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ワルシャワからブレストへ列車で行く話

↑前回 キエフからワルシャワの乗車記

 ブレストという地名を聞いてあなたはどの国を思い浮かべるだろうか?フランスを思い浮かべたあなたはフランスや自転車に興味がある方だろうし、ベラルーシを思い浮かべたあなたは東欧や戦史に興味のある方だろう。今回この記事で紹介するブレストは後者、ベラルーシの西部に位置し、ポーランドと国境を接する街だ。街並みは概ねこぢんまりとしていながらもブレスト州の州都であり、ブレスト=リトフスク条約やブレスト要塞などの名で知られるように歴史的にも重要な都市といえる。 

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(↑ブレスト要塞 第二次世界大戦期の独ソ戦における激戦地として知られる) 

 ポーランドの首都ワルシャワからの距離はおよそ200キロ、列車ならば国境検査を含めて4時間強の旅路だ。ワルシャワとブレストを結ぶ国際昼行列車は1日1往復。それでいてワルシャワ中央駅の発車時刻は朝8時半過ぎなので寝坊にはくれぐれも注意されたし。切符については詳細はわからないが、どうやらポーランド全国の切符売り場で買えるようだ。私はポーランド中部の地方都市に留学している先輩のところに遊びに行って切符購入を手伝ってもらったが、ワルシャワ発の切符でも問題なく発券できた。

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 (↑ポーランド中部・世界遺産の街トルンをヴィスワ川の対岸から眺める 長旅の休養地として四日間滞在した)

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(↑ポーランド最後の晩餐はポーランド風水餃子ピエロギと酸味の効いたスープのジュレックを)

 朝8時、ワルシャワ中央駅。かれこれ5日ほど滞在していたポーランド最後の夜をゆっくりと過ごすことができなかったのは名残惜しいが、向かうは高校時代からの憧れの国・ベラルーシ。かの国へやっと降り立つことができるというなら早起きも苦ではない。

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(ブレスト行きは8時35分発 先頭車両は一等車だ)

 ポーランド鉄道は1つのプラットホームがいくつかの"Sektor"に分割されており、中央駅ではベルリン方から1から4までのSektorが存在する。1Sektorごとにおおよそ3~4両程度が割り振られており、おおまかな乗車位置目標として機能している。基本的に欧州各地を結ぶ長大列車の発着を前提として作られているので、5両編成のブレスト行きはホームのモスクワ方には停車しない。発車の数分前になってブレスト行き「スカルィナ(SKARYNA)号」が中央駅の地下ホームへ入線してきた。客車・機関車ともにポーランド国鉄の車両で終点ブレストまで運行する。

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 列車名のスカルィナとはベラルーシの偉人、フランツィスク・スカルィナ(白露語:Францыск Скарына)のこと。彼は16世紀の中東欧を生きた医師博士で、東スラヴ世界で初めて聖書を印刷した啓蒙思想家として知られている。日本ではあまり名の知られていない人物ではあるが、ベラルーシ人にとっては民族の誇りであり「国語創設の父」として人気が高いのだという。詳しくは黒田龍之助先生の『羊皮紙に眠る文字たち ——スラヴ言語文化入門 (1998年 現代書館)』を。スカルィナの話以外にも様々なスラヴ世界に関する小話が散りばめられているので、興味がある方は是非ご一読いただきたい。

 話を元に戻そう。この列車は国際列車ではあるが国境までポーランド領内の街にぽつぽつと停車をする。検札は日本と同様に車内を車掌が巡回する形式で行われ、旧ソ連圏のように乗車口で車掌に切符を見せる必要はない。そもそも切符も匿名制で発券されており、この点においてポーランドの鉄道風景は日本によく似たものといえよう。座席は非転換のリクライニングシートで、今回は運よく進行方向を向いた席だった。昼行列車としては充分な快適さである。乗車率はなかなかのもので、ワルシャワ中央駅発車の時点で8割以上の席が埋まっていた。

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(↑座席の様子 深緑のコートは横に座った乗客のもの)

 車窓はポーランド郊外の農地や森林が延々と続く。退屈なようで日本ではなかなか見られない景色なのでつい見入ってしまう。ぼんやりと窓の外に目をやることこそが鉄道旅の醍醐味であるのは、日本から遠く離れたポーランドでも変わらないことだ。

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 発車から2時間半程でポーランド側の国境駅、テレスポルに到着した。テレスポル到着の際にはそれまでのポーランド語のアナウンスに加え、ロシア語でのアナウンスが行われる。これが自動放送ではなく車掌の肉声によるものなのが「スラヴ世界」を感じられるポイントだろうか。最初は多かった乗客も途中でぽつりぽつりと降りていき、テレスポルで大半が下車した。車内は途端にがらんとし、しばらくすると係官たちが乗り込み出国審査が始まる。まず税関職員が申告物があれば申し出るようにと案内し、続けてパスポートコントロールに移る。特に質問されることもなくポーランドの出国印が押された。審査自体はこのように一瞬で終わるのだが、列車はテレスポル駅で1時間ほど停車をする。特に何かアナウンスが流れることもなく、静かに国境へ向けて列車は走り出した。

 しばらく草地の中を走ると、蛇行しながら流れる川が見えてくる。ポーランドとベラルーシを隔てるブーク川だ。鉄橋を抜けるとそこはベラルーシ、橋のたもとで軍人が見張りをしていた。車窓からちらりと見える看板にはキリル文字が書かれており、東スラヴへ戻ってきたことを感じさせる。

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(↑ポーランド・ベラルーシ国境 ボーダーというといつも夜行列車で通りがちなので新鮮な気分だ)

 列車はブレスト駅手前のヤードで停車、国境検査はここで行われる。ぞろぞろと乗り込んでくる係官にはポーランドと比べるといくらか張り詰めた雰囲気が漂う。まずは税関審査だ。日本のパスポートをいぶかし気に見つめおなじみの「ロシア語はわかるか?」という質問が(もちろんロシア語で)飛び出た。以前にも述べたが、こういう時は案外英語しかわからないふりをした方が楽なので何もわからないふりをする。するはずだったのだが隣に座っていた乗客が「彼ポーランド語喋れるよ」と税関係官に言い放ったのである。とんでもない、私は車掌が検札に来た時に「こんにちは、ありがとう」と返しただけだし、それは私が理解できるただ2つのポーランド語だ。何を言ってるんだ、と弁解するつもりで「いや、自分が分かるのはロシア語だけで」というロシア語がついうっかり出てしまったのだ。気づいた時には「何だお前ロシア語分かるじゃん」という空気でそこが満たされていた。慌てて「いやちょっとしかわからないから、英語で頼みます」と付け足した。どうやら納得はしてくれたが、このような国境で英語を話せる係官は残念ながらなかなかいない。お互い片言で意思を伝えあうしかないのだ。何もやましいことはないとはいえ、自分のパスポートが数人の係官の間で回されてじろじろ見られているのはなかなかに心臓に悪いものである。ただ実際質問される内容と言えば大したことはない、「クスリは持っているか」という恒例のものばかりだ。

 続けて係官が入国カードを持ってきた。どうやら私のパスポートからロシアビザを見つけたらしく、「ロシアに行くのか?」と聞いてきた。ミンスクまで行った後モスクワに飛ぶ旨を伝えると「ならここにモスクワと書いてくれ」と返された。ロシアとベラルーシは共通の出入国カードが採用されており、両国の国境を移動する際もカードは原則回収されることなく、移動先を出国するときにやっと回収されるのである。ロシアの国境から入国する際は自動で発行してくれるのだが、この国境では空港のものより紙質の悪いカードを渡され自身で記入する必要がある。いざ自分で書くとなるといかに欄を埋めるかに悩まされた(しかもベラルーシからロシアに移動する場合ときた)が、出国日をモスクワを出る日に合わせ、ビザ番号を2つ書きさえすればあとは通常の出入国カードのものと変わらないだろう。

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(↑手元に残った出国カード 空港でなら記入されるはずのシリアルナンバーがないので本当にこれでいいのか不安になる)

 入国カードを提出すると無事に審査は終了し、ベラルーシ入国印が押される。係官たちが下車すると列車はすぐに動き出し、終点のブレスト中央駅へと滑り込んだ。国境検査にかかった時間はポーランド側と同様に1時間程度だったが、ベラルーシのそれは圧倒的に密度の高いものであった。

 ブレストに到着だ。つい数時間まで滞在していたワルシャワの開放的な雰囲気とはかけ離れた「東欧」の香りに包まれる。灰色の建築物、石炭暖房の煙、1週間前にキエフを離れて以来の空気である。この東スラヴ世界独特の雰囲気は慣れると癖になるのだが、やはり一時「西側世界」に近づいてしまうとつい面食らってしまう。

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(↑ブレスト中央駅 大統領の方針もあってベラルーシはロシア以上にソビエト色を色濃く残している)

 次の日ミンスクへと向かう切符を窓口で予約した後、跨線橋を渡り街へと向かう。ふと立ち止まって振り向くと広大なヤードと立ち上る煙、スターリン様式の荘厳な駅舎が見えた。きっと開放的なポーランドの空気の方が暮らしやすいのだろうけど———やっぱり自分はこの香りが好きだ。ずっと憧れていたベラルーシに降り立ったからこその感動がそこにはあった。

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↓次回 ブレストからミンスクの乗車記


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