毒親という言葉

先日、友人が「私は毒親なんだ」と言っていた。
その友人は、私から見ると毒親ではない。
どんなときでも子供たちの目線で話をし、いつでも子供たち優先で行動をし
叱る時は穏やかで、怒鳴ったりしてるところは見たことがない。
子供たちも、おどおどした様子もなく、とても優しくてお利口さん。
そんな彼女から「毒親」という言葉が出てくると思わなかった。
外ではいいお母さんでも、お家の中では怒鳴ったりするのだろうか。
家の中の友人を見たことがないから、あなたは毒親じゃないなんて事は言わなかったけれど
内心、毒親というものがどういうものなのか分かっていってるのかなと疑ってしまう自分がいた。
ただ、自分のことを毒親と認識して、かつ、その毒のある行動をやめていきたいと願ってるなら
やはり、毒親とは言わないのではないかと思った。

毒親という言葉、いろんなところで見かけるようになった。
漫画アプリの広告でも、ネタにされていた。
「不倫、浮気、毒親」
そんな括りで、ネタにされるような言葉なのか。
世の中の毒親という言葉の認識が間違っているではないかと感じる。

毒親育ちとしてはもどかしい。

毒親育ちの別の友人が、手のひら返した態度を取ってきて
どう感じたら良いのか混乱した。
きっと、この子も毒親育ちの弊害で、コミュニケーションの取り方が変わってるんだろう、とも思うが
あれだけ親身に話を聞いてきたのに、その態度は無いよな…とがっかりしてしまった。
これだけしてきて「あげた」のに、な。
これはわたしの押し付けであって、彼女がわたしに対して思うことを決めることは出来ないと理解しつつもやはりなんだか、、、。


先日、夫にダメ出しの嵐を喰らった。
それから、わたしは何をしてもダメなんだ…と落ち込むことが増えてしまった。
この一年、うまくいかなかったことを他人のせいにすることが多かったと思う。
わたしのコミュニケーションの取り方が悪かったのに、相手のせいにしたり
自分の不注意で起きたことを、物のせいにしたり
なにかしら失敗するたびに、わたしは悪くない、と思ってきた。
先の毒親育ちの友人のこともそう。わたしが、雑に扱ってしまったが故に、相手からもそっぽを向かれた、のかもしれない。
これくらい雑にしても良いだろうと、無意識にわたしはわたしの考えを押し付けてきたのに嫌気がさしたのかもしれない。

今年は激動の一年だった。
本当に色々なことが起きて、たくさん嫌な思いをしたが
元を辿ると、わたしのせいだった。
そんな反省をしていると、わたしなんてダメなやつなんだ…と思いがち。
年末に向けて、気持ちを持ち上げるには
何か新しいことを始めるのが良いのかも?

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