Enemy of the world

ー1ー
誠に残念なことながら、私を縛る常識や理性に対しこれと言った抵抗力を持っていなかった。
さらに嘆かわしいことに私を縛るそれらに対しそうであることを当たり前と受け入れていた。
今となっては非常に屈辱を感じるが、以前は問題などどこにもなかった。
思想の変化と言っていいだろう。
私を縛る常識と理性に対し疑問を呈することが出来るようになったということは、途轍もなく喜ばしいことである。
真っ当に生きることを良しとし、知らず識らずのうちに生物としての根本的欲求を理性と常識という重石で押し潰していたことを思い出すと今でも涙が浮かぶ。
これは同情や憐憫ではなく、哀れみや憎しみでなく、只々そうであったことに対する落胆である。
私が私として私を使役することができるようになったことを嬉しく思う。
良識をよしとし悪きを嫌悪しながら恋慕にも似た羨望を抱いていたこの心を解放に導くことができるようになったことはきっと世界から祝福されるだろう。
さあ、過去と言う名の殻を破り目の前に広がる新たな景色を堪能しようではないか。
そして、手狭になればまた殻を破り新たな景色を手に入れようではないか。
我らは我らのために、世界を産み、世界を育み、世界を殺そうではないか。
停滞と繁栄を繰り返し創造と破壊を繰り返し死んでは生まれ、また死んで、そうして手に入れることにしよう。
「我ら炎によりて世界を更新せん」そんな陳腐な言葉はいらない。
善悪も関係のない差別も特権もないそんな世界を夢見る必要もない。
ただ意識の底に、理性でも常識でも押し潰せない黒く黒く淀んだ思いを抱きながら生きていこう。
我らは「世界の敵」としてこの安寧を守りながら浸食し侵略して行こう。
忘れるな。我らは「世界の敵」どこにでもいるし、どこにもいない。
忘れるな。我らは「個にして全」誰かであるし、誰でもない。
忘れるな。我らはお前の中にいるかもしれないのだから。
用心しなさい。

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