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(Movie)✨赤と白とロイヤルブルー

友達が絶対見てとおすすめしてくれた映画です。
同性愛をテーマにした映画って最近本当に増えましたよね。
LGBTが人権を獲得したからなのか、はたまた不倫っていう禁断の愛を描くことが社会的にNGとなったためなのか。
でも、どんどん市民権を得ていていいことだなって思います。


この靴下の衣装、めちゃめちゃオシャレじゃないですか?
映画の中でも衣装さんが天才すぎて最高です。
最後のシーンが、パーカーになるのすごい良い。



愛って言葉にしなきゃいけないの?

本編で面白いなと思ったのが、イギリス人とアメリカ人の対比です。
アメリカ人は比較的言葉で愛を表現して(愛してるよとかすぐ言う)、イギリス人は分かってくれよっていう日本人的な発想をしていました。

先日バチェラーを見たんですが、同じようなシチュエーションを拝見して。好きならきちんと言葉にしようよみたいな。
今はとにかく欧米化というより、世界のアメリカ化が広がっていて
きちんと言葉で表現していくのが正しい形だよねっていう世の中になっている気がします。

恋愛も然りできちんと愛を言葉で表現しようよみたいな世界観になっていくんだろうな。
それがテキストメッセージによる力なのか、アメリカ化の力なのかは分からないんですけど
見つめることで愛情表現する事とかって、どんどんなくなっていくのかなって思います。

そうなるとなんとなく寂しさは感じますね。全部が全部言葉にできるわけじゃないし、言葉にしたら季節になる感情もあります。


例えば美味しいものを食べた時って、美味しいっていうコメントしか基本的に出てこないじゃないですか。
どこがどう美味しいかとかって言えば言うほど、つまんない雰囲気になるというか
間主観性みたいな言わなくてもわかるよね?的なものって耽美的なものに多い気がします。
気持ちを言葉で表現する言語化はすごく大事だと思いますが、必ずしもしなければいけないっていうわけじゃないと思います。
できるけど、時にはしないってことが大事なんじゃないですかね。

自明(当たり前)の世界(現実)は、他者とのコミニュケーション(言語及び非言語的関わり合い)により成立します。
この関わり合いによって、様々な物事、事象が客観性を持つことになるのです。
客観的事実と思われる事象に基づいた主観、直感を「間主観性」といいます。

こころのクリニック ゆめより

恋愛の主語って誰?

英国王子とかが出てくるタイプの映画って子供の頃に見るともっと本能的に生きろやって思っちゃうんですよね。
でも、大人になればなるほど、恋愛ってしづらいというか
ただお互いがお互いを好きであるだけではいけないってわけじゃないけど、ケアしなければいけないことがいっぱいあって

例えば金銭感覚が一つですよね。1800円のランチを食べることに対して抵抗があるかないかって大きな差を生んだりします。
あとは連絡頻度とかね。服の趣味とか家庭環境とか。
年齢を重ねれば重ねるほど知っていることが増えていくために判断材料が増えているような気がします。

この映画でも社会的なしがらみを強く経験した英国王子は純粋な気持ちで恋愛に挑むことができず
本当の自分(アイデンティティ)とは何だろうという葛藤に暮れてしまいます。

だから、恋愛の対象に無理矢理女性を選んでしまったりしたんだろうなと思います。これまでの王様も。
自分らしく生きていくことって難しいけれど、社会性が強くなればなるほど、さらに難しくなるんだなって思います。


話を戻して、好きならそれでいいじゃんって気持ちになるんですが、31歳にもなると、そんな無条件にというか無責任に応援することができないもどかしさを映画の中に感じました。
きっと今まで軽い気持ちで見ていた映画も大人になってみると見方が変わってくるんだろうなと感じます。


今回の映画では衣装さん小道具さんがとっても良くて
イギリスの世界観をすごく上手に描き出しているというか
ずっとスーツだった英国王子が自分に素直になるシーンでパーカーになったのはとっても良かったです。
すごく印象的だったというか、その表現方法があったかと感嘆しました。


心があったかくなる映画です!ぜひ、ご覧ください!


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