尽くめの連中が延命寺を襲っていた。俺達水軍は殆ど斬り殺され、寺にあった洛中洛外屏風が奪われた」
清十郎 「もう止めろ」
十楽  「大丈夫だよ」
清十郎 「(溜息)」
十楽  「その後俺達に千(せん)賀(が)志(し)摩(ま)守(のかみ)様から命が下った。洛中洛外屏風を探し出し取り戻せと」
綱宗   「それで盗賊に身を窶したのか」
十楽   「そう言う事だ。殿様、俺の親父は庄司甚右衛門。母親は初代高尾。今の高尾は俺の妹だ」
綱宗   「何と、そうなのか。だから甚右衛門殿は、お主に太夫を……」
十楽   「そうだ。俺はガキの頃吉原を出され、知多の師崎にある羽豆神社に預けられた」
綱宗   「やはり憹の感は正しかった。なあ、御主らの力を貸してくれんか」
十楽   「俺が妹を助けるのは当たり前だ。だが今回の事は俺達の使命と関係ない。だから清十郎、松六、お吉を連れて江戸を離れろ。二人共この件から手を引いてくれ」
清十郎  「そうさしてもらう」
松六   「清十郎さん、でも」
清十郎  「こんな事に首を突っ込んだら命がいくつあっても足りるか。それに俺には大事な仕事がある。松六、お前もそうだろう」
松六   「しかし」
十楽   「その通りだ。松六、お吉を頼む」
松六   「十楽さん、訳の分からないお殿様と二人でどうするつもりです。相手は忍びを操る甚之丞と老中ですよ」
綱宗   「仙台藩主を訳の分からないとは聞き捨てならんな。こう見えても憹は伊達政宗の孫で後(ご)西(さい)天皇の従兄弟だぞ」
十楽   「マジか」
綱宗   「本当だ。そしてこの刀は、後西天皇からの贈り物だ」
十楽   「すげェ」
松六   「暢気な事を。俺は手伝います」
十楽   「有難いが巻く込みたくない。清十郎、二人を頼んだぜ」
清十郎  「分かった」
松六   「……」
十楽   「殿様、そう言うことだ。行くぜ」
綱宗   「仕方あるまい。邪魔をした」
 
二人、外に出る。
 
十楽   「さて殿様、これからどうする。俺は知恵伊豆に会ってみたくなった」
綱宗   「西の丸下の屋敷に乗り込むのか。それは無理だ」
十楽   「何か方法があるだろう」
綱宗   「ふむ」
十楽   「とにかく面を拝んでやる」
 
清十郎、出てくる。
 
清十郎  「十楽」
十楽   「清十郎、お吉の事は済まなかった。勘弁してくれ」
清十郎  「お前のせいじゃない」
十楽   「……」
清十郎  「十楽、お吉が目を覚ましたとき、お前がいないとあいつが悲しむ。生きて帰って」
十楽   「ああ、その積もりだ」

 
  ※  ※  ※  ※


 
9景 料亭
 
松平信綱が中央に座り、腹心の家臣と共に芸者遊びに興じている。
華麗な芸者。
舞ひときわ美しい芸者(十楽)の舞。最後は総舞踊で締めくくられる。
 
信綱   「美しい芸者だ、近こう寄れ」
十楽   「はい、お一つどうぞ」
 
十楽、酌をする。
外から来た家臣が信綱に歩み寄ると、耳打ちをする。
 
信綱   「なに、まことか」
家臣   「追い返しますか」
信綱   「よい、通せ」
家臣   「は」
 
家臣は頷くと奥に消える。代わり入ってくる綱宗。綱宗、下座に鎮座する。
 
信綱   「松平信綱である。仙台藩主伊達綱宗殿か」
綱宗   「左様、伊達綱宗です」
信綱   「このような所に何しに参った」
綱宗   「卒璽ながらお伺いしたい事がありまかり参上つかまつった」
信綱   「何であろう」
綱宗   「吉原傾城、高尾太夫の所在について伺いたい。今どこに捕らわれております」
信綱   「何の事だ」
綱宗   「あなたでしょう、裏で糸を引いているのは」
信綱   「吉原の高尾太夫が盗賊に浚われた(さらわれた)のは憹も耳にしている。しかし、それが憹と何の係りがあろう。与り知らぬ事だ」
綱宗   「お惚け(おとぼけ)を。大御所様の血を引く高尾太夫を返してくれ。あれは俺の女だ」
 
信綱、扇子で高膳を叩く。
芸者、女中達が顔色を変えいなくなり、
家臣達が殺気立つ。
 
信綱   「ぬけぬけと」
綱宗   「どうされます、斬りますか」
 
十楽、信綱の喉元に匕首を当てる。
 
綱宗  「貴様」
十楽   「動くな」
信綱   「お前が十楽か」
十楽   「御老中様が俺を知っているのか。それは光栄だ」
信綱   「斯様(かよう)な事をして無事に済むと思っているのか」
綱宗   「いえ、思っていません。しかし憹も十楽も後先考えず動くタチです。まあ、生きて帰れるかは時の運でしょう」
十楽   「さあ老中殿、高尾の居場所を教えてもらおうか」
信綱   「憹の喉を斬ればよい。そうすれば聞きたいことも聞けなくなるが」
十楽   「殿様、どうする」
綱宗   「お主の好きにすればいい」
十楽   「それじゃ老中を道連れに、俺達はあの世に行くか」
綱宗   「よかろう、やれ」
信定   「待て」
 
家臣の中から信綱の倅、松平信定が歩み出る。
 
信定   「父上、話しましょう。この様な事で命を落としてはつまらないでしょう」
信綱   「……」
信定   「お前達、すぐ座敷から出て行け」
家臣   「しかし」
信定   「心配ない、出て行け」
家臣   「は」
 
家臣達、座敷を出て行く。
 
信定   「綱宗殿、斯様な事をなされば無事にここを出られても自身は切腹、お家断絶は免れませんぞ」
綱宗   「構わん」
信定   「何と、そうですか」
綱宗   「お主は御老中の倅殿か」
信定   「信定と申します。先日お二人にはご挨拶申し上げました。あの時は言葉ではなく、鉄砲でしたが」
綱宗   「稲荷堀の」
十楽   「鉄砲で俺達を狙ったのはお前さんか。中々いい腕してるな」
信定   「お二人を殺そうと思えば出来ました。警告のつもりで撃ったのですが、こんな事になるなら仕留めておくべきでした」
綱宗   「今から仕留め直すか。鉄砲は持ってなさそうだが」
信定   「そんな事はしません。十楽さん、父から刃物を退けてください。高尾太夫の所在をお教えします」
十楽   「本当か」
信定   「はい」
綱宗   「駄目だ、無駄死にするぞ」
十楽   「いいぜ。代わりに話すんだ」
 
十楽、信綱を解放する。
 
信定   「本郷の本妙寺にいます」
十楽   「本当か」
信定   「嘘などいいません。十楽さん、こちらからも質問したいのですが」
十楽   「何だ」
信定   「何故高尾太夫に拘ります。貴方は雇われた盗賊でしょう」
十楽   「高尾は俺の妹だ」
信定   「そうなんですか、これは面白い。なら太夫と、もう一人お引き合わせしたい人がいます」
十楽   「誰だ」
信定   「庄司甚右衛門殿ですよ。明日本妙寺にお連れします」
十楽   「……」
信定   「嘘偽りではありません、本当に二人と引き合わせてあげます。どうです、来ていただけますか」
十楽   「面白いな」
信定   「でしょう。お二人で来ていただけるなら、ここから無事にお帰しします。綱宗殿の罪も問いません」
十楽   「分かった。その招待を受けてやる」
信定   「それでは明日本妙寺でお待ちしてます。私共はこれで失礼しますよ。父上参りましょう」
 
信綱、信定座敷を去る。
 
綱宗   「本当に行くつもりか。これは罠だ」
十楽   「分かってる。だか折角招待を受けたんだ。行かなきゃ悪いだろう」
綱宗   「お主は筋金入りの馬鹿だ」
十楽   「殿様は行かないのか」
綱宗   「行くに決まってる、高尾のためだ」
十楽   「(芸者で)惚れた女のために命がけ。殿様も馬鹿だね」
綱宗   「その通り」
 

 ※  ※  ※  ※
 

10景 本妙寺
 
薄暗い本堂。甚之丞、風魔の男達が酒を飲んで騒いでいる。
信定がくる。
 
信定   「頭、前祝の酒をお持ちしました」
 
信定、皆に酒を振舞う。
 
甚之丞  「間もなくお二人の大願成就。おめでとうございます」
信定   「千姫様は非公式ながら、高尾を自分の孫だとお認めになられた。後は私と高尾が婚礼を挙げるだけですが、その間にどんな邪魔が入るか分かりません。十分気をつけてください」
甚之丞  「承知している。ここにくる鼠もすぐ始末する」
信定   「それは心強い」
甚之丞  「若様、事が上手く行ったあかつきには、風魔再興の願い、必ずお頼み申しますよ」
信定   「心得ております。では手筈通り私は高尾を連れて来ます。これから高尾がどんな顔をするか、とても楽しみですね」
 
信定、出て行く。
 
甚之丞 「綺麗な顔をしているが、若様は悪趣味だな。……おい、甚右衛門を連れてこい」
 
手下1、縛られた甚右衛門を連れて来る。甚右衛門は拷問された痕があり、目が虚ろである。
甚之丞、甚右衛門の顔を覗く。
 
甚之丞 「術が効いているな。……やれッ」
 
その声に甚右衛門が反応し、匕首で目の前の甚之丞に斬りかかる。
甚之丞はそれをいなして、甚右衛門の身体をたたく。それを合図に甚右衛門は大人しくなる。
甚之丞、したり顔で笑う。
 
手下2  「お頭、二人が来ましたぜ」
甚之丞 「来たか。馬鹿な連中だ」
 
甚之丞の合図で、甚右衛門を残し男達はいなくなる。
甚右衛門、蹲っている。
十楽、綱宗が入ってくる。
 
十楽   「親父ッ」
 
十楽、甚右衛門に駆け寄り縄を解く。
 
十楽   「親父、大丈夫か」
綱宗   「拷問か。酷い事を」
十楽   「ああ……」
綱宗   「それで、高尾太夫はどこにいるんだ。憹等の出迎えも見当たらんぞ」
十楽   「今は息を潜めて、どこかで俺達を見ている筈だ」
綱宗   「だろうな。……で、これからどうする」
十楽   「ここで待つさ。そうすれば向こうからやって来る」
綱宗   「憹は高尾を捜して、早くこの寺から出たいのだが」
十楽   「簡単に帰してくれねえよ。ここは地獄の入り口だ」
甚之丞  「その通りだ」
 
甚之丞出てくる。
 
甚之丞 「次は命を貰うと言った筈だ」
十楽   「一人でお出ましか。お前の影とやらはどうした」
甚之丞  「俺の合図を待っている」
綱宗   「成程な」
 
綱宗、刀を抜く。
 
甚之丞  「お前達二人を斬り刻むのは簡単だが、その前に俺はサシで十楽とやり合いたい」
十楽   「へえ」
甚之丞  「お前は偽の甚右衛門の倅らしいな。俺は本物の庄司甚右衛門の倅だ。倅同士で決着をつけよう」
 
甚之丞、十楽に斬りかかる。
 
綱宗   「十楽」
十楽   「殿様、手を出すな」
 
甚之丞の刀が疾風の様に襲ってくる。
 
十楽   「決着ってどういう事だ」
甚之丞  「俺の親父は、野に下った仲間の居場所に吉原を造ろうとした。しかし、親父の力ではどうにもならなかった」
 
十楽、強烈な斬下を二刀で受ける。
 
甚之丞  「ところが、お前の親父がいとも簡単に吉原を造った。俺は、それが気に入らねえ」
十楽   「下らねえな」
 
十楽の流れるような二刀の打込み。
それを甚之丞がかわす。
 
甚之丞  「仲間の信頼を失った親父は失意のうちに死んだ。俺の親父は風魔の頭だった」
十楽   「お前は風魔か」
甚之丞  「そうだ」
十楽   「だから俺を殺して気を紛らわせる訳か。つまらねえな」
甚之丞  「お前には分かるまい」
 
甚之丞の下段の剣がゆっくりと上段に動くと、十楽の頭蓋に向かい振り下ろされた。十楽はそれを見切りで避ける。
 
十楽   「分からないぜ。そんな事に縛られて生きるより、己の心のままに生きる方が気楽だろ」
甚之丞  「何事にも縛られない者などいない」
十楽   「いるぜ。例えば道(みち)々(みち)の輩(ともがら)」
甚之丞  「なに!」
 
十楽、駒のように廻り甚之丞の右肘を切り裂く。
 
十楽   「俺が十楽と名乗るのは、そういう事から縁を切った証だ」
甚之丞  「ほざくなッ」
 
信定が高尾を連れて来る。(階段の山の上中央)。
 
信定   「頭、連れてきましたよ」
綱宗   「高尾」
高尾   「兄さん、綱宗様」
甚之丞  「これで役者がそろったな。(大声)やれッ」
 
その声で、蹲っていた甚右衛門が隠し持った匕首で十楽の腹を刺す。
崩れ落ちる十楽。
高尾が悲鳴を上げる。
 
十楽   「親父」
甚右衛門「(術が解け我に戻り)私は何を……?」
 
甚之丞、甚右衛門を刺し殺す。
高尾、絶叫し気を失う。
 
甚之丞 「地獄の門が開いたぜ。俺の親父が待っている。二人共落ちて行け」
 
突然、甚之丞のひざが崩れ倒れる。
そして全身が震えだす。
信定、それを見て笑っている。
 
甚之丞  「(苦しい)これは……」
信定   「薬の効き目は遅いけど、毒の効き目の早い事」
甚之丞  「(外に)皆出て来いッ」
信定   「誰も来ませんよ。頭の手下は先に地獄に行きました。私が持ってきた毒入りの酒を皆が飲みましたからね」
甚之丞  「さっきの酒か。裏切ったなッ」
信定    「戦国の世はとっくに終わったのに、貴方のような輩が大名になれる訳がないでしょう。風魔などと言う時代錯誤の産物は、使い捨てがちょうどいい」
甚之丞  「ふざけるなッ」
 
甚之丞、刀を拾い渾身の力で信定に挑みかかる。
信定は懐の短筒で甚之丞を撃つ。
甚之丞、倒れる。
 
信定   「他愛もない。これで邪魔者が全て片付いた」
綱宗   「貴様ッ」
信定   「(小刀を抜き)近寄れば高尾がどうなるか知れませんよ」
綱宗   「殺せまい」
信定   「確かに高尾は殺せません。しかし近寄れば高尾の顔を切り刻みます。命があればいい、肝心なのは高尾の血筋ですから」
綱宗   「愚劣なッ」
信定   「愚かとは笑止な。私は高尾と夫婦になります。そして子を作りその子を将軍にしてみせます。綱宗殿、これが今の戦のやり方です」
 
信定の家臣が来る。
 
家臣   「若様」
信定   「邪魔をするな」
 
家臣、信定に耳打ちする。
 
信定   「老中阿部様の家臣が」
 
家臣、高尾を連れて去る。
 
信定   「考えましたね」
綱宗   「何もせず乗り込んでくるか」
信定   「綱宗殿はお助けします。なにせ貴方は後西天皇の従兄弟ですから。ここであった事は忘れて、隠居でもされて余生をお過ごし下さい。よい血筋で助かりましたね」
 
甚之丞、動かなくなる。
十楽も動かない。
 
綱宗   「十楽、十楽ッ」
 

 ※  ※  ※  ※



11景 江戸郊外・十楽の隠れ家
 
8景と同じ所。板間に手当てを受けた十楽と甚之丞が寝かされている。
部屋の隅で綱宗が酒を飲んでいる。
外は雨。雷鳴轟く。
その音に甚之丞が目を覚ます。
 
甚之丞  「ここはどこだ」
綱宗   「目覚めたか。ここは十楽が使っている隠れ家だ」
 
甚之丞の身体は晒しが巻かれ手当てされているが、両手は縄で縛られている。甚之丞、激痛で顔が歪む。
 
綱宗   「無理をするな。鉄砲の弾は幸い肩を貫通したが重症だ。それに毒を盛られたんだ」
甚之丞  「俺は毒では死なん」
綱宗   「毒に対して耐性を付ける修練をしたか。それでも生きていたのが不思議なくらいだ。お主と隣で寝ている十楽もな」
甚之丞  「あの寺からどうやって」
綱宗   「本妙寺近くに老中阿部忠秋殿が住まわれていて、乗り込む前に助けを求めておいた。あの方は信綱殿を快く思っておらんから、二つ返事で力を貸してくださった。だから憹らは無事にここにいる」
甚之丞  「何故俺を助けた」
綱宗   「お主を助けたのは、十楽が意識を失う前に、生かしておけと言ったからだ。憹には理解が出来んがな」
甚之丞  「十楽の祖先は道々の輩か」
綱宗   「全国を自由に行き来する人々の事か。何故そんな事を聞く」
甚之丞  「さあ、何故かな」
綱宗   「祖先の事は知らん。十楽は元千賀水軍だが。…よく考えれば、吉原生まれの者がどうやって水軍に」
甚之丞  「たぶん十楽の親父が千賀水軍だったんだろう」
綱宗   「成程な」
甚之丞  「千賀水軍は元々海に生きる渡りと言う漂泊の民。十楽とは自由と言う意味で、道々の輩が使っている言葉。俺達風魔も元を正せば道々の輩だ」
綱宗   「道々の輩と渡りは同じものか」
甚之丞  「山と海の違いだけで、本質は同じ漂泊を生き方とする人々だ」
綱宗   「なら甚右衛門殿は同じ仲間の、お主の親父殿を頼ったのでは」
甚之丞  「さあな」
綱宗   「十楽とは自由か…憹も家に縛られず生きたいものだ」
 
綱宗、火鉢の鉄瓶と湯飲みを甚之丞に差し出す。
 
綱宗   「薬湯だ、身体によいぞ」
甚之丞  「……」
綱宗   「毒は入っておらん、飲め」
 
甚之丞、黙って白湯を飲む。
 
綱宗   「十楽本人も己の心のままに生きると言っていたが、実際は千賀志摩守から命を受け、それに縛られておる。師崎の寺から奪われた屏風の奪還と言っておった」
甚之丞  「屏風だとッ」
十楽   「何か知ってる口ぶりだな」
 
十楽、痛がりながら身体を起こす。
 
綱宗   「ようやく目が覚めたか」
十楽   「殿様、俺はどの位寝ていた」
綱宗   「十日だ」
十楽   「そんなにか」
綱宗   「実は明日、松平信定と高尾が祝言をあげるらしい」
十楽   「随分急いだな。だったら俺達もすぐ動かなきゃならねえな。…あんたはどうするんだ」
 
甚之丞がよろりと立ち上がる。
 
甚之丞  「好きにさせてもらう」
綱宗   「あれ、腕の縄」
甚之丞  「そんな物が役に立つか。礼は言わんぞ十楽」
十楽   「ああ」
甚之丞  「十楽、洛中洛外屏風なら信綱が持っている」
十楽   「お前が奪ったのか」
 
甚之丞、それに答えず。
 
甚之丞  「炎にまくられて罪人地獄へ入りぬ」
十楽   「おいッ」
 
甚之丞、去る。
 
綱宗   「今のはどういう意味だ」
十楽   「さあな」
綱宗   「それに洛中洛外屏風とは、確かお主等が」
十楽   「ああ。そんな所にあったのか。なら仲間に知らせなきゃな。……殿様、親父は死んだのか」
綱宗   「気の毒だが」
十楽   「そうか」
 
十楽、暫く目を閉じる。
 
十楽   「殿様、すまないが食い物を持って来てくれ。腹が減った」
綱宗   「腹が減っては戦は出来んか、分かった」
十楽   「たっぷり寝かせてもらったから、決着を付けるいい案が浮かんだ」
綱宗   「本当か」
十楽   「ただしこいつは殿様次第だ」
 
  
  ※  ※  ※  ※


12景 松平信綱屋敷
 
高砂が鳴ってる。
ここは大広間。松羽目屏風の前に白無垢の高尾、正装の信定。大上手に信綱が座し周りに正装した家臣や親戚縁者達が座っている。
神主より三々九度之儀が行われ、それが終わると拍手沸き起こる。
その途中「お待ちくださいませ」の声に、一同がざわめく。
 
信綱   「何事だ」
 
制止する家臣を引きずり綱宗が座敷に入ってくる。
 
綱宗   「お待ちくださいませ」
信綱   「またお主か、何しに参った」
綱宗   「その婚姻、意義があり申す」
信綱   「松平家祝言之儀を愚弄するか。唯では済まされんぞ」
綱宗   「そこな高尾は手前が身請けした傾城でござる。吉原には七千七百両払いもうした。返して貰いたい」
信綱   「戯言を。ここにいるのはその様な端者(はしたもの)ではない。天樹院様御令孫(れいそん)、玉姫様なるぞ。伊達陸奥守殿は乱心なされた。ひっ捕らえて叩きだせ」
 
綱宗、取り押さえられる。
 
信綱   「この事は上様の耳にも入るだろう。伊達殿、覚悟なされよ」
声    「俺も反対だぜ」
 
一同、ざわめく。
信綱  「何事じゃ」
 
声   「地獄から舞い戻って来た。妹を返してもらおう」
 
座敷に突然の閃光と爆発音。明かりが消えて一堂がうろたえる。
 
家臣   「明かりを点けろ」
信定  「静まれ、うろたえるでない」
 
明るくなる。
高尾と綱宗の姿がなく、舞台中央に高尾の打掛を持った十楽がたっている。
 
信定   「十楽さん、生きていたのですか。貴方もしぶといですね。しかも、こんな小細工を」
十楽   「死んだと思って気を抜いたのか。簡単に忍び込めたぜ。だとしたら詰めが甘いな、若様」
信綱   「貴様、玉姫をどこにやった」
信定   「父上、この部屋にいますよ」
十楽   「当たりだ」
 
背後の襖が開き、清十郎と松六が綱宗と高尾を守るように立っている。
 
十楽   「松六、屏風は回収したか」
松六   「ばっちりです」
十楽   「それじゃお暇しようか」
信綱   「どうやって。簡単に入れたから出るのも簡単と思っているのか、この状況でッ」
 
周りは抜刀した家臣達が囲んでいる。
 
十楽   「出られなきゃ死ぬ覚悟だ」
 
十楽、諸肌を脱ぐ。
 
十楽   「お宅等みたいな者に俺達が勝とうとしたら、捨て身しかない」
 
清十郎と松六も諸肌を脱ぐ。
 
十楽   「この陣羽織は金掘(かなほり)衆(しゅう)が使う火薬をたっぷりと練りこみ、その上から鎖帷子が巻いてある。ここに火花が飛べば、ドカンだ」
信綱   「火薬だと。……嘘だ」
十楽   「試してみろ。三人分の火薬が引火して、この屋敷もろ共全員吹っ飛ぶぜ。さあ、やれよッ」
信定   「そんな戯言が通じますか」
信綱   「やめろ信定」
信定   「奴等に死ぬ覚悟など」
信綱   「馬鹿者、もしもがあればどうする」
信定   「父上、下らない駆け引きに踊らされてどうします」
 
 
突如、半鐘が鳴り響く。
そこに慌てた家臣が飛び込んでくる。
 
家臣   「信綱様、一大事でございます」
信綱   「何だ」
家臣   「え、江戸城が燃えております」
信綱   「何だと」
家臣   「天守閣、本丸、二の丸が炎上中、大至急お越しください」
 
信綱、血相を変えこの場を去る。
殆どの家臣がそれに続く。
鳴り響く半鐘。
数人の家臣と取り残された信定。
 
信定   「十楽さん、やる事が凄過ぎます」
十楽   「俺たちじゃない。多分、地獄から戻ったもう一人の仕業だろう」
信定   「なに」
 
煙が立ち込めてくる。
 
家臣   「若様、屋敷にも火の手が」
信定   「……」
十楽   「今夜は風が強いから燃え移ったか。若様、早く逃げた方いいんじゃないのか。俺達といるとその内吹っ飛ぶぞ」
信定   「死ぬ気もないくせに」
十楽   「捨て身だと言ったろ」
 
舞台真赤に。煙、激しくなる。
十楽、袋を放る。
 
十楽   「火薬だ、そこをどけ」
 
家臣達、退く。
 
家臣   「若様、避難を」
 
信定、退く。
 
十楽   「若様、悔しかったら追ってこい」
 
十楽達、走り去る。
信定、袋を拾い中身を床に撒く。
 
信定   「唯の砂か。……後を追え」
 
家臣達、後を追う。
 
信定   「十楽さん、代償は高くつきますよ」
 
火災の炎。半鐘の音。
それらが轟音のように盛り上がり信定を包む。


 ※  ※  ※  ※


 
13景 大川端
 
半鐘の音。
闇が赤く染まっている。
お吉、十楽達を発見し手を振る。
 
お吉   「ここだッ」
 
十楽達、走ってくる。
 
お吉   「良かった、皆無事か」
十楽   「お吉、寝てなくていいのか」
お吉   「平気だ。ところで、この火事は……只事じゃないぞ」
清十郎  「ああ、江戸中に燃え広がってる」
お吉   「お前達がやったのか」
十楽   「違う。たぶん甚之丞だ」
お吉   「あの男が」
清十郎  「裏切られた報復か。しかしこいつは酷い。江戸市中が火の海だ」
綱宗   「十楽」
十楽   「どうした」
綱宗   「高尾の様子が」
 
高尾、魂が抜け落ちた虚ろな顔。
 
十楽   「しっかりしろ」
綱宗   「お主の親父殿と同様に、何かされておるのか」
十楽   「薬を盛られたのかもしれない」
お吉   「酷い事を」
松六   「十楽さん、追っ手だ」
 
信定の家臣が追いつく。
家臣達、即抜刀。
 
家臣   「玉姫様を返せッ」
 
家臣達、斬りかかる。
信定も斬りあいに加わる。
やがて十楽と信定の一騎打ちに。
信定、短筒で十楽を撃つ。
十楽が後ろに吹っ飛ぶ。
 
お吉   「十楽、十楽ッ」
十楽   「生きてるよ」
信定   「鎖帷子のお陰で助かりましたか。でも、肋骨はいかれたでしょう」
十楽   「まあな、さすがに死にそうだ」
信定   「今度こそ殺してあげます」
十楽   「殿様、後はあんた次第だ」
綱宗   「心得たッ」
 
綱宗、高尾を抱きその右手は脇差を下げている。
 
信定   「何をするつもりだ」
綱宗   「高尾を憹のモノにするには、最早これしかない」
信定   「止めろッ」
 
綱宗、高尾の胸に脇差を突き刺す。
時間が止まったような静寂。
途端に、高尾の胸から血が溢れ白無垢が赤く染まる。
そしてまた半鐘の音聞こえ出す。
 
綱宗   「これで高尾は永久に憹のものだ」
信定   「馬鹿者がッ」
 
信定、拳銃を構えて歩み出る。
その刹那、黒い影が風の如き速さで駆け抜け、信定を斬り捨てる。
忍装束を纏った甚之丞である。
信定は声もなく倒れる。
それを見た家臣達は逃げだす。
 
十楽   「甚之丞」
甚之丞  「……」
十楽   「礼は言わねえぜ」
 
甚之丞、無言で走り去る。
半鐘の音と風の音が混じる。
 
十楽   「幕が下りたな」
 
綱宗、高尾を抱きすくめる。
 
綱宗   「高尾」
高尾   「……伊達様」
綱宗   「気がついたか。終わったぞ、高尾」
十楽   「上出来だ殿様」
 
高尾を抱きしめる綱宗。
其(それ)々(ぞれ)の顔を炎が赤く染めている。


 ※  ※  ※  ※

 
14景 仙台藩・大井下屋敷近く
 
桜が咲く坂の途。通称仙台坂。
春風吹く坂を行き交う人々の中、土地の百姓1現れる。そして反対側から慌てて出てくる百姓2。
 
百姓1 「五作じゃねえか」
百姓3 「さくべえさんか、今日もいい天気ですな」
百姓1 「そうですな……」
 
しばらく二人の会話がつづく。
 
百姓3 「それにしても今年の春は晴天続きで雨が少ないから、米の出来が心配だ」
百姓1 「ああ、心配事がふえるわ」
 
百姓2が坂を下ってくる。
 
百姓2 「おい」
百姓1 「どうした」
百姓2 「鈴ヶ森に罪人が運ばれてくる。間もなくここを通るぞ」
百姓1 「何の罪人だ」
百姓2 「それが、三ヶ月前の大火の、火付けの咎人(とがにん)って話しだ」
人足に担がれた唐丸籠が坂を下って来る。
傍に役人が付き添っている。
 
役人 「道を開けろ」
 
籠が通り過ぎて行く。
 
百姓1 「あれは火付けだったのか。でも確か、火元は本妙寺って所で、ご供養の火が原因だと聞いたぞ」
百姓2 「誰から聞いた」
百姓1 「庄屋様だ。そう言えば、江戸の半分を焼いた火事なのに、火元の本妙寺はお咎めなしって話だ」
百姓2 「だから、今の罪人が火をつけたからだろう」
 
籠とすれ違いに、旅支度をしたお吉と松六、そして見送りの清十郎が来る。
 
清十郎 「お前さん、今の罪人が火をつけたと聞こえたが、この前の大火の事か」
百姓2 「そう言う話ですぜ」
 
百姓たち、話しながら去る。
 
お吉  「あの男が召し取られた?」
松六  「それで今、刑場送りになったって事ですか」
お吉  「信じられないな」
清十郎 「簡単に捕まる奴じゃない。召し取られるくらいなら、自害するだろう。あの甚之丞と言う男は」
松六  「それじゃ、今通った籠の中は誰なんです」
清十郎 「替え玉か、無実の誰かか……」
松六  「でも本当に捕まったのかもしれませんよ。あれだけの火事を出したんだから、幕府も必死だったでしょう」
清十郎 「……かもしれないな」
 
綱宗が坂を下ってくる。
 
松六  「殿様」
綱宗  「そろそろ来る頃だろうと出向いてまいった。この坂の南側が仙台藩の下屋敷だ。知多に帰る前に、少し寄っていかぬか」
お吉  「遠慮しておくよ」
綱宗  「そうか」
清十郎 「殿様、幕府から強制的に隠居させられたらしいな」
綱宗  「その通りだ。だが、元々隠居して政から遠ざかり、自分のしたい事をして暮らすのが憹の夢だった。藩には迷惑をかけたが、これで夢がかなった訳だ。だからもう殿様ではない。藩主は倅が継いでくれた」
お吉  「ところで、十楽はもう来てるのか。ここで待ち合わせなんだが」
綱宗  「朝早く下屋敷に参った。その後、近くの寺で妹と二人、親父殿の供養をした」
清十郎 「そうか」
 
旅支度をした十楽と武家の女中姿の高尾がくる。
 
十楽  「待たせちまったか」
清十郎 「今来たばかりだ」
松六  「高尾さん、お久しぶり」
高尾  「もう高尾ではありません。今は綱宗様のお世話をする奥女中です」
十楽  「吉原の高尾太夫は殿様が殺しちまったからな」
綱宗  「それが隠居の理由となったが。しかし、あの芝居をよく幕府が信じてくれたものだ」
清十郎 「血に染まった高尾の白無垢を見た信定の家臣が信綱に報告したんだろう」
十楽 「あれは迫真の演技だったぜ」
お吉  「そのお陰であんた(高尾)は自由になれ、惚れた男と一緒にいられる。よかったな」
高尾  「ありがとうございます」
綱宗  「若様を亡くした信綱は、あれ以来馬鹿な野心を捨てたのか、今は江戸の町の復興に心血を注いでいるそうだ」
お吉  「(笑い)善人になっちまったか」
 
お吉、十楽に歩み寄る。
 
お吉  「私と松六はもう行くよ」
十楽  「そうか、達者でな」
松六  「十楽さん、どうしても知多に戻らないんですか」
十楽  「ああ。(お吉を見て)俺は気ままが合ってるんだ、済まない」
お吉  「いいんだ」
十楽  「清十郎は江戸に残るのか」
清十郎 「ああ。千賀志摩守様の命で、吉原の復興にあたる事になった」
十楽  「そうか頑張れよ」
清十郎 「知多に帰らないなら、どこに行くつもりだ」
十楽  「伊勢に不入権を持つ市があり、そこは自由で楽しいと親父から聞いた。そこを見てみようと思う」
お吉  「もう会えないのか」
十楽  「そんなことはない、必ず会える」
 
お吉、古いお守りを取り出す。
 
お吉  「こいつにかけて約束だ」
十楽  「ああ?……。そいつは羽豆神社の。…ガキの頃に俺が渡したお守りか。まだ持っていたのか」
お吉  「……十楽、待ってるから」
十楽  「分かった、約束だ」
お吉  「松六、行くよ」
松六  「え、はい。皆さんお達者で」
 
お吉、松六何坂を上っていく。
 
綱宗  「十楽、甚之丞だが、藩の知らせによると召し取られて、本日鈴ヶ森に送られたそうだ」
十楽  「ありえないぜ」
綱宗  「しかし、そのように報告を受けた」
十楽 「殿様、あれを見ろよ」
 
深編み笠の侍が客席下手に出る。
侍は二人を暫く見詰めた後、背を向けて歩いていく。
 
綱宗  「甚之丞か」
十楽  「ああ、間違いない」
 
甚之丞、去る。
 
十楽  「さて俺も行くか」
高尾  「兄さん、伊勢にはずっと?」
十楽  「どうかな」
綱宗  「戻って来ぬか」
十楽  「上方で役者にでもなろうか」
高尾  「まあ」
綱宗  「お主なら、いい役者になる」
十楽  「冗談だよ。……二人共達者でな。……良い風が吹いてやがる。流れる雲を上に見て、右は霊峰雪見富士、左は霞の大海原。自由の証十楽と、染め抜いた御旗をひるがえし、進む道筋唯一つ。どちら様も真っ平ご免なすってッ、おくんなさい」
 
春風が吹き、一面の桜吹雪。
その中を十楽は歩いていく。
 
終劇。

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