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5月5日


子供の日
バイトの面接で名古屋へ。履歴書いらないと言われたので面接だけかと思ったが、行ったら受かっている前提で話が進んでた。
面接終わりにどこかで作業しようと近場のスタバを見つけ行くと、人の数がとんでもなかった。特に若者。久々に大量の今を生きる若者を見た。男子、センター分け多い。
人が多すぎて座れなかったので、マックに変更。
B1にあるマック。地上から少し階段を降りるとある。照明が少し暗めで、コンクリート調の壁がちょっとした隠れ家感を思わせる。集中できる環境。気がつくと5時間くらいいた。作業もぼちぼち進む。

新写真論」(大山顕)を(冒頭だけど)読んでいてその中で、「スマホの画面とSNSのシステムに合わせて絶景化していく」といったような文を見かけた。機械の進化と共に、撮影技術や表現方法に変化が生じてきた。そして今は“スマホ“という機械で写真(画像)を見るので、それに合う写真(画像)が好まれている。そして、それは人の顔にも通じているのではないか、と著者は考える。人々はスマホ映りの良い顔へ。スマホに操られて生きている事は分かっていたけれど具体的に言語化してみると考えさせられるものがある。
最近、「イメージ」について考えている。特に「どうしたらその人の見落としているものを可視化できるのか」について。
この日本で今年に入り既に5000人近くの自殺者がいる。2035年には高齢者はピークに達する。経済もその頃から下降していくといった記事を見かけた。その現実がすぐそばにある。僕はただ、そこに目をなぜ向けられないのかが気になるのだ。自分ごとなはずなのに他人事のように感じる状態。この範囲が広がり過ぎている気がしてならない。この現象と“生きづらさ“が何か関連している気がする。その問題を考える手がかりの一つとして「イメージ」(の倫理問題など)を考えている。

帰りに109シネマで、以前から見たかった「c’mon c’mon」(マイクミルズ監督)を鑑賞。なんと、場内僕一人、貸切状態!じっくり堪能。
「対話不可能性」(他者との分かり合えなさ)をテーマにしている今作。今の自分のテーマとがっつり重なるし、「聞く」態度の重要性に改めて気がついた。もしかして、今このテーマは熱いのだろうか。繋がり過ぎている(様に感じられる)現代だからこそ浮かび上がるテーマなのかもなー。ならば、自分のやることをもっと出していかなければ。ただ、今思い返すと、マイクミルズの作品はどれも「対話不可能性」が根底にある気がする。だからずっと好きなのかもしれない。どことなく寂しさがある一方、ただ静かにそこにある愛の存在が胸に刺さる。

いい作品だった。映像制作意欲が更に強まる。



〜追記〜

たまたまTwitterみたら千葉雅也と坂口恭平が丁度「生きづらさ」についてのツイートをしていた。

作品を作る、完全させるという一連の流れ、制作の議論が「生きづらさ」の議論に繋がるのではないかというもの。

上手く作ろうとしているから作れない人続出。


完全に自分だ。



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