4月23日

朝、体が動かない。頭は思考を停止させ、ただただ沈む。頭の中で巨大なミミズのような、長いものがゆったり這っている感覚がある。
布団の中から出たくなかった。布団自体が私にとってのシェルター。この空間にいる限り大丈夫だ。出てはいけないけなんだ。外は危険なんだ。私は布団に篭り続けた。目だけ開けてただじっと身を固める。
「たかなりー!」
11時、姉の声がした。私を起こそうとする時の声。僕はムカついた。
普段いつまでも寝ている人間が今日は自分の方が早く目が覚めたからって声掛けえてくんなよと思った。
結局布団から出られたのは13時過ぎだった。
昨夜友人が言った
「たかなりは go for it のit がないのに向かおうとしている」
という言葉を脳内で反芻し、it ついて考えていたら、体が動いた。
私は普段から漠然とした決意を口に出しているにも関わらず、実行に移せていないのは自分自身がどこに向かうべきなのかを理解していないからだ、と友人は言った。

ふらっとスタート位置につくが、どこまで走っていいのか、何キロなのか、そもそも、どんな種目でさえも分からずにいる。そしていざスタートの音が鳴ると、私はスタートラインから逆の方向へ向かい、「体調悪いので保健室行ってもいいですか?」と先生に許可を求める。
頭の中で蠢く何かはどこかへ消えていた。
僕は、僕自身のことを分からない。僕のことに気づいて、発言してくれる友人から僕は僕を学んでいる。


バイトまで時間があるので映画を見た。

「ブレイド」「ブレイド2」「ブレイド3」

やはり、1が1番面白く、3が1番つまらない。

この映画は1998年公開。バイオハザードは2002年なのだが、このくらいの時代のCGが僕は好きなんだと気づく。完全にCGだと分かりながらも、ぎりぎり世界観を崩さないもの。ロードオブザリングの最終章。ラストの方の火山の洞窟に入るシーンは大好きだ。いきなりゲームみたいなグラフィックになる。最後の最後でこれは映画なのだと思わされる。

今のCGは完璧過ぎる。それはそれで、表現方法に幅が出るのだと思うけど。先日見た「チタン」なんかはその点かなり良かった。

姉が起きてきた。私が見ている横で、パンを食べながら映画を見ている。その時、咀嚼音が気になった。いつもならば「その音やめて」という所を「それは、昔からなの?」と言えた自分を褒めたい。

合計2時間半くらいで早送りしながら見た。途中、洗濯物を干し、朝飯を済ませた。

バイトへ。着いた途端、帰りたくなる。帰りたいが、お金必要なので働かなければならない。脳内はずっとグラグラしていた。さっきまで鬱々としていた所から、急に元気よくとはならないようだ。職員の人達は午前中の僕を知らないので、元気よくいけばいいところを、頭はそうはしなかった。一時意識して元気よくいこうと演じてみたが、すぐに反動がきた。

排泄掃除中、利用者さんに「僕死にたいです。いますぐ死んできます」と言っていた。その利用者さんは、アルツハイマー型認知症。こんな言い方は不適切だが、まるで神様か、道端の地蔵にでも話しかけている感覚だった。なので、応答の期待はしておらず、そもそも普段から会話は滅多に成立しない事や、出来てもおうむ返しの様な返答しか出来ない事を知っていた。

「だめ」

その利用者さんがそういったとき、僕はベット横で膝から崩れ落ちた。

僕は自分の汚ない部分が嫌いだ。その部分をそのまま無意識的に出してきたから、苦しい状態だったからだ。だけれど、汚ない部分をだしているときは気持ちよかったりもする。

気持ちいいいことだけして生きていくのであれば、僕はどうなってしまうのか。

幸せな家庭(という表現が適切ではないのは承知の上で使う)に生まれ、育った人、その人がいう「じぶんの好きに生きろ」と、私のそれは異なっているのだ。だからこそ、この世の中を生きるために、自分をチューニングしていかなくてはならない。

みんなそうなのだと思う。では、なぜこんなにも、生きづらい人が蔓延しているのか。それは、理想だけが高くなっているからだと思う。

その人にとっての理想。

僕の理想は普通の人。

ほぼむりです。ぼくが思う普通の人には到底なれない。

大事なのはその出来上がった理想をぶっ壊し、毎日毎日足を踏みだすことなのだと気づいたのです。そのことにしか集中しない。あゆみをとめてはいけない。これは、ガンジーばりの塩の行進ばりの地道な作業なのだ。

僕はこれまでの人生、地道に何かを、努力をしてきた試しが一切ない。そんな人間が、理想ばり高めてもしょうがないのだ。僕は今好きなことがある。確かに、他の人よりは数段あゆみは遅い。同級生は社会人2年目になる。同じ浪人、休学を経験した友人は希望の就職先の内定をもらった。でもいいよ。何年休学してもいい。働かなくてもいい。愚直に、素直に自分の進む力を磨く。一歩の力を強くする。

死んだら「だめ」

そう言われた今日、夜勤で寝る時間なのに深夜の3時まで、日記をつけている。寝る時間、2時間しかない。

進むことしか考えない。一歩踏み出すこと、布団というシェルターからとっくに抜け出し、もっと先の、it しかみない。下をみて歩くのではない。塩の行進は、ただダラダラと歩いていたのか?確固たる思いが、itがあったからこそ、彼らは歩めてたのではないのか。彼らは夢中だったのだ。夢中であるから一歩を踏み出した。ちなみにガンジーは良い人という訳ではない。僕が今気になっている空海は「理趣経」というお経を書いている。そして、僕はフーコーも好きです。彼かに共通して言えるのは、突き進む力強さだと思う。彼らの前にはitがあった。また、坂口恭平や千葉雅也。実践の人達。だから人がついていく。

itとはつまり、旗を立てることで、それはつまり、人が目指す旗印となり、集まりができる。国がうまれる。ということは、そこに経済が生まれる。

ここまで言うと話が誇大になりすぎるので、日々確認作業。

少なくても僕がしたいのは、場づくり。一般的には普通に見えるけど、漠然と苦しい思いを抱えて生きている人たちと交流出来る流れの中に身を置くこと。その流れが発生しているような、場をつくる。それを、イメージの場としても実際の場としてもつくってみたい。だけど、そんなのいきなりどうしたらいいかわからん。分からんのでたまに忘れる。そしてやる気失くす。もう無理だから消えたくなる。こうして思いだしながら、やりながら、回転速度あげていけるように、人と会い、今の自分の状態を学ぼう。

現在3時半。この熱中は良いものではない気がする。今だけ気持ちよくなっているようではあかん。毎日気持ちよくなろう。笑

と、書くことで一時的熱中を防止していきたい気がする。

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