(Book)SNSの哲学
夏休みはデジタルデトックスをするチャンスだと個人的には思っているんですが
やっぱりSNSの呪縛からは逃れられないような感じはしますね。
こう考えると、学校で携帯が使えないことって本当にいいことだなって思います。
だって、携帯使えると本来得られるはずの経験が得られない訳じゃないですか、家で使えばいい話です。
そんなことを色々考えながら手に取った1冊です。
SNSと黒歴史
インターネットが主流になったのって、自分が中学生ぐらいの時で
その頃は毎日weblogというものを書いていました。
日常あったことをつれづれと書くだけなんですが、今考えると5年くらい毎日日記を書いていたのは本当に偉いなって思います。
自分の気持ちの整理にもなったし、自分の言葉で発信する練習にもなっていたなと。
一方で、現在はTwitterやInstagramがSNSの中心となっています。
私のウェブログはきっとインターネット上のどこかを徘徊していて、黒歴史となっているはずです。
この文章は非常に印象的だったというか、感銘を受けた文章で
インターネット上には時間の経過という概念が存在しないっていうところに驚きを覚えました。
確かに印刷したものは摩耗するし、劣化するけれど
デジタルのものは決して朽ちたえません。
だから何年後でも写真を懐かしいなと見返すことができるっていうのはメリットですが
デジタルタトゥーとなりインターネット上に残されることもあります。
私も大学のサークルでの飲み会の写真を勝手にSNSにあげられて、ひどく憤慨した思い出があります……使い方の知らない人間がSNSを使うと、人をひどく不快にさせるんだなと思ったことがあります。
そう考えると、中学生や高校生がSNSを使うのってとんでもなく危険性が高いんじゃないかと思う時もあるのですが
禁止をして大人になって失敗するよりも、小さい頃からたくさん失敗をした方がいいのかなとも思います。
何にせよ、鍵をかけとけば大丈夫ですよ。
人はなぜTwitterをするのか?
今の中高生ってTwitterするんですかね。あ、Xですね。
イメージ的には文字情報よりも、映像情報の方が好きなイメージがあるので、Instagramのストーリーとかを使っているイメージです。
私がInstagramを使い始めたのは大学卒業と同時だったので、あんまり使い慣れてはいないのですが、Twitterは大学入学時代から使っているので、もう少し親しみやすいものとなっています。
日本人とにかく建前が好きですよね。本音と建前なんて英語にもなっています。
ということは、日本人にとってTwitterは恰好のツールということになります。建前を使わなくていいんですからね。
そう考えると二つの疑問が生じてきます。
①本音と建前文化がない、海外ではなぜツイッターが流行しているのか
フィリピンの語学学校で先生に本音と建て前の説明をしたところ、とても驚いていました。
フィリピン人は気を使うことはあるけれど、そのように建前を使うことはないというところでした。
では、日常から本音を言っている人達はぼそっと本音をいえるツールであるTwitterを使う必要はないのではないでしょうか。
ともなると、海外でも、主体はInstagramになってくるのでしょうか……
②内輪で本音を言うということは悪口の温床になるのではないか
本音というのは基本的にネガティブなものが多いように思います。
一部の人だけに限定公開している本音って、メンタルヘルス上良いものなのでしょうか?
人の悪口やヘイトスピーチが蔓延る世界観になる可能性が大いにあります。
もちろん自分の好きなものを大きな声で言えるっていうところはメリットだと思いますけどね。
私もハロプロの話をする時はTwitterを使います。
哲学からSNSを考察するっていうのは非常に面白い観点でした。
SNSをするのが中高生と言うこともあり、言及がちょっと浅かったかな。というか、浅めにしていた感じがするので、もっとディープなとこまで聞いてみたいなという感じでした。
読みやすい1冊でした。
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