6月20日


自分の世界を強化せよ。そのために、全てを疑え、信じるな。自分の感覚だけに従え。自分の体に目を向けよ。知覚に耳を澄ませよ。そこに言葉がある。言葉を導き出すのだ。音が鳴る。口を開けて、響かせろ。すると、自然と音が出る。言葉が出る。
我々は死にたくなる時、脳内で言葉が反響している。ただそれは、音として出ていないものたち。脳内だけで完結している言葉たち。言葉以前の、粒子状の粒。
気がつくと、頭が何かの重みを感じ、沈んでいる。体が動かなくなる。何もしなくなる。ごめんなさい。ごめんなさいと、生きていることを恥じる。23歳、大学生、平日の昼間から布団で寝ている。働きもせず、ろくに勉強もせず、スマホを触り、時間を潰す。気がつくと8時間経過している。快楽から逃れられない。何も考えたくない。目の前の現実より、今この瞬間の快楽へ。そして、寝ているという現実に立ち返り、死にたくなるのだ。今の僕の頭の中は、小学生の時の夏休みのあの感覚だ。僕の理想郷はあそこなのだ。自由に自分の好きなことを夢中で行っていたあの時間、空間。僕はあの日、町内を一人散策していた。栄町フォレスティア。マンションを隅々まで散策した。8階建てのマンションを隅々。僕は二階の207号室だった。隅々まで歩くと、僕が見てきた世界とは異なるものが広がっていた。玄関と、廊下に面した窓、見ていたものは、ただそれだけなのだが、それだけでも、明らかに、大きな違いを感じていた。窓越し薄ら見える、カーテンの色や、排気管から流れる匂い、風呂場からのシャワーの音、何もかもが新鮮だった。
エレベーターの行き先階ボタンを押す時、僕は興奮した。2階以外を押す。そこに広がる世界はどんなものなのか。閉まるボタンが色褪せている。扉が閉まり、僕は後ろにある鏡で自分を見つめていた。そこには僕がいた。今、こうして書いている僕がいた。
フォレスティア、このマンションは一室2000万以上する。我々家族はこの207号室に、私が生まれる前に引っ越してきた。私はこの場所で幼少期を過ごした。もの心ついた時には既に、家は荒れていた。荒れていながらも、形を保っていた。母がいた、父がいた、姉が二人いた。そして、赤子の写真が一つ、立てかけられていた。
五人家族の末っ子として私は生まれた。
私には一人、兄がいた。生後一年ほどで亡くなった兄。兄は、父に殺されたのだと母は言う。嘘か誠かは分からない。母は恨みで視界が曇ることがある。
視界が曇るほどの恨み。母と父は毎日のように喧嘩をしていた。家には怒声が充満していた。父が母を殴る。母は食い下がり、泣きながら、悲鳴を上げながら、食い下がる。本物の悲鳴だ。本物の悲鳴をあなたは聞いたことがあるだろうか。今こうして書きながら、なぜだか、涙が溢れてきた。そうだ。体は覚えている。あのとき僕の目の前で起きたことを、感じたことを、怒りを、悲しさを、辛さを、体は覚えているのだ。僕は母の悲鳴を聞きながら、押し入れでじっと、時が経つのを耐えていた。
どこかへ行きたい。
友人の家を羨ましく思った。幸せな家族、父がいて、母がいる。優しそうな、父と母。
8階についた。8階から見える景色はどこまでも街を見渡すことができた。
僕は今14階にいる。14階から、景色を眺めている。さっきまで僕はフォレスティア8階にいたのに、僕が住む県営で、僕は、外を眺めている。どこまで広がっているのか、僕は探している。探しているのだ。幸せな空間を。僕の中のあの時の僕を救うため、僕は生きてきた。そうか。そうだったのか。君はまだ探していたんだね。俺は生きるよ。まだまだ生きる。意味の分からない文章を打っているのに、なぜだか涙が止まらない。なぜか流れ続ける。
今日、僕はまた、死にたくなった。体が動かなくなった。何もしたくない。頭を叩き、胸をたたき、自分を鼓舞しようとしても、一切動こうとしない。楽になりたくて、これまでのように、紐で首を縛り楽になろうかとした。ただ、いい行為とは言えない。自分でこれを禁止したはず。苦しい。苦しみの中で、僕はこれまでの対処法を思い返した。口を動かせ、音を鳴らせ。
僕は口を動かした。喉の奥の方が振動し始めるのを感じ、その動きに身を任せた。
「死にたいのではなく、意識を停止させたい」
はっとした。そうか。俺は死にたいのではない、意識を停止させたかったのだ。何も考えたくないという状態なだけなのだ。近くにあったスマホを見ると、大学からの奨学金不採用通知が届いていた。そうだ。俺はこれを見て、死にたくなっていたのだった。笑
見た瞬間、これまでの自分の行動がフラッシュバックして、何もしてない自分を恥じて、もう死んだ方がマシだとか思ってしまったのだ。
いやー脱した。脱したなー。
死にたくなる以前の自分は、大体スマホ見まくっている。何かと関連づける。様々なニュース、SNS、自分とすぐに比べている。だから、自分の知覚に耳を澄ませろってことね。自分の世界を強化させる。今日は自分の涙に救われたな。僕はおそらく、幸福を探すことをやめることが、大切なのだ。そうではない、探すのではなく、成る。僕が成る。これまでの幸福を探す行為は、自分と比べ、羨ましがり、終わってしまう。そうではない。僕らは、成る、幸福に成るのだ。

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