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5月7日



今日は、午前中、県営の写真選びをしていた。iPadでデジタルフォトアルバムみたいにしようと思ってたけど表紙のタイトルに悩み、結局そこまで進まず、昼過ぎに祖母の家にいく予定があるので、支度し始めた。
姉が珍しく午前中には起きていて、どこかへ出かけるのか、化粧をしていた。
出かける寸前の私に姉が昨日坂口恭平に電話したと言うので、電話した経緯や会話内容を聞く。すぐに切られたみたいだったが、自分で選択できた事が良いことだと感じそのことを姉に伝え、家を出た。
電車に乗るたび、Iphoheのスイカにチャージをする。その手軽さが少し怖くなる。
携帯で手軽に、金という物質を介さず、ボタン一つで、指の指紋認証だけで支払いができてしまうことで、これまでのお金を使う感覚が、より薄れ、サクサクと消費してしまう気がする。実際に使っている金額をその都度可視化していかないと、マジでまずいな。たまにアホみたいなことに金を使ってしまうこともあるので、より深刻。
名古屋まで各駅停車。電車の中から見える、ホームに立つ人達の姿に異変を感じた。目が合わないのだ!ほとんどの人が下を向いている光景に改めて違和感を覚えてしまった。ホームでの光景だけではない。電車内の人もみんな下を向いている。では逆に目が合う人は?それは、高齢者か子供。特に、子供の視線は、色々な方向へ向く。その視線を見て僕はジャングルジムで遊ぶ自分を思い出した。ついこないだ一人でジャングルジムに登ったばかりだったのでその時の感覚を思い出した。カラフルに塗られた棒に手を、足をかける。重要なのは上にいく事ではなく、この中でどう動き回れるか。
現実もそういう風に捉えれば良いのかも、ジャングルジムに登る時の気持ちで、その時の自分の目の動きで。
悩みに悩むより、その動きに身を委ねる。動きを自分で実践する。それが昨日会得した感覚だった。目の前にあるものを描いていると、徐々に視点が移動し、描いている自分も巻き込んで描き出し、描いているペンの動きを描きながらとかもう日本語よくわからない状態へ向かっていった。これが楽しくて、変化の中にいるって、流れの中にいるってこれなのかもと知れたのだった。こういうことを、「生成変化」と言うのかな。

祖母の家に行ったのは、落ち着いて作業するためだったが、叔母さんのパソコンの不具合に対処してたらあっという間に夕方になり、夕ご飯を食べ風呂に入り、すぐ寝た。




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