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高田馬場ゲッタウェイ


黄色い電車は、ご利用ありがとうございました、と徐々にスピードを落としながら次駅の案内を告げる。
JR線の土手をくぐって急カーブを曲がると、混沌としたロータリーと、学生ローンのネオン看板の入り混じった街並みがドアの向こうの眼前に飛び込んでくる。
同じ車両から降りた学生達と追い抜き追い越され、改札口を出て、点滅する信号機を目で追いながら横断歩道を駆けてゆく。

大学進学の際に上京をして、そこから今の勤め先に至るまで、こんな高田馬場の街を見届け続けて長らく経つ。
近くに下宿を構えたり、大学に留まり続けたりする知人友人も年月とともに片手で数えられるほどになってしまった。
とはいえ、馬場は馬場である。周辺の再開発ラッシュや同じ山手線の新駅開業なんてものを横目にこちとてこの地では浮いた話はなく、ロータリー内に夜な夜ななにがしかが転がり、早稲田通り沿いの居酒屋の前には威勢のいい集団が群れるなど、先に別の地へ旅立った友人たちがおおむね掌握している限りの風景が相変わらず広がっているばかりである。

それでもそんな代わり映えのない風景の中でも、毎日のように通りすがっていると、時代に合わせた細々とした変化に気づいたりするものだ。
例えば、ひところ前までは毎日不夜城のように明りを灯している店がいくつもあったものだが、ちょうど働き方改革が叫ばれはじめた辺りから店仕舞いが早くなっていった。
自分は仕事柄夜中の現業も少なくないのだが、AM2時台などでいつの間に思い当たる店の灯りがことごとく消えていて、かつてのオールまで開いてて当然の感覚からすればあたふたしたものである。直近ではドンキまで深夜休業するようになったので、お腹が減ることを見据えて弁当を先買いするなどの対処を行うようになった。
インバウンド全盛の頃からは、早稲田通りをすれ違う人並みに他国からの留学生が目立つようになり、濃度の高いアジア料理店も増えた。中国本土の大チェーン店日本1号店が馬場にできるときは周囲に驚きとともに迎えられたものだった。
タピオカブームでは空いた文具店やたばこ店が次々とタピオカ屋に変身を遂げた。ブームが一過したと思われる今でも割とどの店も長く続いており、留学生を中心に安定した人気があるようである。
個人的にはロフトやコメダ珈琲の進出や、天下一品の閉店、坂井精肉店~たいやき本舗間にちらりと残っていた商店街アーケードの撤去なども記憶によく残っている。
あとビックボックスのコカコーラの幕が昨年の大型台風で破けたりした。これは思いのほか話題にはならなかったけど。

そんな、変わらずに変わりゆくはずだった高田馬場の風景は、今年の2月を境に、がらりと一変してしまった。

周囲の学校の入学式や授業は中止やオンライン化が決断され、通勤客も減り、ロータリーはがらんどうの姿と化した。
カラオケボックスの塔からは照明が消え、周囲の飲食店は早々にシャッターを下ろし、日をまたがないうちから通りは闇に包まれていくようになった。
自宅勤務の傍で、見知った店からのSOSがタイムラインに流れるようになった。

先にこの街を立った知人友人たちのように、自分も人生の終まではここいないだろうと、漠然と思ってはいる。
けれども、その前に街のほうが荒んで離れてしまいそうなのは、ただただ空しい。

ビデオ通話で、元々下宿先が大学周辺同士で、直近でもよく会っていた友人達と話をした。
行きつけの居酒屋の名前が度々挙がって、落ち着いたら絶対に行こう、と誓いあった。
それまで身体と衛生に細心の気を付けながら、この街のたかが一生活人として、しかし何かしらできることがないか、考えている。

9年目の高田馬場。長い春の嵐に揉まれている。

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