価値を委ねられることも価格戦略

来週末に東京(というか千葉)でとある音楽フェスが開催されます。

僕が大好きで仕方のないGEZANというバンドのレーベル十三月が主催のイベント。2013年くらいから毎年実施しています。去年、一昨年と大阪のみの開催で、今年は3年ぶりに東京でも開催。めちゃくちゃ楽しみにしていました。

全感覚祭は、主に投げ銭で成り立っているフェスで、今年はフードもフリーで提供するという試みをしています。なぜ、投げ銭で開催しているのか、更にはフードをフリーで提供しているのかについては、GEZANのVoマヒトさんが以下のコラムで掲載しているので読んでいただきたいと思います。

大阪は既に終わっていて、その時のライブ映像がアップされているのですが、臨場感ある映像です。

さて、なぜこのフェスについてお話をしているかというと今回このような本を読みました。

この中でも「価格の心理学」「値上げのためのマーケティング」を読んでいて今回のことを書いておきたいなと思いました。

価格戦略のことについては、他の人が詳細に書いてくれているので割愛する(アンカリングやおとり戦略etc)として、「価格の心理学」で特に印象に残った部分はこちら。

対象の商品やサービスの価格に対して、それが適正な価格なのかどうかを消費者が判断するときには、過去の経験に基づいて判断していることが多い。判断するための思考プロセスを「満足化」といい、商品やサービスが個別のニーズを満たしていれば、満足するというわけです。

その価格を判断するプロセス自体をユーザーに委ねることも1つの戦略であるということで、最初に書いた全感覚祭の投げ銭を思い出したわけです。
(本の中では、Radioheadの「In Rainbows」が紹介されています)

このステートメントを読んだ上で、自分はどう思うのか、価値観を問われたような気がしていたのと、僕はいくら払うのかなと考えました。2016年に東京で開催されたときも参加していてその時に払ったときの金額についても思い出しました。(ステートメントを読んで今回は、ボランティアで参加することを選んだのですが、もしボランティアで参加しないでお客として行くのであればどうするのだろう。)

先日、大阪で開催されたときには、上記のような投稿もあったりしました。個人的には、このような僕はいくら払いたいなという議論があっていいと思っています。
例えば、高校生でお金はあまり持っていないけれども自分が出せる最大金額はこれだ!で払った金額だってそれ以上の価値があるし、素敵じゃないかと思ってしまう。たぶん、自分が高校生だったらそうしてしまうのかもしれない。価格って、自分が払うときのストーリーでその価値以上に発生するんじゃないのかなぁと思ったりもしたり。

もし、自分が好きなものやサービスがこういった取り組みをしたら自分はいくら払うのだろうかと考えて見るもの1つの考え方なのかもしれないと思いました。ちょっと価格戦略とはズレてしまった気がするけど、直近でイベントがあったので書いておきたかったので書きました。

ちなみにGEZANのアルバムは2018年度の個人的ベストアルバムです。


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