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シンプルで合理的な人生設計

昨今、未来が読めないですよね。と言うと、昔が読めるみたいな感じもします。
昔の方が、まあまだ未来を読めたように思います。大学を出て、一般企業に就職して、終身雇用をしてみたいな。
他方、現在は大学を出たあと、就職先も多種多様化。ベンチャー企業もあるし、大企業もあるし。
働き始めたら、職場で働く、家で働く、海外で働くもよし。大学院に入ってリスキリングするっていうこともありますよね。
選択肢が増えれば増えるほど、自分の選択の責任が伴います。そんな社会に対してどのように、人生設計を行ったらいいのか。橘玲さんの本はおもしろいんですよ。

「日本人は合理性を憎んでいる。だからこそ、合理的に生きることが成功法則になる!」 前著『幸福の「資本」論』で幸福を3つの資本で定義づけた橘玲氏が、「人生の成功法則」について「合理性」を軸に3つの資本を再検証。最新の学術的知見を織り交ぜなら、現代人が「自由に生きる」ための理論、手段、実践を突き詰める

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コスパタイパリスパ

人間が生き物である以上、貴族であろうが、奴隷であるいは大富豪だろうが、貧困に喘いでいようが、全ての人に共通する条件がある。
①物理的制約
人間は、空を飛ぶことができないなど。
②資源制約
1日は24時間しか存在しないなど。
③社会的制約
人間は、社会共同体の中に埋め込まれているため、常に他者の評価を気にしなくてはならない。
資源が有限だからこそ、私たちは、選択しなければならない、これをトレードオフという。

18ページより引用

私、決断って言葉好きなんですよね。決断って決める時には何かを断たなければいけないじゃないですか。
例えば、私が教員になる選択をしたなら、教員以外の選択肢を捨てることになります。これが筆者の言うトレードオフの一種ですね。労働という資源の制約です。
捨てるということは、リスクを伴うからこそ、リターンが大きくなければいけません。
教員以外の選択肢を捨てたんだから、この仕事で充実した人生を歩んでやろうじゃないかみたいな。
それが自分の選択に責任を持つことなんじゃないかなって、個人的には思います。生徒は、あまりにもリスクを取るのを恐れる傾向があるように思いますね。
ちなみに、全てのことに、最高を求める人を利益最大化人間「マキシマイザー」と呼びます。
マキシマイザーは、もっと良い決断ができたのではないかと、どれを選択しても、後悔する傾向にあります。

資源制約と脳の三つの特徴

脳は極めて大きなエネルギーを消費する贅沢な臓器だ。進化適応環境では、食料は極めて希少だったので、脳のエネルギー消費をできるだけ節約するような強い淘汰圧がかかったはずだ。
脳はとにかく楽をして、色々なことを、素早く判断するように進化したこうした資源節約から進化的合理性には、次のような特徴がある。
①目の前の利益を最大化する
長期的な利益を考えるには、希少な脳のリソースを消費しなければならない。
②全てを単純な因果論で判断しようとする
直感的に判断したとしても、自分がなぜそうしたのかを納得する必要がある、その時に、最も役に立つのは自分に都合のいい因果関係を作ろうとすることだ。
③客観的な事実はさほど重要ではない
生き物にとって重要なことは、生存と生殖の可能性を高めることで、正しさ(客観的合理性)は、それに役立つ範囲で採用すればいい。論理的な合理性が社会的経済的な地位に繋がるようになったのは、産業革命以降で、せいぜい300年から400年しか経っていないから、進化の歴史の中では、一瞬に過ぎない。

84ページより引用

生物学でも、心理学でも、同じなんですが、人間の行動傾向を理解することって、とっても大事なんです。
本能で生きちゃうんですよね。だから、自分が本能的に行動しているか、理性的に行動しているかを理解するためにも、二つの学問は非常に重要だと思います。
自分がという話をしましたが、もちろん他者にも当てはまります。今後の人生のことを考えていない生徒もよくいるのですが、それは①の享楽的な考え方というか、目の前の快感を求めて、長期的な幸福を手放している状態だと思います。(もちろん目の前の快感を充足させることも、非常に重要です)
私たち教員、特に高校教員の仕事って、生徒が、社会共同体の中で生きていく上でのスキルとまでは言わないけど、能力を伸ばしていくことだと思います。学習指導要領では、人格の陶冶と言われているのですが、一人の人としてというより社会的な生命体として、周囲とどのように関わりながら生きていくかを身につける環境を整備するのが、高校だと、個人的に思います。


合理的な幸福の定義

幸福の資本つまり、土台が何もない状態が貧困(不幸)出会って、金融資本(収入を始め、食料住居お金などの物的リソース)、人的資本(外見や健康時間などの能力収入や、やりがいをもたらす仕事などの職業)、社会的資本(評価を得られる人間関係や、恋愛関係、家族関係)が増えるにつれて、幸福度が上がっていく。主観的には幸福だとしても、幸福の資本が一つしかないのは極めて不安定である。このように考えれば、幸福の資本を二つ持つことが、当面の目標となる。

140ページより引用

しばしば若いうちは貯金すべきかという議論が上がります。私は20代のうちってそんなに貯金しなくてもいいんじゃないかなって思います。
というのも経験経済にお金を回すことがすごく重要だと考えています。文字通り経験することに、経済的な資本を費やすこと。 
 資格をとったり、友達とご飯に行ったり、旅行に行ってみたりとか。
筆者のカテゴリーを引用すると、人的資本と社会的資本を20代くらいは充実させることによって、幸福が見えてくるんじゃないかなと思います。
30代くらいになると、交友関係の減少によって社会的資本がちょっと乏しくなってきたり、仕事に慣れが生じ始めて、リスキリングもしなくなったり。
そう考えるとQolを上げるための電化製品(全自動洗濯機とか)を買ったりして、幸福度を上げていくんじゃないかなって思います。
幸福の定義ってすごく難しくて、生徒達にもどういう状態が自分にとって幸せかを考えなさいって言うけれども、抽象的な議論で終わってしまって申し訳ないなと感じていました。
今後は、この三つの軸を使って説明していこうかなって思います。


好きなことがなかったら?

 仕事を天職にするには、好きなことと得意なことが一致している必要がある。これなら楽しく働きながら、それなりの社会的な評価と経済的な地位を獲得できるだろう。トレードオフの選択を迫られる時もあるが、あくまで一般論で言うならば、得意なことを生業にして好きなことを趣味にした方が、人生の総合的な幸福度は高くなる。
好きなことも得意なこともないんですが、という質問は、最も難易度が高い。これについては、ちょっと厳しい方になるが、失敗を恐れているだけではないのかと考えてみよう。当たり前の話だが、何もしてないのに、誰かがチャンスをくれるなんてことはない。リスクを取らなければ、何も始まらない。

248ページより

若いうちの失敗ってあんまり気に止められないですよね。人間関係の流動性も高いから、失敗した人から距離を置くことも可能だし。
一方、人間関係の固定化が始まる30代くらいからは失敗すると、周囲の評価が厳しくなってきます。
大切なのは、若いうちに失敗しておくこと。ロングスパンで見て成功すればいいんだと思います。
私も大卒の時の就活は失敗だったかもしれません。1年で会社辞めちゃったし。今の学校が三校目なことも踏まえると、一校目と二校目は失敗だったのかもしれません。
でも、32になって今の職場で良かったなと強く感じます。30代くらいで成功できるというか、生活に満足できるように、20代までたくさんの失敗を重ねてほしいなと思います。

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