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当事者でないわたしは3月11日をどう迎えたらいいのか

みなさんこんばんは。3.11 for actionsのカシラです。(多分お頭って意味なんですけど誰がつけたんでしょう...) あと、イラスト担当とツイート担当です。
...ってほぼ殆どやん!(笑)ってことで、大トリ頂いても文句はないでしょうwということで最後、個人的な想いを書きたいと思います。

え、タイトルが根暗すぎる?😂
そんなことないはず(多分)なのでどうか最後までお付き合いを!

#わたしは一体、この日をどう迎えたらいいのか

と意気込んではみたものの、まあ、心の中まとまってないんですよね。

それは私が、東日本大震災というものについて、3月11日というものについて、
考えても考えても、結局は当事者でないから、ということに尽きるんです。

いくらボランティアとして現地に行ったって、
いくらこうやって遠くから想いを馳せたって、
私はあの日何かを失ったわけではない。

この10年で通った東北、人々との出逢い。
その中で、いつからかそんな気持ちと葛藤するようになっていました。
こんな私は一体、今日という日をどんな想いで迎えるべきなんだろう、
って思ってるんです、正直。

今日も仲間から「べき論じゃないよ!!」と一喝されました(笑)
まあ確かに、私がどう迎えようが誰にも影響しないですしねw
が、今筆がすすんでいない自分を見るに、やっぱり葛藤してるようです。

決してネガティブとか、自分を卑下してるとか、そういうんじゃなくて
「当事者でないこと」と向き合って、それでもこの出来事を未来に繋げていくために、己がこれからどうあろうとするのかについて考えている、という感じでしょうか。

2011年の夏、初めて訪れて津波の凄惨さを教えてもらった気仙沼
新米へなちょこボラ時代に多々お世話になって、故郷のように思い起こす山元町
未来を担う子ども達との触れ合いのなかで、多くを学ばせてもらった南三陸

これまでを思い返すと、本当にいろんなことを教わり、学ばせてもらったなと。

これをどんな形で恩返ししていけるんだろう。

そんな気持ちをずっと抱いています。

#結局は、自分なり

ちなみに私の故郷は、26年前に大きな地震に遭いました。
私は当時、2歳になったばかりです。なんにも、覚えてません。
それでも学校で教わった震災の悲惨さを胸に、いっちょ前に災害ボランティアに憧れたり
大学ではその頃生まれてもなかった世代の後輩達を追悼式典に連れてったり

自分なりにあの震災を、未来に繋げようなんて思っていました。


でも、やっぱり踏み込めないんだなあと思ったんです。
追悼式典で、亡くなった家族や友人に語りかけるように祈る人たちの心の中に。
たとえ、この街と育った、この街の子どもであったとしても。

いや、当たり前なんですけどね(笑)むしろ踏み込んじゃダメでしょ、ってご意見もっともですよ、奥さん。いやでもそういう意味じゃなくてね(笑)、なんというか、そう、無力感です。

そのときから、3月11日にもどこか複雑な想いを持つようになりました。

周りの仲間たちは、もっと上手く境界線を引きながらボランティアやってたと思います。微力ではあるが無力ではない!的な。

でも私は、
この大きな悲しみを背負った人達の想いは想像することしかできない、
想像することしかできない自分が、なんだか悔しい。
この人たちの悲しみを一緒に背負ってあげることは、どんなに頑張っても出来ない。

そんな無力感を、どこかで感じてました。

この日はあの災害で命を落とした人の命日であって、多くの悲しみを生んだ日。
当事者でない私がいくら「寄り添いたい」と思っても、所詮は外野なんです。

という、ごくごく、当たり前の事実を突きつけられた気がして
だったら私はその限界の中で、どう生きるべきなんだろう、ってもう一段深く考えるようになったんですね。

あ、また、「べき」がでちゃいました(笑)
もうここまでくると、ただの自問自答ですね。
もちろん答えは見つかりません。

だから、自分の人生を通じて問い続けるしかない。
こじらせてんなー、こいつ(苦笑)って感じかもしれませんが、
おかげで、手探りながらも
「自分と、自分の大切な人を守る」ことの重要性に気づけたんですね。

3月11日という日に感じるこの複雑な想いを、そして無力感を、
自分が変えられる「今」や「未来」に向けてみるのもひとつなのかなって。

そしてあの出来事が、あの日奪われた命を無駄にしないためにも
今日という日が少しでも多くの人の「今」や「未来」につながればいいなって
そういう想いで、3.11 for actionsを始めました。

被災した方々だって、人生は今日も続いていく。
そんな中で力強く、時に苦しみながらも毎日を生きる神戸や、東北の人たち。
その人生のほんの1ページ、数行の中で関わりを持たせてもらった私は
結局彼ら、彼女らから「生きること」の意味について、
他の誰よりも力強く教えてもらったんです。

教えてもらったことを、自分の人生の中で大切にしていくのは
それは、少しは恩返しになるのかな

そんな風に、思っています。

ああ、、とかぐだぐだ書いてたらとっくに日付変わっちゃってましたよ、もう。
でも、3月11日とか、10年とか、そんなのは結局きっかけなのかもしれない。
明日も、明後日もきっと人生は続いていく。

悲しいかな、日本に住んでいる限り私たちは災害といつも隣り合わせなんです。
いつ失うかなんて、わからないんです。
だから、想いを新たに
これからも私たちは皆さんとともに防災について考えていきたいと思います。

長くなりましたが、もしももしもここまで読んでくださった方がいらっしゃったとしたら、わたしは幸せ者です。(笑)

短い間でしたがみなさんの温かい応援があって、こんな私たちですがなんとか今日までやってきました。

感謝の気持ちで、いっぱいです。

どうか、
みなさんの人生も、みなさんの大切な人の人生も、幸せでありますように。

3.11 for actionsより💐

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