頑張ると楽しむの狭間、

について、書きたくなった時に記すメモ。


・楽しもうとすること自体、不自然な気もする。楽しむ状態は、楽しもうとするから生まれるのではなくて、過度に頑張ろうと思いすぎない状態から生まれるのでは。

・いや、頑張るの先に楽しいが見えてくることもある。頑張ると楽しむを、分けて考えようとするから、頑張れなくても悩むし、楽しめなくても悩んじゃうのかもしれない。結局、やるかやらないかでしかなくて、そこに感情(楽しい)が乗ってくるか乗ってこないかは、やってみてからの話だな。そう考えると「頑張ろうとする」ことは、やる気を出してやろうとする、位のことかもしれない。「頑張った」については、どれだけやったか(結果)でしかない。

・楽しむ=苦しみがないこと、だと思っているふしもある。しんどいから、やる気が起きないから、楽しめていないと思ってしまう。ゲームとか、受動的な楽しさは確かに、ついやってしまうししんどいこともない、そういう楽しさかもしれない。でも、能動的な楽しさってなんだろう。と考えると、夢中になること、もっといえば集中すること、かもしれない。集中している時って、手を動かすことしか考えてないし、手を動かそうと考えなくても手が動くから、しんどさが薄れるのかもしれない。やっぱり結局、目の前のことを苦しくめんどくさくしているのは「頭(思考)」のような気もする。

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