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1月16日

アンドリューガーフィールドと、エマストーンがなぜ別れてしまったのかと、深夜3時、腹痛に耐えながら私は一人悩んでいた。

最近アメイジングスパイダーマン2を見返した。

公開された当時は中学生で、実際に二人が付き合っていると知り、とても夢があるなと思っていた。なぜなら、本作の劇中、二人は不運な別れをするからだ。そこから約10年が経ちエマストーンは結婚し、子供がいる。そう思うと、深夜3時、私は無性に悲しくなった。あのキラキラした2人は二度と見ることが出来ないのかと。

突然脳裏に、映画LALALANDのシーンが映しだされた。このシーンなんだっけ。何かの曲が流れていた気がした。Spotifyでサントラを急いで聴きまくる。そして、見つけた。

「epilogue」

物語最終盤、もし2人が結ばれていたらという多くの観客が望んだであろう、もう一つのシナリオ。その場面で流れる曲。

2人を包む世界は華やかで、大掛かりな舞台セットの様に次々と展開していく。

まるで夢、幸せすぎる夢。観客達は幸せに包まれ。自分達が求めた理想的展開が実現される。

このシーンが私はたまらなく好きで、たまらなく悲しくなる。彼らは結ばれないと既に分かっている。だからこそ、こうなってほしかったとより強く思わせる。

ピアノが鳴り終える。エマストーンは店を出ていく。その直前2人は見つめ合い、ライアン・ゴズリングは頷く。


「epilogue」を最後まで聴き終えたとき、私が普段過ごしているこの現実は舞台のセットでできており、いつの日か、ドリフのコントの様に舞台の真ん中が開きダンサーが裏から、横から出てきてマツケンサンバを日本中で踊り明かすのだ!と思えば人生幸せに生きれるかもしれないと思った。

普段、無意識のうちに理想を、幸せのカタチを形成しており、それが壊れたとき、壊れるていると理解しているとき、現実というものの前に立ったとき、どうしようもなく悲しくなる。

それでは心がもたない。前には進めない。

こうあって欲しいと何度も理想を、同じイメージを重ねるのではなく、そもそもの現実自体の見方を変えてしまう。そうする事で、現実自体ですらイメージの一部であるとし、楽しめるのではないか。

これって危険な事だろうか。

「この現実が辛すぎるから、僕は道化師になろうと思う。」

とある人の言葉。

その言葉が少し、分かった気がした。


それにしても、自分は結局何が言いたいのか。

まーいいや。


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