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(Book)✨人はなぜ他人を許せないのか

最近のスシローぺろぺろ事件は世の中に大きな激震を走らせたように思います。
しかしながら、ネットの反応はまるでリンチのよう。いわゆる私刑というやつですね。
大学時代、英文学の授業で緋文字という洋書を読みました。
姦通罪を犯した女性がscarlet(緋)という刺青を入れられたんだっけな。それで一生罪を背負いながら生きるっていう話。
法律が罪を宣告すればいい話なのに、なぜだか人々は自分たちで、罪をしなければという正義感に苛まれます。
本書はこれを正義中毒と定義し論じています。

人の脳は、裏切り者や社会のルールから外れた人など、わかりやすい攻撃対象を見つけ、
罰することに快感を覚えるようにできています。
この快楽にはまってしまうと、簡単には抜け出せなくなり、罰する対象を常に探し求め、
決して人を許せないようになってしまいます。

著者は、この状態を正義に溺れてしまった中毒状態、「正義中毒」と呼んでいます。
これは、脳に備わっている仕組みであるため、誰しもが陥ってしまう可能性があるのです。

他人の過ちを糾弾し、ひとときの快楽を得られたとしても、日々誰かの言動にイライラし、必要以上の怒りや憎しみを感じながら生きるのは、苦しいことです。

本書では、「人を許せない」という感情がどのように生まれるのか、その発露の仕組みを脳科学の観点から解き明かしていきます。
「なぜ私は、私の脳は、許せないと思ってしまうのか」を知ることにより、自分や自分と異なる他者を理解し、心穏やかに生きるヒントを探っていきます。

本書要約、アマゾンより



日本人の集団主義生

しばしば日本人は集団主義だと言われます。その原因は、農耕民族であったことが理由として挙げられることが多いのですが、本書では以下のような紹介をされていました。


自然災害のリスクが高く、恒常的に防災を考えなければならない日本は数1000年数万年前から変わらず自然災害が多く、そうした環境に適応できる、つまり長期的な予測をして準備を怠らない人達が生き残ったと考えられます。災害の復興は助け合いながら、みんなで力を合わせる以外にありません。(中略)逆に集団の協力行動を拒んだり、集団の了解事項を裏切ったりする人はみんなからの非難と攻撃の対象になります。

なるほどなと非常に納得することができました。
農耕民族とのダブルパンチか……とんでもねえな……
学校教育でも周りに合わせろだとか、雰囲気を理解しろとかっていう指導はすることがあります。
元現代的な指導ではないなと思いつつも、やはり社会に根強く残っている意識だと思います。
個人的に大事なのは引き出しなんじゃないかなって思っています。
集団主義的な振る舞いを求められる時はそちらに移行して、求められていない時は、自分で考えて行動するっていうことが大事なように思います。
もちろん、常に集団主義ではいけません。でも、集団主義を完全に否定するのもよくないように思います。
その中庸を見抜いていく能力が日本人として重要な能力なように思います。



仲間はよく見える?内集団バイアス

いつもつるんでる仲間っていい奴に見えることが多いと思います。
でも、客観的に考えると嫌なやつなんだよなとかって思う時はありませんか。
それは内集団バイアスという偏見が関与しています。


高知工科大学ホームページより引用

図を見てわかるように、自分が所属している集団の人間は高く評価してしまうんです。
だって、自分の周りの人達が高い評価の方が自分の評価も上がるじゃないですか。当然の原理ですね。
では、自分たちの評価を上げるためにはどうしたらいいか、それは他人を下げればいいんです。

正義中毒も同様の症状で、他人の評価を下げることによって、自分の正当性を高めています。
正義中毒でタチが悪いなと思うのは自分が安全な場所にいて、他人を攻撃するところですよね。
自分が当事者内でない案件に対して投石行動を行ない、自身の安全性を確保しながら攻撃をするっていうたちの悪い流行り病だと思います。

SNSの匿名性ってとっても印象が悪いというか。何だこいつらっていう感じはしますね。
かくいう自分達も授業アンケートっていうのを取るんですが、これが匿名性で……人間性を否定してくるような内容を書いてくる人もいるので「これってTwitterの投石行動と一緒だな」と思います。教師やめろとか書かれました。
ま、筆跡で誰かわかるんですけどね。






AIに支配されるな アルゴリズムと洗脳
 

生徒たちにはしばしばAIには使われないようにしなさいと伝えています。
例えば英作文をする時にAIで調べれば早いんですけれど、自分で書かないと何も成長しないですからね。
加えて生徒達のスマホ依存には少々不安なところがあります。
というのも、スマホでは自分の興味のありそうな情報ばかりアルゴリズムで提案されるからです。、

例えば今までアクセスしたサイトに従って広告などは出てきます。
つまり、自動的に興味のある情報を提示されていて、趣味の幅だったり興味の幅が広がりにくい仕組みとなっています。本書でも以下のように言及されています。

ユーザー本人としては毎日ネットの世界と接し、新しい情報を補給しているつもりが、実は自分の思考をもとに構成された、自分好みの偏った情報が示されているだけという状況に陥っている場合もあるのです、私たちがネットで新しい知識を得た新しいニュースを知ったと思っていても、実はそれはフィルターにかけられた情報ばかりで、自分の世界は非常に限定的かもしれないということを意識する必要があるでしょう。

だからこそ、スマホから離れる必要は確実にあると思います。
学校でスマホが使えないっていうのはとても賛成なんです。楽しいものを提示されて楽しいと感じているだけだから、とても受動的なんですよね。
意識的に物事を考えていく必要が、今のZ世代にはありそうです。
意識的に物事を考えるためにはどうすればいいか、単純に周りの世界を見渡せばいいだけです。
通学、通勤途中に車窓を見てこんなお店があったんだとか
あの人の着ている服はどういう気持ちでコーディネートしたんだとか
そういう疑問を持って思いを馳せるだけで十分なように思います。

正義中毒にならない方法

正義中毒を乗り越えるためには、メタ認知を発達させる必要があるそうです。
メタ認知というのは、自分自身を客観的に把握する能力のことです。すごい簡単に言うと。
メタ認知の発達には前頭前野の働きを活発化させ、環境に身を置くことが大事だそうです。
そして、老けない脳をつくるには以下のような習慣づけが必要だそうです。

①慣れていることをやめて、新しい体験をする
②あえて不安定、過酷な環境に身を置く
③安易なカテゴライズやレッテルに逃げない
④余裕を大切にする

これを解決する手段はやっぱり外に出ることだと思います。
学校という狭い空間の中にいてもいけないし、家の中にいてもいけない。
外で知らない刺激を受けてくるというのが一番です。
やっぱり余裕のある人は違います。ルールを破ったりしようとしないし、人を攻撃もしません。
広い世界に飛び込む経験を増やし、余裕を持ち、生きてほしいなと思います。

最後に本書では対立ではなく並立で考えようと書いてあったのが印象的でした。
対立すると、善悪が生まれ、どっちが良いどっちが悪いになります。
一方並立だとAの意見もあるし、Bの意見もあるという次元に落とし込むことができます。
むやみやたらな争いが起きない社会になったらいいですね。自分も気をつけようと思います。

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