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憧れは「あたしンち」の水島さん

アニメの「あたしンち」が昔から好きだ。
いまもアマプラで流しながら、この文章を綴っている。
なんなら300話以上あるエピソードをおそらく3回はリピートしていると思う。

https://www.youtube.com/playlist?list=PLgqRc8AjEjeOGb_lTTjkLxdFnShdSusz8&feature=share

人事という仕事をしたことがある。
会社と求職者(大学生だったり、ある時は自分より歳上の応募者だったり)が自分自身の“クライアント”と“カスタマー”である意識で、私が仲介人となり、結びつけるような、いわば結婚相談所とような…おせっかいおばさんのような仕事だと思っていた。
どんな人材が欲しい?
今期は 説明会どんな内容で実施する?
母集団形成して、そのあと歩留まりは何%になればいい?
 そんなことを毎日毎日考えていたら「事実」だとか「定量」だとか「昨対比」だとか、そんな堅苦しい“一見”ビジネスマンのような考え方のクセがついてしまった。

自分に向き合い過ぎると、急に視野が狭まって、周りの声がまったく聞こえなくなる。集中力や深い思考をするには便利な特徴ではあるのだけど、これが正解だと思ってしまったら、間違いに気付いた時には後戻りができないことがたびたびある。それが、ただの業務だったら取り返しがきくものの、誰かの感情だったり、プライドだったりをないがしろにしてしまった場合、もうそこを取り消すことはできない。
どんな仕事でも人と関わらずにいることはできないから、数字では表せない感情という作用を無視はでいないし、上手に付き合っていく必要がある。それは自分自身のものでもあるし、相手のものでもある。
自分の感情にも、相手の気持ちにも、適度な距離感というものがある気がする。どうすればその安全地帯を見つけることができるんだろう。
私には一生わからないかもしれない。

「あたしンち」のお母さんのママ友の水島さんがこう言う。
「あら、いいじゃな〜い」「まあ!楽しそうね」
お母さんだって「いいのよ、いいのよ、細かいことは気にしな〜い」
こんな言葉を発せるような毎日を過ごしたい。そんな、おおらかで「いい加減」の人間になりたい。

「あたしンち」を見るたびに思う。こんな毎日をしあわせって呼ぶんじゃないかなあ、と。頑張りすぎている自分に、いい加減になれるアニメ。わたしには欠かせないお暇なのだ。




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