4月25日

月曜日。
大学に行き、授業を受け、終了。14時半。ゼミ室で爆睡。
今朝は朝の3時に目が覚めそこから活動したので、慣れてない事をした分、眠気が回ってきた。朝から日記をつけ、フィルムカメラで、県営を撮影をした。近所のゴールデンレトリバー「たろ」にもあいさつすることが世界た。
起きると18時。時間を確認するため携帯を見ると、応募していたバイト先から不採用メールが届いていた。
すぐに大学を出て、近くのATMで支払い等を済ませる。
家着くと20時ごろ。夕食を済ませ、自分の作業に入る。

 自分で1から写真集作ろうプロジェクト。とりあえず表紙デザインから始めようと、イラストレーターを使ってみた。しかし全く分からない。思い通りに編集ができない事と、何度も落ちるiPadが相まり、ストレス爆発。癇癪発生しかける。
その後ふて寝。4時間粘ってあれこれ検索してやってみたが、結局1ミリも進まず。

 寝ながら、小学生の時6年間習っていたピアノを思い出した。自宅で練習する際、一箇所間違えただけで、鍵盤を激しく叩き、父親に「やめちまえ」と怒鳴られ殴られ、母に練習するよう促されるというループ。今思うと完全に狂っている。この癇癪が最近まで続いていたのだから。
 分からない事に対し、明確な解決法が理解出来ている時は、癇癪まではいかないが、分からない事に対しての解決方法が全く分からない時、激しくストレスが溜まる。その物事に対して費やした時間が多いほど、ストレスも大きくなる。
 物事に対して費やした時間。僕はこの時間の使い方が強烈に下手くそだということにここ数年でようやく気がついた。間違った事をずっと繰り返してしまう自分がいる。だから何時間も間違った事をしているので、当たり前にストレスは溜まる。改善するために思考を働かす事より、意地を張って同じ運動を繰り返すのだ。
 ここに気がつくに本当に時間がかかった。人間はどうしても自分の思考の世界からは抜け出すことが難しい。今回だって、理解した、と思いながらまた、癇癪が出てしまう。体の反応。イラストレーター使った事ない人間が、すぐに使えるようになるわけないのに、そこをすっ飛ばして、なんか触ってれば出来るだろうと考える。小学生の時に染みついた考え方。色々めんどくさがり、早く結果を求めてしまう癖がある。過程の一つ一つに時間、質を掛ける事を避ける。ここが自分にとって大きな改善点だ。
 解決策は、まず相手を知る。大好きにならないといけない。人間関係と同じや。相手のことをしっかりと知った上で自分で考える。今僕はイラレを何も知らない。まず知る。チュートリアルで試して触ってみる。愛おしくなってみる。でも写真集作ってみたい。そこはハードル上げすぎない。出来る範囲で適当に作る。まず作る。試作品をたくさん作るつもりでやる。何度も出していけばいい。何度もやるだけだ。この文章だって何度もやっている。とにかく出す。出して、間違える。考える。出す。間違える。考える。繰り返す。出しながら考える。
やるやる言うてやらないやん。そうなんだよな。今回のようなストレスにぶち当ると、やる気無くしてやらなくなるんだよな。やりたい気持ちはあるのにな。理想だけが高いんだよな。手前を一歩一歩確認しないとな。足元確認。

とりあえずの手順として、
1、写真を決める これはもうすぐ終わる
2、コンビニでカラーコピー 
3、テーマ設定 写真見直しながら、他の案が出てきたので、要検討。
4、写真を決める 
5、コンビニカラーコピー

これでいこう。

映像撮影はどうか。
土曜日は基本的にバイトがある。
木曜日は空いている。朝だと大体空いてるか。よし、平日は基本四時朝の様子を撮影、観察。これをとりあえず1週間やってみる。カメラを持ってやってみる。木曜は一日空いてるから、昼まではそのモードで見渡す。気になったことはメモする。
午後からは卒論、ゼミ、写真集へ取り掛かる。卒論は結局、写真集、映像制作のための調べものなので関連性がある。

調べ物系。やはり、場に関する事は面白いので、それ関連。と同時に自分の調べ物。色々と見たいものがありすぎ。指針を忘れる。少しでも、イライラしたり、本読めなくなったら、別の作業に移る。移り先を明確にする。その練習。
撮影、文章、絵、調べ物を、移動し続けたい。むずいかな。とりあえず実践。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?