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新訳・人魚姫

#創作大賞2022

1.人魚姫は王子様と出会う

私は生まれつき足が動かない。

車椅子生活ももう長くなる。

福祉課のある高校に入学して三ヶ月。

バリアフリーとはいえ、まだまだ不便なことも多い。

例えば移動教室のとき、部屋がエレベーターから遠いと、着くのがギリギリになってしまったり、急いでいるときに人混みを避けて通れなかったり。

車椅子でいるからにはいわゆる普通とは違う生活を送らなければならないが、世の中はまだまだ車椅子に優しくない。

「足が動けばなぁ」

これまでに何百何千回も考えたもしもをまた考えてしまう。

どうにもならないと思っていても夢は見てしまうものだ。

そんなことを考えていたとき、嫌な音がした。

シューっと空気が抜けるような音。

それとともに自分の体が傾いていることに気づく。

最悪だ、タイヤがパンクした。

今日の占いは最下位だったかな、と思いながら後ろを見ると、画鋲が落ちていた。

考え事をしていたから気づかなかった。

パンクしたままでも動けないことはないが、相当力がいる。

誰かに助けを求めるのが楽だが、知り合いは見当たらない。

「パンクしてないか、これ」

不意に後ろから声がした。

慌てて振り向くと背の高い男の子がタイヤを触っていた。

上履きが赤だから同学年のようだ。

「そうなの、パンクしちゃって…」

「なんか手伝えることある?」

そう聞いてくれて助かった。

ここは素直にご厚意に甘えることにしよう。

「できれば校門までタイヤをあげて押していってくれると助かる」

「了解」

ひょいと車椅子の後ろが持ち上がる。

車椅子を押すのに慣れているのか、速さがちょうどいい。

「押すの、上手だね」

と褒めると

「ばあちゃんが車椅子使ってたんだ」

と返ってきた。

なるほど。

タイヤがパンクしていたのに気づいたのも、身内に車椅子使用者がいたから目についていたのか。

校門に着いた途端、男の子はじゃあと去ろうとするので、せめて名前だけでも、なんて漫画みたいなセリフを口走ってしまった。

「槙島海人、一年三組。なんか正義のヒーロー感ある?」

笑いながら答えた言葉からは優しさが滲み出ていた。

「私は笹川律子。すごいヒーローだよ。また今度お礼させて」

「おう、じゃあ気をつけて」

何気ないその一言が嬉しかった。

これまでの人生で気を遣われることには慣れているはずだったのに、胸がざわついた。

その日の夜はベッドに入っても槙島の笑顔が頭から離れなかった。




2.人魚姫は夢を見る

一週間後、お礼のお菓子を持って一年三組を訪れた。

槙島は何人かの男子たちと話していたが、こちらに気がついてくれた。

「誰かに用?」

「槙島に。これ、こないだのお礼、気持ちだけど」

そう言ってお菓子を差し出すと、槙島は遠慮がちに言った。

「俺全然大したことしてないのに、いいよ」

「せっかく持ってきたんだから受け取って」

半ば強引にお菓子を渡す。

すると、一人の女子が話に入ってきた。

「槙島にお礼?なんかしたの?」

「鈴木、別に関係ないだろ」

「関係ないけど、いいじゃん。私と槙島の仲でしょ」

「部活のマネージャーってだけだろ」

二人はお互い口調は強いもののじゃれあっているように見えた。

仲がいいんだなと思うと同時に、少し胸が痛んだ。

「ごめんな、こいつ水泳部のマネージャーの鈴木恵。こっちは笹川律子さん、こないだ知り合ったんだ」

「鈴木でーす。よろしく」

「笹川です。二人とも水泳部なの?」

確かに槙島はガタイがよく筋肉質な感じがする。

しかもうちの水泳部、強いって噂されていたような…。

「そう!槙島は今度全国大会にも出るんだよ」

すごい、全国大会なんて相当強いということは、スポーツと無縁の私にでもわかる。

「…見てみたい」

思わず口からこぼれ落ちていた。

自分の声で聞いて頭も追いついた。

「私も試合見に行っていい?」

「一般観戦もオーケーだからいいけど、一人で来るのか?」

槙島の問いは移動を心配してのことだろう。

「大丈夫。車椅子歴16年、学校でも家でも生活できてるし、観客席には車椅子用席もあるだろうから」

この答えに槙島は納得したようだった。

一方で恵は浮かない顔をしている。

そこでわかった。

恵は槙島が好きなのだ。

他の女が応援に来ることをよく思っていないのだろう。

私は恵には敵わない。

マネージャーとして常に近くにいてクラスも同じ、そして何より足が動くのだ。

その事実に悲しくなって、でも槙島を好きな気持ちを諦めたくもなくて、結局応援には行く約束をした。




3.人魚姫は王子様と結ばれる

そして大会当日。

私は無事車椅子用観客席にたどり着いて一息ついていた。

槙島が泳ぐのは自由形とメドレーリレーだと言っていたので、まだ時間がある。

パンフレットに目を通していたその時、笹川さん、と声をかけられた。

恵だ。

「本当に来てくれたんだね、ありがとう」

「私が応援したかったから」

「槙島が出るまでまだ時間あるし、少し会場の中歩きながら話しない?」

歩きながら、という言葉がやや強調されて聞こえたのは私の気のせいだろうか、いや、明らかに敵対されている感じがする。

しかし断る理由も見当たらないので、誘いに乗ることにした。

「車椅子、押してあげるね」

選手控室やロッカールームの前を通りながら、今まで恵が見てきた槙島の頑張りを聞かされた。

私の方があなたよりも槙島のこと知っているのよと言われているようだった。

「ここどう?きれいじゃない?」

恵が連れてきたのは屋内プールだった。

窓から入る光が水面に反射してキラキラしている。

「わぁ、本当にきれい」

感動していると、恵が言った。

「私、あなたのこと嫌いなのよね」

その瞬間、私の体はプールに投げ出されていた。

車椅子ごと、プールに落ちる。

呆気に取られていると、私を見下しながら恵は言う。

「車椅子のあんたなんか槙島に近づく権利もないのよ!」

さすがにぐさっときた。

涙が溢れそうになるが我慢する。

「誰かに見つけてもらうまでそこにいな!」

恵はそう言い捨てるとさっさと出て行ってしまった。

私だって好きで車椅子になったわけじゃないのに…。


***


槙島海人は緊張していた。

しかし、同時に楽しんでもいた。

ついに全国大会まで来た。

これまでの努力を存分に発揮する場所だ。

しかも今日は特別ゲストが来ている。

笹川律子のことは前から知っていた。

入学式のとき福祉課代表として登壇していたからだ。

決意表明を読む凛とした姿に心惹かれた。

初めて声をかけたのは本当に偶然だった。

廊下で律子を見つけた時に違和感を感じて、それがパンクだと気づいたので声をかけた。

そのあと律子からお礼を言いに来てくれたことが本当に嬉しくて、しかも自分の水泳を見てみたいと言ってくれたことが夢のようだった。

律子にカッコ悪いところは見せられない。

そう思って改めて観客席を見ると、律子の姿がない。

出る種目はあらかじめ伝えてあるのでトイレということはないだろう。

具合でも悪くなってしまったのか。

泳いでいるところを見てもらえなくて残念だ。


***


さて、どうしたものか…。

プールから出ようにも腕の力だけで全身を持ち上げることはできない。

仮に這い上がれたとしても、車椅子もプールに落ちているのでどうしようもできない。

恵が言うように誰かに見つけてもらうまで待つしかないのか。

それにしても、嫌いだからといってプールに落とすまでしなくてもいいのではないか。

恵に対する怒りが沸き上がってくる。

が、不思議と怒りはすぐ消えた。

プールの水面があまりにもきれいだったからだ。

そういえば、物心ついてからプールに入った記憶がない。

溺れたら危ないからと連れていってもらえなかったし、授業はいつも見学だった。

「水の中ってこんなに気持ちいいんだ」

ぷかぷか浮いていると、小さなことなどどうでもよくなってくる。

浮いているうちに泳げるか試してみたくなった。

手で水をかいてみる。

と、少し進んだ。

それがたまらなく嬉しかった。

水の中なら、自由に動ける!


***


大会が終わった。

結果は自由形三位、メドレーリレーは五位。

力は出し切った。

まずまずの結果と言えるだろう。

結局律子は最後まで現れなかった。

途中で帰ってしまったのか。

片付けの最中に鈴木に聞いてみた。

「笹川、具合でも悪くなったのかな?」

「さぁ、私は知らないよ」

やけにぶっきらぼうな言い方だ。

「どこかで倒れたりしてないよな。探した方がいいかな?」

律子は応援に来るのを楽しみにしていたはずだ。

バックれるなんてありえない。

「知らないってば。あんな子のことほっといていいでしょ」

「あんな子ってなんだよ、ちょっと冷たすぎないか」

「大体、車椅子で応援にくるなんて迷惑だって思わないの?」

そんな目で見てたのかと、頭にきた。

「お前ふざけてるのか!笹川にそんなこと直接言ってないだろうな!」

思わず怒鳴り声になる。

すると鈴木は涙ぐんで言った。

「なんであんな子のことばっかり気にするのよ!さっさと溺れ死んじゃえばいいのに!」

その言葉にさっと血の気が引く。

「どういうことだ?」

「気に入らないからプールに落としてやったのよ!今頃誰かが見つけてるんじゃない?」

聞き終わる前に走り出していた。

メインプールとサブプールは外だが、帰るときに人はいなかったはず。

とすると、屋内プールか。

全力で走って屋内プールの扉を開ける。

「笹川!」


***


大会はもう終わってしまった頃だろうか。

結局槙島の泳ぎを見ることはできなかった。

夜までに誰かが見つけてくれるといいのだけど。

監視員の人とか来るかな。

水に浮かびながらぼんやり考えていると、笹川!と大きな声がプールに響いた。

槙島だった。

口を開く間もなく、槙島はプールに飛び込み、私の元まで泳いできてくれた。

その泳ぎはダイナミックで、飛び散る水飛沫がキラキラしていた。

「大丈夫か⁉︎」

「うん、大丈夫だよ」

必死の槙島に笑いかけるとホッとしたような顔が見られた。

「鈴木にやられたんだろ。他になんか嫌がらせされなかったか?」

「まあ、いろいろと…。でもお陰で気づいたんだ。私、水の中なら自由だって」

ほら泳げるんだよ、と槙島に見せた。

「まぁ槙島の泳ぎには敵わないけど」

そう言って笑った次の瞬間、強く抱きしめられた。

心臓がドキドキうるさくなる。

「好きだ」

たった三文字の言葉がとても鮮明に聞こえた。

頭で理解したと同時に涙が流れる。

「私も好きだよ」

人を好きになること、人に好いてもらうことがこんなに幸せだなんて初めて知った。

私たちはキラキラ輝くプールの中央で、キスをした。


Fin.


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