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(Museum)マティス展

自然教室が終わり、コロナからも回復したことでようやく普通のお休みが来ました。
ということで、マティス展に行ってきました!

20世紀を代表するフランスの巨匠、アンリ・マティス(1869-1954年)。強烈な色彩によって美術史に大きな影響を与えたフォーヴィスム(野獣派)の中心的な存在として活動したのち、絵画の革新者として、84歳で亡くなるまでの生涯を、感覚に直接訴えかけるような鮮やかな色彩とかたちの探求に捧げました。彼が残した仕事は、今なお色あせることなく私たちを魅了し、後世の芸術家たちにも大きな影響を与え続けています。

世界最大規模のマティス・コレクションを所蔵するパリのポンピドゥー・センターの全面的な協力を得て開催する本展は、日本では約20年ぶりの大規模な回顧展です。絵画に加えて、彫刻、素描、版画、切り紙絵、晩年の最大の傑作と言われる南仏ヴァンスのロザリオ礼拝堂に関する資料まで、各時代の代表的な作品によって多角的にその仕事を紹介しながら、豊かな光と色に満ちた巨匠の造形的な冒険を辿ります。

マティス展ホームページより


変幻自在のマティス

美術っていうのは何がしかの表象だと思っているんですが
知識とか技術、性格が変わるにつれて作品というのも大きく変化するんだなというのがとても印象的でした。
それをある種人間としての一貫性がないと非難することもできますが
人間ってそういうもんじゃない?周りの人とか環境が変われば内面も変わっていくのは必然のように思います。


これもマティス
これもマティス

こんな感じで全然違います。インスピレーションを受けたものが変わっていったからなのか。
美術館にふとその人の半生をトレースしたような気分になります。マティスは最終的に、切り絵に挑戦するのですが、それもまた面白い。
病気になり動けなくなった結果、絵画でなく自分の表現できる限界として、切り絵という結論を見つけたマティスは偉大だなと思います。

 
わかりやすさとの戦い

個人的に絵画の分岐点って写真の登場だと思うんです。
それまではいかに美しく描くかというものをコンセプトにしていたのにも関わらず
写実性という観点で写真には、絵画はどうしても勝てない。だからこそ、人間の主観性というものを絵画に詰め込まなければいけなくなったのだと思います。(作者の意思かどうかは別として)

この作品も裸婦像なのはわかるものの、なんで顔を描かないのか?と疑問に思います。
これはミロのビーナスしかり、視聴者の想像力を働かせなければいけないということです(ミロのビーナスは非意図的ですが)。
現代の若い人ってこういう美術好きなんですかね、分かりづらさの極みのように思いますが。
現代のわかりやすい地獄で想像力を掻き立てる経験が少ない世代……どういう大人になるんだろうか、結構疑問です。

製作という生きがい

美術に携わる人を見ると、本当にすごいなって思います。
自分にはない能力を全面に見ている感じ。私は美術が得意ではないので……

自分の仕事ってどういうことが大事かっていうと、知識と表現なんですよね。
私は英語の教員なので、英語に関する知識とそれをどう表現したら相手に伝わるかという点が求められる能力となります。
もちろん、心理的理解やICTの能力も必要ですが。

画家の方は感性と技術と個性の三段柱なんじゃないかなって個人的に思います。
美術館に行くことで、その人の人生のあり方を追いかけることができて、やっぱり面白いな。ただ、最近ちょっと高すぎるのでもうちょっと金額が抑えられたらなと思います。



最近都美術館に行くとこのネクタイたちが可愛いすぎて……
ダントツで可愛いのは右から二番目のコンポジション。買おうかな。


今回の展示は全体としては満足したのですがオーディオガイドは金額に対し、中身が少なめだったように思います。
また最近の風潮なのですが、若い俳優を起用するのをやめてほしい。オーディオガイドだから声の専門家である声優さんにになってほしいなと思います。
上白石萌歌さんだったんですけど、結構白々しい演技というか……あんまり美術館の世界観に適合してなかったように思います。
分かり客層を増やすことを目的としているのかどうかは分かりませんが、クオリティも大切にしてほしいなと思います。

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