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キエフからワルシャワへ列車で行く話

↑前回 モスクワからキエフの乗車記

「ロシア語とウクライナ語は実際似ているのか?」とウクライナの夜行列車で同室になった人たちに聞く機会が数回あった。ほとんどの人たちは「似ている」と答えるし、「違うところも多いよ」と答えた人も実際はロシア語とウクライナ語を器用に使い分けていた。もっとも、言語において何をもってして「似ている」と言うのかは非常に難しいことであり、この問題を語るのはなかなか容易ではない。ただ、それら両言語が「似ている」としばしば取り上げられるのは両国の歴史・地理的経緯が深いことに起因しているのではないだろうかと感じる。ベラルーシとともに3国で東スラヴを形成するロシアとウクライナ、両国の繋がりが強いのは疑う余地のないものだ。

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(↑キエフの国立ウクライナ歴史博物館に展示されていたポスター。繋がりが強いとは言っても残念ながら仲がいいとは限らない) 

 一方で、地域こそ違えどウクライナと同じスラヴ圏に属する隣国が西側に位置する。そう、他でもないポーランドだ。西スラヴと東スラヴと分類はされているものの隣国は隣国、ウクライナ語とポーランド語で共通している語彙はしばしば見かけるし、歴史上西部ウクライナ及び東部ポーランドの国境線は複雑に変化している。ロシアとのものと比べれば注目されにくいかもしれないが、ウクライナとポーランドの関係も非常に興味深いもの。そんな両国の首都を結ぶ国際列車こそ、今回紹介する67/68列車だ。

 さてこの列車、今年の春過ぎくらいからインターネットで予約できるようになったのだが、1月あたりは予約どころかウクライナ鉄道の予約サイトに「ワルシャワ」という地名が登録すらされていなかったのだ。それどころか、いつもお世話になっている時刻検索サイトPoezdato( http://poezdato.net ロシア語かウクライナ語しか選択できないのが少々難点だが、旧ソ連圏の時刻検索が国境を問わず可能なので非常に便利でオススメできる)にまでも運転されるかが明記されていなかった。これには非常に焦ったが、乗車予定日の2週間前に突然運転されると表示されるようになった。それでも相変わらず公式サイトでは予約できず、もし運転されていたとしても席が空いているという保証のない状態で現地に赴かざるを得なかった。

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(↑キエフ駅にあった67/68列車の広告。道路より短時間云々という謳い文句の下にウクライナ鉄道の予約リンクが書いてあるが、ならオンライン予約させてくれよと当時はツッコミを入れたくなってしまった)

 前回の記事で紹介した5列車(冒頭のリンク参照)に乗車してモスクワからキエフに到着したのち、駅のエントランスホールにある時刻掲示板をじっくりと確認した。ここにはキエフ駅を発着する全列車の時刻が表示されている。ワルシャワ行きは果たして————存在した!とりあえず運行はされているようだ。

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(↑時刻掲示板 全列車が表示されているだけあってなかなか巨大)

 しかし気はまだ抜けない、ホールから線路に向かって右手のドアを潜ると広がる切符発売窓口へと急ぐ。国際線窓口(Міжнародна каса)は左奥、幸い早朝だったためか誰も並んでいる人はおらず、切符購入メモを差し出す。希望は下段であったが、「中段か上段なら空いている」とのことだった。この際希望などどうでもいい、とりあえずワルシャワ行きのチケットを確保しただけで充分合格点だ。発券された寝台券は中段で、ワルシャワまで約1200フリヴニャ、日本円に換算すればだいたい5000円といったところか。一晩横になって隣国の首都まで連れて行ってくれるならお値打ち価格というべきだろう。

 乗車記に移ろう。列車は4両編成で、モスクワ行きの国際列車と比べると少々寂しい気もする。しかしながら寝台はほぼ満席で、これは需要に見合ったものと考えるのが妥当だろう。15時間超の長旅であること、両地を結ぶLCCのシェアが高いことを考えるとなかなかの利用率の高さだ。客車はウクライナ鉄道の西側向け国際列車用の専用客車。線路幅が狭い西ヨーロッパへの乗り入れが考慮されているので、他のウクライナ客車と比べると小ぶりで可愛らしいのが特徴的だ。

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  (↑西行き専用客車 ウクライナ語のほかにチェコ語やドイツ語などで「寝台車」という表記がされている)

  ウクライナの西行き国際列車の特徴として、切符に記された号車が300番代という奇妙な現象が起こるが、これは国境駅で現地の国内列車との増解結を繰り返す際に紛らわしくならないようにあえて独特なナンバリングをしているためである。乗車口のサイドボードには実際に切符の通りの号車表記がなされている(この記事のヘッダーがそれである)のでそれを目当てに自分の車両を探そう。今宵の車掌さんは笑顔が素敵なおじさまで、日本のパスポートを興味深そうに眺めた後に客車へと招き入れてくれた。

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(↑客車の通路 どことなく在りし日の24系A寝台シングルデラックスを思い出す)

 客車の狭い通路をくぐり抜け自分の部屋にたどり着く。この客車は1室3段寝台の仕様で、少々狭苦しいが部屋にはコンセントと洗面台、人数分のハンガーが備えつけられており妙に豪華な仕様となっている。同室の人たちは無口なおじさんと若いお姉さん。お姉さんは気さくなロシア語話者で、英語については全くできない!と満面の素敵な笑みで答えてくれた。他の寝台の人が時々顔を覗かせに来たのでどうやらグループ旅行らしい。

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(↑3段寝台個室 ペットボトルの置いてある台を開けると洗面台があるが、水は出なかった)

 この列車も例のごとく真夜中に国境検査があるので、早めに仮眠につくこととした。次に目を覚ましたのは真夜中、国境に近いコベリという駅にいた。どうやら機関車を交換するようで、遠くから汽笛の音が聞こえてきた。20分近い運転停車の後に発車し、その後1時間ほどで国境駅に到着した。

 ※追記 67列車では2019年3〜4月以降のダイヤ変更でウクライナ側の出国審査をキエフ駅で行うようになったという記述を発見した。詳しい情報はまだ不明だが、その場合は発車ギリギリではなく遅くとも45分前には駅に到着しておくことを強く推奨する。

 軍人たちが乗り込んでくる。ここではパスポートは回収され、一纏めにしてスタンプが押されるようだ。大した質問も税関検査もされることがないうちに列車は車両工場に進入していた。先程ちらりと触れたが、旧ソ連圏と西側は線路幅が異なり前者の方が幅が広めになっている。そんな時どうするかというとわざわざ毎晩毎晩台車を付け替えて運転を行うのである。わざわざ列車1往復通すためだけにそんなことをするなど日本ではまずありえないことで、本当に頭が下がる思いだ。工場では車体をジャッキアップして台車を交換する。廊下からその光景を眺めたかったが、軍人がウロウロしているのでそんなことはとてもじゃないができない。寝台内からこっそりと1枚写真を撮る程度に控えた。

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 (↑車両工場の様子。ジャッキの爪に車体を引っ掛けて持ち上げる仕組み)

 時刻は深夜3時過ぎ。さすがに眠気に耐えることができず、いつのまにか眠りに落ちていたようだ。目がさめると列車は工場を抜け出しており、枕元にはパスポートがそっと置かれていた。

 ポーランドとウクライナの国境には小川が流れており、付近は密航を防ぐための投光器が多数設置されていた。そんな投光器に煌々と照らされた白い小さなトラス橋を渡ってポーランドに入域した。時刻はポーランド時間では4時になろうという頃だ。ウクライナと比べるといくらか柔らかな服装をした検査員たちが乗り込んできた。「クスリや銃は持っているか」といういつものテンプレート質問などを受け、特に不審な顔をされることもなくパスポートにスタンプを押された。しかし驚いたのは、同室のお姉さんが流暢なポーランド語で係員の質問に答えていたことだ。2つのスラヴ語を使いこなしている姿を目の前で眺めるのはなかなか痺れるものがあった。

 出入国審査が終わり、列車が発車する頃には空が白み始めていた。ポーランドはモスクワやキエフと比べればいくらか暖かいようで、眠りにつく前に見かけた雪たちはいつの間にか消え、牧草地が霧の中に広がっていた。

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(↑ポーランドの牧草地。霧がかかり幻想的な雰囲気だ) 

 30分ほどで最初の大きな街、ルブリンに到着した。ここではポーランド国鉄の客車を連結し、列車の前後が入れ替わるため20分前後停車をする。同室の無口なおじさんはここで下車した。

 旧ソ連圏の列車には基本的に日本のように安定した車内販売はない。土産品や食品、アイスクリーム、ブランデー、水などを車掌を売りに来ることがあったり、他にも一般乗客として車内にsimカードや玩具売りが乗り込んでくることもしばしばある。とはいっても何が売っているのかは車掌次第で、乗ってみないと分からないというのが実情だ。しかし、絶対に売っているものが1つある。それがチャイ(紅茶)とコーヒーだ。客車の両端には石炭暖房を兼ねたサモワール(給湯器)が必ず設置されており、そこでいつもアツアツの熱湯を手に入れることができる。

 私は圧倒的紅茶党なので以下は基本的にチャイの話になる。チャイの値段は国や運行鉄道局にもよるが、概ね日本円で50〜100円程度。この67列車では10フリヴニャ(50円弱)だった。局により柄付きのグラスやホルダー、ティーパックや砂糖だったりするので楽しみは尽きない。ロシアではお土産でグラスホルダーを販売してくれることもある。

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(↑67列車で提供されたチャイとグラスホルダー。「ウクライナ」という文字とともにウクライナ鉄道の徽章とキエフ駅舎を模したデザインだ)

 列車はひたすら牧草地の中を走り抜ける。青空の下に広がるだだっ広い農地は壮観であるが、ルブリンからワルシャワまでは4時間あまり。携帯のsimも購入していないのでインターネットは繋がらず、チャイをおかわりしつつのんびりと時間を過ごす。退屈なようで退屈でない、どこか心地よいように感じてしまうのが東欧の汽車旅の醍醐味だ。

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(↑ポーランド中南部の車窓。キエフの極寒が嘘のように日差しが暖かい)

 途中ポーランド国鉄の係員が寝台に乗り込んできて何かを伝えにきた。どうやら5分ほど遅れているとのことらしいが、15時間分の5分程度の遅れを報告に来るとはなかなか律儀なものだ。 遅れは最終的に8分程度まで延び、ワルシャワ近郊へと近づいてきた。まず東駅に停車し、地下に潜って中央駅に到着した。お世話になった車掌さんに礼を告げてホームに降りる。列車は10分ほどの停車の後にワルシャワ東駅へとラストスパートをかける。

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 (↑ワルシャワ中央駅の地下プラットホーム。ウクライナ色とキリル文字がどこか異質な雰囲気を醸し出している)

 中央駅に降り立った時からワルシャワの近代的な空気が一面に広がっていた。隣接するショッピングモールは日本と見間違うほど明るく清潔で輝かしいものである。脱ロシア、ヨーロッパ化を目指しながらも旧ソ連の空気を色濃く残すウクライナの首都・キエフと、現代的な雰囲気を漂わせながらも「東欧」という印象が未だに残るポーランドの首都・ワルシャワを結ぶ67/68列車。どこかソビエトと社会主義の置き土産を考えさせられる汽車旅であった。

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(↑ワルシャワ中央駅の外観)

↓次回 ワルシャワからブレストの乗車記


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