1月13日
昼過ぎから豊田市美術館へ。
ホー•ツーニェン 百鬼夜行
昨日、先生から勧められたので来てみた。
一つ一つの展示を見ていくにつれてある種の怖さ、予感、が身体に纏わり付く。
私はひたすらに、ただただ見ることに徹した。
自分自身が、その作品に入り込んでいた。
「アニメーション、実写、虚像、史実の映像が投影されると互いの像が、ずれ、オリジナルとフィクションの境界が揺れて溶け合う。」
ギャラリーガイドからの引用。
正にこの現象を自分自身で体感した。
作品を作るという事の凄みを改めて感じた。
一階常設フロアには、コレクション展:絶対現在
が開催されていた。最近は禅とか、民藝みたいなものが流行っているんだなと改めて実感。
ギャラリーガイドに載っていた
“今ここ”というフレーズが気になる。
そもそも、今こことか、幸せとか、存在って何で考えるようになったのだろう。
昨日「20 century woman」という映画を観た。
アネットバニング演じる母親が、幸せかと尋ねた息子に対して言ったセリフに
「そんなの 人に聞くもんじゃないわ。幸せかなんて考えてたらうつになる」
というものがある。
確かにそうだと思う。そもそも幸せな状態であれば、幸せかなんて考えることは無いのだろう。
それでも、無意識のうちに比べてしまうものなのだろうか。比べてしまう時点で、幸せではないのではないか。
幸せの基準が自分の中にない限り、その欲は尽きることが無い。
“今ここ”とは、自分自身の幸せの基準を見つけることではないだろうか。それは自分で自分を承認する事、自分に所属する事、自立に繋がり、自分自身の基準自体が何で構成されているかという世界観を捉え直すことにも繋がるのではないか。
そんな希望を抱きつつ、これってもしかして当たり前だったりする?とか思いつつ帰路につきました。
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