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【考察】交差する京都薩摩藩邸【備忘録】

1、天誅組、中山忠光

落合莞爾氏がいう、オランダから閑院宮に潜入した光格天皇(1771年9月23日〈明和8年8月15日〉 - 1840年12月11日〈天保11年11月18日〉)の後裔の中山忠光(権大納言・中山忠能の七男。明治天皇の生母中山慶子は同母姉であり、忠光は明治天皇の叔父にあたる)は、尊皇攘夷の志士の集まりである天誅組を結成した。その天誅組に、吉野の雑民を引き連れて、出雲の富村雄が加勢した。

2、西郷吉之助に招かれた富村雄

生野の変の後、富は西郷吉之助に招かれ、京都の薩摩藩邸で、剣術指南となった。小松帯刀宅で寄宿していた富は、西郷と語りあい、古くからの縁があることを知ったそうだ。西郷の遠祖は、菊池で、楠木正成に従ったそうだが、出雲の富と西郷の縁は3世紀に遡るらしい。3世紀と言えば出雲王国の滅亡の時代だが、当時のことは今のところ未詳。

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