やさしくなりたい
我が実家は物が多い。
タイトルから急に何の話かという入りだが、これが一応タイトルに繋がる。
わたしの親は物を捨てることが苦手だ。わたしが断捨離したものをゴミ袋から拾って溜め込む。これがあまりにストレスで、コンビニなどの店舗のゴミ箱に自分のゴミを捨てに行ったことがある。社会的にちょっとよろしくないけれど。
母は“お金がない”が口癖で、父が病気になって働けなくなり、母も今の仕事の契約が終わりになる年を迎え、口癖はいっそうひどくなった。
お金がない、お金がない。
その割にうちは大きめの家具が多い。家電が新しい。棚は多いが、日頃使うものは棚の中からはみ出している。ある引き出しには台拭きがめいっぱいに詰まっているが、台拭きはおそらくだが30枚も要らんだろう。布マスクを買ったというが、すでに布マスク何枚あんの。
実家に物が増えるのは老いもあるという。お金に不安が増すのもまた、老いかもしれない。そう感じるので、黙っていたが、ある日唐突に我慢の限界が来た。
「わたしだって年取るんだから、こんなに残されても片付けられないからね!!」
今思うとなぜ泣きそうになったのかわからないが、半泣きだった。
要らないものを溜め込まずに片付けろ、だから掃除も大変で家が汚くなっていくし、より満たされなくてお金が減っていくのだ。お金がない、お金がない、と言われるのはわたしにとってプレッシャーだった。すでに実家にお金は入れているが、それが足りないと言われている気がして。でもわたしには将来の自分の分も必要で、その分を親に全部搾取されそうな気がして、怖かった――ような気がする。
親に怒った時は、自分が正しいと信じ切っていた。わたしはわたしなりに会計の見直しをしていたし、投資を始めていたし、稼ぐ力を身につけるべくあれこれ始めたところだった。少なくとも片付けや家計見直しもしていない親に、なぜ自分の分を取られなければならないのだと思っていた。
それが一転したのは6月のある朝方、リベラルアーツ大学の動画を聞きながら歩いていた時だった。
それはお金を”貯める”動画で、学長パパも宵越しの金は持たねえというタイプですという話で、
”それワシがあげたやつ(3万円)やないか!”
”ちゃんと考えてつかわんとあかんでーって言ったら、なんかごにょごにょいいながらパチンコ行きましたね、まあうちの親もそういうタイプです”
そう笑いながら話す学長の声を聴いたときに、またしてもめちゃくちゃ泣きそうになった。
この泣きそうになった理由は明確で、自分が情けなくて、情けなくて、泣きそうになったのだと思う。
わたしがもし、学長だったら。
学長以外でも、もっと、しっかりと力を身に着けてきた人材だったなら。
生活費の面倒を見なければいけないプレッシャーなんか、どうにでもなったのだ、と思った。
笑って、好きにしなよ、いままで頑張ってきたんだから残りの人生くらい好きに生きなよ、と言えたのではないかと思った。
そう言ってくれる子供であった方が、親は幸せなのではないかと、そう思った。
自分がちゃんと力を持っていれば、自信があれば、あんなこと言わなかったかもしれない。
やさしくなりたい。
その時、心の底からそう思った。やさしくあるために力が欲しい、お金もまたその力のひとつなら、稼げる自分になりたい。
あれからずっと、わたしはそう願っている。
(#これは、わたしの備忘録)
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