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モスクワに留学していたら戦争が始まった話-1

はじめに

 この記録は、私が2022年1月末から3月末までロシア連邦の首都・モスクワに長期語学留学生(所定修了予定は2022年8月末)として滞在した時のものである。弊ブログ旅行記や本記事の文中にも記載があるが、私には過去にロシアに4回、ウクライナとベラルーシにそれぞれ2回の渡航歴がある。基本的にはどれも旅行なのだが、ウクライナについては西部の都市・リヴィウにて3週間ほどのウクライナ語プログラムに参加している。
 ご存知の通り、2022年2月24日にロシアはウクライナに自称「特殊作戦/特別軍事作戦」もとい一方的な侵略戦争を仕掛けた。この記録を投稿する時点で開戦から2ヶ月、戦争の終着点は未だ全く見えそうにもない。私はこの影響で、所定7ヶ月間のプログラムを1ヶ月半で切り上げて緊急帰国した。
 本記録ではこの先、渡航日から帰国日までの記録を記述していく予定であるが、今回は戦前から今に至るまでの個人的な心境の流れをまず纏めておきたい。情勢や環境が目まぐるしく変化する中、心に思うことも常に一定であるとは限らず、また大前提として過去を遡ることは記憶の恣意的な再構築を避けられない。ゆえにこの記録が必ずしも当時の私の考えを正確に留めている訳ではないことをまずご了承いただきたい。それでもなお、あえて時間をかけることで心境の整理において吟味に吟味を重ねたつもりである。
 あの侵略戦争は全てのウクライナ・ロシアに関わる人々の生活を変えてしまったと言っても過言でもない。各人がどの程度の影響を受けたかについて、最悪の場合は極めて凄惨な形で生命が奪われるというところまでの差異が生まれてしまうだろう。だが当然ながら、私が本記録で行いたいのは「不幸の比較」などでは決してない。そんなことをしたってどうにもならない。
 あの時をモスクワで過ごした人間が何を考えながらどのように暮らしていたのか、本記録はあくまでその一例である。きっと誰しもが共有していた悲観的な感情は存在していたが、一口に在露邦人と言っても境遇・経験などによって人それぞれの生活があった。その点を十分にご理解いただいた上で、本記録を読んでいただけると幸いである。

ヴォロディミルの丘から キエフ郊外を眺める

予測と覚悟と懐疑、そして現実

「多分、始まるだろう」
 1月の初旬から、軍事ウォッチャーたちが共有するロシア軍の動向を眺めながらぼんやりとそう思っていた。異様なまでに国境地帯へと送られていく軍隊の姿は確かに尋常ではないし、著名な軍事専門家もまたその様子に日々警鐘を鳴らしている。心に浮かぶのは「これは多分、始まるだろう」というぼんやりとした懸念である。
 無論、自分がこれから数ヶ月住むことになる国が過去自分が2回も訪れた国に侵略するなんて縁起でもない、悪夢と言わずして何になるだろうか。本当に事が起こってしまえば、ウクライナの国土はもちろんのこと、自分の過去の思い出も、そしてこれからの未来も酷く蹂躙されてしまう。そして自分などという小さな存在以上に、これは国際秩序の大きな破壊である。

キエフ ユーロマイダン革命の慰霊碑

 このように並々ならぬ「自分事」として戦争が起きないことを強く願っていたが、きっと「何か」は起きるし、その上で起こってしまうであろう「何か」は実際のところ自分の生活にさほど影響を及ぼすことはないと思っていた。
 まず真っ先に思い至ることは経済制裁だが、それについてはズベルバンクの口座を早々と開設して送金を済ませておけば大丈夫だろうと思っていた。ロシアも、西側も、両者の「直接的な殴り合い」という観点においては大したことは無いはずだろうという予測だ。
 当時、開戦まで私が1番恐れていたことといえばチェチェン侵攻の時に起きたこと、すなわち地下鉄・アパート爆破テロ(それがウクライナ側のレジスタンスであろうがリャザン事件よろしくロシア側の偽旗作戦であろうが)のような無差別テロ事案がモスクワで発生することだった。少々杞憂がすぎるところはあるが、具体的で実害も想像しやすいものだろう。これはまさしく、戦争当事者同士のわかりやすい闘争手段の1つである。

ウクライナ西部の都市リヴィウにて

 だが敢えて言うならば、私が帰国をせずに比較的平穏にモスクワに滞在し続けられた世界線というのはウクライナにとって最悪のシナリオの1つであったに違いない。ウクライナが抵抗する間も無くキエフを占領され、大統領は処刑され、傀儡政権が樹立され、そして西側諸国はそれを指を咥えて眺めている……。私がモスクワに居続けられた「もしも」の世界は、つまりこうではないか。
 実際のところ、「もしも」の世界に転がっていたとしてその先の展開がどうなっていたかなどは神にすら分からないだろう。ただ少なくとも、私が考えていた「最も起きうる・最も最悪の」シナリオはそうだった。私だけではない、タイムラインの軍事ウォッチャーやそのソースとなる機関の分析もそう語っていた。
 そして同時に、ある程度の証拠が集まっていてもなお、ロシア・ウクライナの直接的全面戦争などという荒唐無稽な話があるものかと疑っていた部分も大きかった。確かに東部戦線で8年も実質的に戦火を交えている両国であるが、全面侵攻となれば話は別である。いくら西側が指を咥えて見ているだけとはいえ、一切の制裁がロシアに課される事がないというのはありえない話だ。それでも果たしてロシアは「やる」のだろうか?「やる」だけのメリットは本当にあるのだろうか?そんな事はクレムリンの指導者以外に分かるはずもなかった。
 「侵攻は起こって欲しくない、そしてウクライナはウクライナのままであり続けて欲しい。たとえ侵攻が起きたとして、ウクライナ人はそう簡単に服従するような人たちではない。だがしかしそれはそうとして、圧倒的な武力差を前にしてこれから起きようとしている現実は受け入れなければならないのだろう。でも、これって本当に始まってしまうのだろうか?」侵攻の前日まで、そんなことをずっと考え続けていたものだ。
 何にせよ、この先もモスクワに暮らし続けるという大前提は変わらなかった。モスクワやペテルブルクで爆破テロが起きた時も、当時の先輩方は留学を継続されていたのだ。帰国なんて、まさかそんな………。

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