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ミンスクからモスクワへ飛行機で行く話

↑前回 ブレスト~ミンスクの乗車記

 つい先日にベラルーシ西部国境の街ブレストから首都ミンスクへと向かう鉄道旅の記事を公開したが、その直後にTwitterを開くととんでもないことが起きていた。

 東京五輪に出場していたベラルーシ人選手がコーチや政府を非難したところ、突如(ベラルーシ本国からと思われる)帰国命令を受けて羽田空港に連れていかれ、空港で警官たちに助けを求めたというのが第一報だ。最初は「オーストリアに亡命したい」と訴えていた彼女だったが、現在のところポーランドに亡命することで話が進んでいるようだ。私も彼女が搭乗したとされる飛行機が「何らかのトラブルで」足止めを食らわないかヒヤヒヤしながら注視していたが、無事目的地に辿り着いたようで一安心だ。

 この事件の行く末について、まだ初期段階であるゆえこの場で諸々の推察を行うのは控えたい。しかし気になったのはTwitter上での反応である。「ベラルーシ?どこそれ」「美人多いんだよね」というツイートは風物詩として、意外にもロシアとの繋がりについて気にかけているツイートが多かったように思われる。おおむね「ベラルーシっておそロシアと仲良しなんでしょ?おそろし~~」といった感じのものだ。

 「ベラルーシとロシアは仲良しなのか」という疑問に答えるのは非常に困難だが、少なくともルカシェンコとプーチンがマブダチということはまずない。いや、「ルカシェンコ プーチン」と画像検索するとどうみてもマブダチにしか見えない写真が出てくるのはその通りだが、二国間の首脳の関係はそんなに生易しいものではない。何にせよ私の政治的知識は非常に乏しいものであるゆえ、この場では両国の「不思議な関係」を国境旅行に見出したいと思う。

 上にリンクを貼りつけたのは在ベラルーシ日本国大使館のホームページだ。注目していただきたいのは「2  ロシア国内の空港を経由する際の注意事項(2)②」の部分である。該当部分を以下そのまま引用する。

➁現在ロシア・ベラルーシ間に陸路での国境通過地点がないため,飛行機を利用することをお勧めします(邦人が陸路で越境できなかった,とのトラブルも発生しております)。

 何とも突っ込みどころが多い文章(大使館の方の書き方が悪いだとかそういう話ではない)である。まず陸路での国境通過地点がないという部分、これについては一見驚くものではあるが、西ヨーロッパ圏のシェンゲン協定のようなものがロシア・ベラルーシ間に締結されているゆえにパスポートコントロールが省略されているとまずは想定してみよう。問題は「邦人が陸路で越境できなかった」という部分である。シェンゲン協定圏内ならば問題なく第三国民である邦人でも越境することができるゆえ、ロシア・ベラルーシ間に締結されている「なにか」はかなり毛並みが異なるものであることが伺える。

 より複雑な話をしよう。上記の大使館からの言いつけを遵守し、空路を利用してロシア・ベラルーシ国境を越えようとする。これなら大丈夫……と思いきや、ここにも実際は落とし穴が存在するのだ。大使館の同頁から関連する文章をもう1つ引用する。

ロシア国内の空港を経由(トランジット)してベラルーシに入国,またはベラルーシから出国してロシア国内の空港を経由する際に,ロシアの通過査証を取得していなかったため,空港でトラブルに遭う日本人旅行者がいます。空路でベラルーシ出入国のためロシアを経由する場合には,ロシアの通過査証が必要ですので,必ず事前に取得するようにしてください。

 通常、ロシア経由で第三国へと飛ぶ場合は空港から出なければロシアビザは不要である。実際にヨーロッパ各地に飛ぶ際にロシア経由の比較的安価なルートを使った方も少なくないはずだ。しかしこれがベラルーシ行きとなると話が別になり、トランジットビザをきちんと申請しておかないと大変なことになる。空路だからと気を抜いていると旅程が大崩壊してしまう、なんとも恐ろしい話だ。

 どうしてこんなにややこしいことになるのか、そのヒントはやはり大使館の同頁に書かれている。

(2)ベラルーシとロシアは連合国家として出入国管理を統一しておりましたが,
➀本年(※筆者注 2019年)5月15日より,ロシアは両国間の航空便を国際線扱いとしていることから,乗り継ぎに際してはロシアの出入国審査(パスポートコントロール)を受ける必要があります(ベラルーシからロシアを経由する場合も同様です。)

(3)出入国カード(イミグレーションカード)に関してはベラルーシ・ロシア間で共用となっているため,ロシアへの出入国審査の際に返却される出入国カードの出国部分を保存しておいて下さい。

 まずロシアとベラルーシは「連合国家」として出入国管理を統一していたということだ。この「連合国家」が何かという話をしていると永遠に話が終わらないので事実として、シェンゲン協定のような出入国管理統一システムが存在していたということは理解していただきたい。これは現在でもロシア・ベラルーシ両国の国民は実際に恩恵を受けることができるシステムで、IDチェックがあるという点だけに注目すれば中国内地と香港の間にあるパスポートコントロールに近いかもしれない。

 しかし引用部分は「本年(これは注にもある通り2019年)からはロシアは国際線扱いしているよ」という文が続く。そう、ベラルーシの国境管理政策とロシアのそれには若干の乖離があり、その絶妙な不統一さに第三国民が巻き込まれてしまっているのが現状なのだ。陸路越境が「できない」という話も、実際の経験談としてベラルーシは出られたもののロシアに入ったところで国境警備隊に拘束された(陸路でのパスポートコントロールはないとはいえ、なにかしらの検問は事実上存在するようだ)という話を直接伺ったことがある。

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ロシア・ベラルーシ共通入国カード

 そして引用部分の(3)である。これは実際の出国カードをご覧いただきたい。上から二段目の欄には「Republic of Belarus」「Russian Federation」とベラルーシ・ロシア両国の名前が記されている。そう、本当に出入国カードは両国で共通のものを使用しているのだ。両国間を越境する際はパスポートコントロールがあっても、このカードを回収されることなく持ち続けることとなる。

 このような煩雑な取り扱いを撤廃できる希望の星として、両国の間に相互ビザ協定が締結される、もしくは実際にされたというニュースが時たま流れてくることがある。事実だとすればこれは非常に便利なことだが、残念ながらこの状況下では実際に確かめてみようがない。もっとも、「実際に確かめよう」として大失敗してしまうとシャレにならないので、きちんとした大使館からの日本語での情報が出るまでは触れない方がいい。

 ここまでややこしい話をつらつらと書き続けてしまったが、なんだかんだ言ってロシア・ベラルーシ両国のビザを取っておいて空路で移動すればどうにかなるのではないか?と思った方もいらっしゃるかもしれない。実際、私の場合は両国のビザをきちんと取っておいたためベラルーシからロシアに空路で入国することはできた。できたのだが、かなり面倒な目に巻き込まれたのでここの国境は当分越えたくないというのが正直な感想だ。さあ、ようやっと旅行記の始まりだ。

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夜のミンスク中央駅

 前回の旅行記でついにベラルーシの首都ミンスクまでやってきた。ミンスクからモスクワへと旅立つ前夜、食事を兼ねてミンスク中央駅まで散歩することにした。夜に駅を眺めてみるとガラス張りの駅舎が美しく、ソ連末期に設計された先進的なデザインが際立って見える。

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ミンスク駅を出るとまず迎えられるのは「ミンスクゲート」

 一方こちらはいかにも「ソ連らしい」佇まいのミンスクゲートだ。橙色の灯火にぼんやりと、静かに燃える蝋燭のように照らされたその姿は何とも優雅である。モスクワのスターリン建築姉妹とは違って大して高さがあるわけではないが、見事によくできた左右対称の建築は、見るものを惹き込む魅力がある。

 ミンスク市街地からミンスク国際空港へのアクセスはバスないしタクシーのみで、鉄道路線は一切通っていない。観光客だと中央駅横(正確には中央駅に向かって左側にあるショッピングモールの真下 徒歩だと三分くらいかかる)のバスターミナル(Автовокзал:直訳すると「車のターミナル駅」)から発着するバスに乗り込むのが手っ取り早いだろう。切符についてはバスターミナル窓口で「アエラポルト!」なり「エアポート!」と言えばひとまず出てくるが、一応時間ごとの指定があるのでそれだけ気を付けてほしい。今回何故かバスターミナルの写真がないので空港までは文字だけになるが、ご容赦いただきたい。

 バスは小~中型の乗り合いバスで、側面に中国語で「タクシーよりも3倍(この数字については正確に覚えていないが、確かそれくらいだったと思う)安いよ!」と書いたステッカーが貼ってあるのが印象的だった。それなりの乗車率でバスはミンスク駅前ターミナルを発車、駅のすぐ横から続く独立大通りを通って郊外へと向かっていく。バスは途中ウルッチャという地下鉄の終点駅に停車し、そこでまた数人の客を拾うが、どうやらここでは前売券はなしに車内精算で済ませてしまうらしい。ミンスクのバスターミナルでは定員制かと思わせる売り方をしていたが、ウルッチャから乗った客はこの通りであるゆえ車内では立ち客も出るほどの混みようだった。先述の通りこれはお世辞にも大きいとは言えないバス(なんならマイクロバスよりも普通に小さい)なので車内は軽くカオス状態である。

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ぜひ上に表示されている速度にご注目いただきたい

 バスはこの後高速道路へと突入する。それなのに実はこのバス、なんとシートベルトがないのだ。そんなことを一切気にする気配もなくバスは調子よく速度を上げ、110キロくらいのスピードを保って空港を目指す。スピードに加えてバスの運転はなかなかにワイルドで、ベルトなしでこれはなかなかの恐怖である。今までの旅行先で乗った乗り物で一番恐怖感があったのはこれかもしれないが、座っている私はまだマシな方で、これで立ち客もいるという事実を忘れてはいけない。

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近未来的な佇まいのミンスク国際空港

 随分とヒヤヒヤさせられたものだが、中央駅から1時間ほどで無事なんとか空港までたどり着いた。中央駅に似た、どこかソ連末期の「先進さ」を感じるデザインが魅力的なターミナルだ。

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チェックインカウンター

 こちらがチェックインカウンターだ。規模はさほど大きくないものの全体的に清潔感があり、加えて中国が建設なり改修に関わったとのことで至る所に中国語の案内があることが特徴的である。利用する航空会社はベラヴィア航空というベラルーシの国営航空で、チェックインの際はロシアビザのチェックをかなり入念に行われたことが印象に残っている。

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中国語が一番大きく記載されている

 さて、冒頭のロシア・ベラルーシ国境の話に少し戻ろう。「ロシアはベラルーシ便を国際線として扱っている」と先ほどは書いたが、ではベラルーシはロシア便を国内線として扱っているということなのだろうか?これに関しては少し微妙なところで、正確な表現をすると「ベラルーシはロシア便をロシア線として扱っている」ということになる。何を当たり前のことをと思われるかもしれないが、これがかなり特殊で、ミンスク国際空港を見てみると「国内線」「国際線」というありふれたゲート分類に加えて「ロシア線」専用のゲートが存在しているのだ。あまり旧ソ連の空港の制限区域前でパシャパシャと写真を撮るわけにはいかないので実際のゲートの写真はないのだが、ひとまず上の写真を見ていただきたい。一番右側の看板に「Transfer to Russian Federation」というものがあることがお分かりいただけるだろう。この看板があるのはチェックインカウンター前なので非制限エリアになるが、わざわざ「ロシアへのトランジットはこっち!」という看板があることからロシア線が特別扱いというのはご理解いただけると思う。

 では実際ロシア線専用ゲートを通ると何があるのだろうか。まずはパスポートのチェックがなされるが、チェックを行う台は非常に簡素でスタンプが押されることもない。ただベラルーシとロシアのビザを確認するだけ(両国の国民ならIDカードのチェック)に留めているのだろう。続いて安全検査を行い、それを抜けるとロシア行きの飛行機のみが発着する搭乗エリアに辿り着く。当該エリアはハリボテのような壁で仕切られた暗くて窮屈な仕様になっており、国内線でも国際線でもない、なんとも中途半端な取り扱いが続く両国間路線の姿を象徴するかのようであった。

ベラヴィア航空B737型機 旧塗装が当たった

  暇つぶしをする場所も当然ないためボーっと時間を過ごすしかないのだが、そうこうしているうちにようやっと搭乗時間となった。一国の首都空港だが、ターミナルから直接飛行機まで歩かされるローカル仕様なのが面白かった。係員の目を盗んでパシャリと一枚撮っておく。ボーイング737型機なので機材としてはさほど大きなものではないが、ほどよく席が埋まる程度の搭乗率であった。機内には他にアジア人の姿はなく、どうやら私一人だけのようだ。

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隣席の方が立った隙に1枚 雲の厚みに凍えそうになる

 機体はさほど揺れることなく離陸し、厳冬の厚い雲を抜けて高度を上げていく。モスクワ・ドモジェドボ空港までの飛行時間は1時間半ほどで、これまでの取り扱いも相まってあまり国際線というような雰囲気はない。

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描かれているかわいらしいお花はヤグルマギク ベラルーシの象徴ともいえる花である

 そうはいってもきちんと軽食のハムサンドはついてくる。ドリンクは例のごとくチャイ(これしかロシア語がわからないので)を頼んだが、どちらもなかなかに美味だったと思う。お手拭きや砂糖の袋にはベラルーシの象徴的な花(国花はまた別にある)であるヤグルマギクがデザインされ、なんともかわいらしい。普段紅茶には砂糖が絶対に欠かせない私だが、こればかりはデザインに惚れて封を切らずに持ち帰ってきた。

 飛行機は優雅にチャイを楽しむ間もなく降下を始め、あっという間にドモジェドボ空港に着陸した。ターミナルまでバスで移動し、ここでは通常通りの入国審査が開始される。しかし、ここからが本当の地獄の始まりであった。

 まず、やけに外国人(ここにはベラルーシ人は含まない)レーンが混雑しているのだ。こんなマイナーな国境をわざわざ越える第三国民は一体どこの人間なのだろう、とふと周囲を見回すとそこはウクライナのパスポートを持った人々ばかりであった。……なるほど!

 どうしてこのようなことが起きるのか、実はヒントが初回作「モスクワからキエフへ列車で行く話」にある。そう、大喧嘩中のロシア・ウクライナ間に飛行機の直行便が飛んでおらず、両国を移動するには経由便か夜行列車・バスを使わなければならない。その最速プランが飛行機でミンスクを経由すること———そう、この場にいるのは国同士が喧嘩しようとも何とか両国間を移動しようとする人々たちなのだ。喧嘩しているといっても、入国管理官とウクライナ人がゲートで談笑しながら審査を受けている姿がとても印象深かった。

 さて、20分ほど待たされていよいよ自分の番だ。別に日本とロシアは北方の島のことで揉めているとはいえ大喧嘩をしているわけでもない。罪も穢れもない東洋人なんて、特段問題なく通してくれ…………ないに決まっていた。先ほども触れたが、この飛行機にアジア人はおそらく私しか搭乗しておらず、ロシアのビザはダブルビザ。中国からロシアに入り、ウクライナに陸路に出て、そこからすべて陸路でポーランド、ベラルーシと来てロシアに戻ってきた。こんなもの、残念ながら誰が見ても怪しいのである。管理官はルーペでベラルーシとロシアのビザ両方をじっくりと観察した後にどこかに電話をかけ始め、さらに端末に表示された私の情報と睨めっこをしている。結果的に10分近い時間をかけてスタンプを押してくれた。

 さて、受託手荷物を回収すればあとは街に出るだけである。その前にSIMカードを契約して……と考えながら到着ゲートを抜けると、すぐに男性に声をかけられた。早速タクシーの客引きか、ドモジェドボはしつこいのだなと思いつつ素通りをしようとしたが様子がおかしい。数人に囲まれて制止されると、なんと手帳を取り出して「警察だ!」と言い始めた。

 これには流石に全身の血の気が引いた。もちろん何も悪いことはしていないし怪しいものも持っていないのだが、こうなるとかなり面倒である。警官たちは私のパスポートを取り上げ、「ブリャンスク、ブリャンスク」と言っている。———そうか、そういうことか。

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左上が問題となったブリャンスクのスタンプ

 左上のスタンプがロシアからウクライナへと陸路で抜けた時のスタンプだ。出国地は国境の街ブリャンスク、そう、彼ら私服警官たちはどうやらウクライナに陸路で出国していったこの不審な東洋人を待ち構えていたらしい。おそらく入国管理官が電話をかけていた先もここだろう。

 しかしこういう時こそ冷静にならねばならない。相手は「ロシア語は喋れるか?」とロシア語で聞いてくるが、そこで何もわからないフリをする。すると「こいつは言葉のわからない旅行客だな」ということを何となく察してくれるので、個人的な経験ではその方がだいたい楽になる。そのまま脇の別室に連れていかれ、荷物をX線に通される。さて、次は一体何を聞かれるのだろうかと身構えていると一言、警官たちは「行ってよし」と私に伝えた。「え?これだけでいいんですか?」と拍子抜けしたが、どう考えてもこれだけで済むほうがいいに決まっている。何せ居心地も悪いのでさっさっと別室を抜け出し再び到着ターミナルへと戻ってきた。

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ドモジェドボ空港発着のアエロエクスプレスは2階建てで眺めがよい

 すばやくSIMカードを購入し、アエロエクスプレスに乗り込みモスクワ都心を目指す。列車の椅子についたときは安心のあまり全身の力が抜けるように思えた。モスクワメトロとて治安が日本ほどに良いわけではないのでここで気を抜いてはいけないのだが、ひとまず警官から無事解放されたことには心底安心感を覚えていた。モスクワもほかの街よりは慣れており、比較的過ごしやすいと感じていたこともまた安心材料であった。「3日ほどのモスクワ滞在になるが、これからどこへ行こう」雪原と木々を眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。

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おそらくクルスキー駅の近くにあったゲート かわいらしい冬の一面である

 

さいごに

 さて、2019年2月末から3月頭にかけてロシア~ウクライナ~ポーランド~ベラルーシ~ロシアを主に鉄道で旅行した際の越境レポですが、いよいよこれにて完結と相成りました。初回記事から2年3か月、旅行からとなると実に2年半の年月が経ってしまいましたが、案外旅の思い出とは簡単に消え失せるものではなく、だらだらと執筆を続けながらどこか安心感を覚えたものです。

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夏のミンスク中央駅にて オデッサ行き列車

 完結、といってもまだまだ越境ネタはあります。2019年夏にロシア~ウクライナ~ベラルーシ~ウクライナ~ハンガリーへと鉄道で抜けた時の越境レポをこれからまた書いていこうと思います。例のごとく気まぐれ更新になるかとは思いますが、何卒お付き合いいただけますと幸いです。何はともあれ、どうにか「ネタ切れ」となる前に気軽に越境できる日々が戻ってくるよう、日々祈るばかりです。

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夏のリヴィウ駅にて オデッサから到着した«西方急行»

 かなりの長期間に渡る更新となりましたが、ここまでお読みいただきました皆様に心から感謝申し上げます。これからの新シリーズ、そして新たな越境鉄道旅にもどうかご期待ください!

(おわり)


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