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1月7日


初、宮島。厳島神社の鳥居は修復工事中なので今回は見れず。
当初は鳥居があるだけやろと思っていましたが、さすが日本三景。映る景色がどれも綺麗で夢中でシャッターを切りました。ごめんなさい、宮島の神々。
夢中でシャッターを切ったは良いものの、素人ながら悩んでしまう。これで良いのかと。自分が撮りたいものってなんだっけと。今回は旅行なので楽しく撮っていれば良いのですが、撮りながら変に構図を意識している自分がいる。もっと流れるように無心で撮りたい。そうなるためには、常に自分が何を撮りたいのかを意識し続けんとなと思う。変な言い方だけれど。
自分が撮りたいものとはなんだろう。少し考える。声なき存在というと抽象的すぎる。具体的にいうならば、見逃されがちなモノ、コト、ヒトの在りようを撮りたい。そこにはストーリーがあり、それが「見る人」の世界観を変えることに繋がり、思考の場を対話の場をその人自身に起こさせる気がする。私自身がそうだった。現実とは目に見えている世界だけではないと知れた。そもそも自分自身の「好きなこと」が単純化され過ぎていることに気づき、僕は生きることが出来た。私の思い描く「見る人」とは芸術、アートなどとは関係なく生活している人たち。毎日を必死で生きている人たち。心に余裕がない人たち。だと思う。他者と対話する場は大事なのだけれど、そもそも、その場にすら出てこない人がいる。その人が私だった。

三十三変化観音についての説明書きがあった。
観音さんは『生きているもの全てを救うため、いろいろな能力を持っている人』の意味で、広く音を心で観、心で聞いて、苦しんでいる人を救うと誓いを立てた菩薩である。
三十三身は、三十三種類の観音さんという意味ではなく、無限を意味し観音さんが無限に身を変えて私たち衆生(生きとし生けるもの)の苦悩や苦しみから救うため。

音を心で観る、心で聞く。自分自身をその場その場で変容、またはフィールドワーク的に言うならば同化させ、知らない世界の人と繋がっていく。自分に落とし込むならこんな感じでしょうか。よく分かりません。とりあえず、そういう姿勢で頑張りたい!と宮島の神々と平松茶屋のおばちゃんに誓い、島を後にした。


追記
広島在住の方が数人言っていた事。
「山口、広島、沖縄 どれも基地がある。それをマスコミはしっかり伝えてくれない。観光業、飲食業は本当に振り回されている。」
ただの23歳休学中の何も力がない男に対し、諦めのと怒りが混じった口調で教えてくれました。この事実をしっかりと記しておこう。


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